走り続けた16年(7)

東日本大震災が発生して5年が経過しました。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞申し上げます。また、原発事故等で避難生活を強いられている被災者の方々が一日も早く故郷の自宅に帰れることを願います。

平成23年3月11日午後2時46分、空前絶後のあの大惨事、どなたもあの日を忘れることはないでしょう。

その日の私の行動を追ってみます。当日は市議会予算委員会が本庁舎3階で開かれており、森戸洋子委員から、参院選挙に要する経費や家具転倒防止金具等の質問に対する私の答弁中に地震が発生しました。この地震の大きさから、休憩を遠藤百合子委員長にお願いし、委員会は休憩となりました。

議員や職員の退席を確認し、私は2階の放送室に入り本庁舎と第2庁舎に向けて「皆さん、大きな地震が発生しました、さらに大きな余震も想定されますので、エレベーターでなく階段を使って安全な場所に避難してください」と庁内放送を繰り返しました。私も本庁舎から出て、目に入った周辺の光景に大変驚きました。武蔵小金井駅南口の25階建てマンションが左右に大きく揺れていて、その揺れがなかなか止まらないのです。また、市役所に隣接するマンション屋上の大型受水槽のジョイントが破損し、大量の水が吹き出していて地震の大きさを物語っていました。

市役所は、本庁舎も第2庁舎も特に異常がないことを確認し、3時から緊急の臨時庁議(第1回災害対策本部)を開き、各部長に災害時マニュアルに基づく対応を指示し、1時間後に開催する第2回災対会議に報告するよう重ねて指示しました。各部署からの報告は、市内には特に大きな被害がないとのことでした。その後も災対本部を随時開くとともに、消防、警察署と連携し、情報交換を密にしました。

公共施設も含めて市内には大きな被害はなく、小・中学生の多くは既に下校しており、特段の問題のないことを確認。保育園児や学童保育の保護者は帰宅できず、お迎えが来られない子どもたちが多くでましたが、安全を確保し、空腹、寒さ、何よりも不安にならないよう対応をお願いし、帰宅できない子どもたちの宿泊の準備もしました。

武蔵小金井駅では特急列車が緊急停車し、乗客が降ろされたことなどから大勢の帰宅困難者が発生しました。この人たちは駅周辺の商業施設等で待機していましたが、夜になって各店舗が早めに閉店になったことから、店舗から締め出されてしまいました。

そこで、帰宅困難者の受入れ態勢を整えました。まず、前原暫定集会施設、次は商工会館、さらに第一小学校等を避難所として用意しました。ブルーシートを敷きその上に防寒用の毛布で寝られるように準備し、温かい食物等も用意しました。私も駅頭で広報車のマイクで誘導や現場での指示をしました。

日付が変わる頃、保育園と学童保育所の各施設や市内全域の状況を確認のため回りました。都心からスニーカーや自転車を買ってでも帰宅する保護者のお迎えは午前3時くらいまで続きました。私が現場対応の間、大久保伸親副市長を先頭に、全職員が持ち場持ち場で頑張り、各方面から多くの感謝の声が寄せられました。

(つづく)