走り続けた16年(11)

財政健全化への闘い③

小金井市政最重要課題は人件費問題でした。

昭和50年代の10年間、一般会計に占める人件費比率は、全国ワースト1位が7年連続を含めて8回、2、3位が各々1回と惨憺(さんたん)たるものでした。

小金井市の人件費等の変化を比較するため、統計として確認できる昭和43年度以降で、最も高かった年度とその数値、私が市政を引き継ぐ直前、大久保慎七市政最終年の平成10年度の決算、そして、私の任期最後の平成27年度予算を比較してみます。

先ず、人件費比率は、革新市政真っ直中の昭和51年度が45・2%、で最大であり、そして、平成10年度は32・3%、私の任期最後の平成27年度予算では16・2%でした。

また、職員数は革新市政最後の昭和54年度1130人。平成10年度は915人、そして、平成27年度は658人まで減員を果たしました。さらに、人件費総額は平成7年度が最大で約104億円、そして、平成10年度は約99億円に。その後、削減をすすめ、平成27年度は60億9千万円までに減ずることができました。

私の在任16年間の経常収支比率、人件費比率の改善率は多摩26市でトップです。人件費比率はあくまで比率ですから分母となる、その年度の予算規模によって変動もあります。平成22年度ようやく10%台に改善し、それ以降は10%台がキープされており、平成27年度の当初予算の16・2%は、やっと他市に追いついたということで、ここまで改善するのに30年以上もかかったことになります。

革新市政の誕生の昭和46年度以降、人件費比率が10%台までに下がった平成22年度までの39年間で、人件費比率40%台が9回、30%台が19回、20%台が11回でした。人件費比率の1%は3〜4億円に相当するものであり、行革のメルクマール(指標)といっても過言ではありません。

地方公務員である市職員は法によって手厚い身分保障があります。民間のように経営状況の悪化を理由に解雇できないのです。一度雇用したら定年まで雇い続けることを想定しなければなりません。それが昭和50年前後の失政の挽回に時間を要した理由です。

人件費問題の失政は、それを改善するには、長い年月とたいへんな労力を費やすことになります。

また、人件費の圧迫による財源不足は、本来、受けるべき都や国の補助対象の事業にも市の原資がないことから着手できず、他の自治体が都市整備を進める中で、結果的に小金井市の街づくりの遅れにもつながりました。市民の皆さんの納めた国税や都税が小金井市に十分に還元されなかったのです。市民にとっては二重三重の不利益となりました。

私は、職員数の削減を基本に、わたりの廃止など給与制度の適正化を図り、30%超の人件費比率を16・2%まで下げることができました。

それは、市民や議会の理解、そして、財政健全化へ我が身を削る職員の協力があって果たせたことでした。
(つづく)