走り続けた16年(112)

新元号は「令和」

平成31年4月1日の午前11時40分、菅義偉官房長官から平成に代わる新しい元号を「令和」と決定したことが発表されました。その日は朝から元号のことが頭から離れず、外出先のテレビで新元号の発表を知りました。テレビや新聞等マスコミの報道を聞く中で、音もきれいで響きがいいことなどから他の案と比較されることもなく国民に好感を持たれる元号だと感じました。

「令和」は『万葉集』から引用され、元号に日本の書物から引用されたのは初めてとのことで、これも国民に歓迎されたのではないでしょうか。

安倍晋三首相は「令和」について、記者会見で「人々が美しく心を寄せ合う中に文化が生れ育つという意味が込められている」と説明しました。また、「悠久の歴史と誇り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へ引き継いでいく。厳しい寒さの後の春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、『令和』と決定しました」とも述べられました。

元号が代わることから、自分なりの元号を考えた方も多かったことと思います。私は、「永和」と考えました。国書でなく、中国古典でもなく、単純に「永久の平和」を願ってですが、後になって南北朝時代の1375年に北朝に永和があることを知りました。元号は、その時代を生きる人にとっての道標でもあり、それに対する思いや、その使われることの多さなどを考えると決定には大変なご苦労があったものと思われます。

元号が平成に移る時は、昭和天皇の崩御に伴う自粛ムードの下での改元で、喜びの中でとはなりませんでした。しかし、今回は高齢になられた天皇陛下が平成28年8月に、国民向けのビデオメッセージで「象徴の務めを果たしていくのが難しくなるのではないか」と述べられたことから退位について各方面で議論になりました。

皇室典範では皇位継承は天皇が崩御した場合に限られる、とあり退位の実現には典範の改正が法改正が必要であり、国民の動向等を踏まえて特例法の成立となったものです。

元号は皇太子さまが即位する5月1日午前零時に改められることになります。

昭和33年に市制を施行した小金井市の昭和は苦難の歴史であり、昭和50年前後の市政は小金井の歴史を大きく狂わせた時代でした。

その後、平成の小金井市は、昭和の失政を正すことに専念するものとなりました。

私にとっての平成は43歳から74歳までで、元年に市議会議員2期目がスタートし、4期14年の後、市長4期16年の計30年間の市政への取組は、正に平成の時代のもので平成11年4月「令和」に通ずる「一陽来復」を心の支えに市長に就き、全国ワーストの財政再建、開かずの踏切り解消のJR中央線の高架化や沿線で最も開発の遅れた両駅周辺整備等に取り組んだ30年間であり、その平成が終わることは極めて感慨深いものがあります。

(つづく)