走り続けた16年(114)

市議会議員、そして、市長として

本年は統一地方選挙の年で、この4月に前半と後半に分かれて行われました。私たちに身近な多摩地域の市長選、市議選は後半の4月21日に執行され、5市の市長選と20市の市議選が行われましたが、小金井市は選挙がありませんでした。

小金井市の市長選や市議選が統一選挙から外れているのは、市長の度々の辞職に伴うことと、市議会の解散によるもので、ここに市政運営の困難さが象徴されています。

私が小金井市に転入したのは昭和48年9月で、学生時代は小金井公園に近い田無市(現・西東京市)に住んでいたことから、将来住むなら小金井市という思いがあり、一旦戻っていた千葉県の実家から転入してきました。

当時、東京都は美濃部革新都政であり、多摩地域の自治体、特に中央線沿線は革新ベルトラインと呼ばれ社会党、共産党による市政が執行され、小金井市も同様でした。

革新市政の下でどのような市政運営がされているのか、その実態はなかなか市民には伝わりにくいものです。小金井市では2期8年の間に662人が1千130人への大量職員の採用が行われていたのです。

私も、子どもが生まれ保育園に入園するなど実感として生活に不自由を感じることはありませんでした。それが、年月が経ち他市と比較する等すると考え方が一変するのです。

子どもが少しずつ成長し、夏にプールに行くにも市営のプールが小金井市にはないのです。辛うじて、ごみ焼却施設の地元還元である二枚橋衛生組合にプールがありましたが、学校のプールの形体で幼児が遊べる施設ではなく、仕方なく子どもをつれて遊園地に行くことになりました。

そのようなとき、府中市の健康運動センターのプールを知り利用させてもらうようになりました。府中の施設は流れるプールや幼児用のプールなども整っており、遊園地等と比較しても遜色がなく、料金も格安でした。そのため、小金井市民は子どもも大人もバスを乗り継ぎながらも利用していました。

料金設定は市内と市外に分れていて、府中市民は市外の人の半額でした。そのため、市内と書かれた料金所に小金井市の子どもたちも並ぶのです。

大人と一緒ならこの様なことにはならないでしょうが、子どもたちがグループで来たときには知恵が働いてしまうのです。

このことは、私にとっては耐えられない辛い体験で大きなショックを受けました。そこで、なぜ自治体によってこんなに公共施設に格差ができるのかを考えさせられました。

以来、図書館で関係資料を調べたり、議会の傍聴もしました。また、市民団体である小金井市行革推進協議会に入会し、会員同士で市政について調査・研究、議論もしました。

その結果は、革新市政の大量職員の採用による人件費の増大につきるということでした。その起因となる市長の失政の責任は重大ですが、議会にも責任があります。最終的には、それを選んだ市民に、取り返しのつかない多大なツケを回されてきているのです。

私は、小金井市の財政の健全化と、市政の改革を求めるなら、一市民でいるだけでなく市議会議員になるべきの考えに至りました。

(つづく)

走り続けた16年(113)

令和時代の幕開け

令和元年5月1日、歴史的な日を迎えました。天皇陛下が譲位し上皇陛下となり、皇太子殿下が即位する。平成の時代に幕を引き、新たに令和の時代の幕開けです。私たちにとっても人生の大きな節目であり、新たな人生の希望と喜びのスタートになります。

この令和の時代、世界中の人々が平和で豊かであることを願わずにいられません。

昭和から平成に代わった30年前は天皇の崩御に伴う改元であり、その前年の秋頃から行事や催しは「自粛」する状況であり、日本全国が暗く重苦しい雰囲気でした。しかし、この度は天皇陛下生前の譲位であることから雰囲気は一変しました。

平成の時代を生きた者にとって、天皇、皇后両陛下は国民の心の支えであり、高齢にも関わらず自然災害等で被災され、失意のどん底にある多くの人々に生きる力や夢を与え続け、その御姿に国民は感動を受けました。

私と妻は平成22年10月、天皇、皇后両陛下による赤坂御苑での園遊会にお招きをいただきました。出席に当たって、経験のある先輩から会場の中心より天皇がお回りになる少し先の方にいた方がいいとのアドバイスをいただきました。この日は雨が降ったり止んだりで、風も強く非常に寒い日になり、中止を心配する程でした。

天皇、皇后が会場を回られ、私たちの前にいらっした時、天皇から「生憎のお天気でしたね」と、話しかけられました。私は「お招きをいただき光栄です。小金井市から参りました」と申し上げると、陛下はすぐ近くに来られ、そこで小金井の話になりました。

天皇が皇太子時代の昭和21年4月、目白の学習院中等科が戦災の被害を受けたことから中等科の1、2年生は小金井町の小金井公園内にあった旧文部省教育研修所に移転しました。そのため、殿下は公園内の学習院中等科で学び生活されていたのです。昭和24年12月、皇太子殿下が葉山御用邸に滞在中、その小金井の東宮仮御所から出火、御所を全焼してしまいました。東側にある光華殿は類焼をまぬかれ、今でもたてもの園のビジターセンターとして現役です。

殿下は、24年学習院高等部に進学されてからも、小金井町から通学されていたとのことで、昭和26年3月までの青春の5年間を小金井町でお暮らしになられていたのです。

その様な体験から、小金井を懐かしく話され、途中から皇后陛下も加わり「陛下は時々小金井でのことを懐かしく話されます」とおっしゃられました。当然私は「是非、小金井市にお越しください」と申し上げ、快いお返事をいただきましたが、私の任期中には間に合いませんでした。寒く雨模様の悪天候が天皇と話す機会となったのは幸運でした。

また、平成28年秋の叙勲で旭日中綬章の栄に浴し、11月9日皇居に妻と参内し、天皇に拝謁するとともに受章者を代表して陛下に御礼の言上をさせていただき、天皇からお言葉をいただいたのは一生の思い出です。

国民と苦楽を共にした30年間に感謝申し上げたいと思います。

新しい時代のスタートにあたり、私自身も長期は不要としても、短期、中期の目的を持って令和の時代を生きていきたいと思います。

(つづく)

走り続けた16年(112)

新元号は「令和」

平成31年4月1日の午前11時40分、菅義偉官房長官から平成に代わる新しい元号を「令和」と決定したことが発表されました。その日は朝から元号のことが頭から離れず、外出先のテレビで新元号の発表を知りました。テレビや新聞等マスコミの報道を聞く中で、音もきれいで響きがいいことなどから他の案と比較されることもなく国民に好感を持たれる元号だと感じました。

「令和」は『万葉集』から引用され、元号に日本の書物から引用されたのは初めてとのことで、これも国民に歓迎されたのではないでしょうか。

安倍晋三首相は「令和」について、記者会見で「人々が美しく心を寄せ合う中に文化が生れ育つという意味が込められている」と説明しました。また、「悠久の歴史と誇り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へ引き継いでいく。厳しい寒さの後の春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、『令和』と決定しました」とも述べられました。

元号が代わることから、自分なりの元号を考えた方も多かったことと思います。私は、「永和」と考えました。国書でなく、中国古典でもなく、単純に「永久の平和」を願ってですが、後になって南北朝時代の1375年に北朝に永和があることを知りました。元号は、その時代を生きる人にとっての道標でもあり、それに対する思いや、その使われることの多さなどを考えると決定には大変なご苦労があったものと思われます。

元号が平成に移る時は、昭和天皇の崩御に伴う自粛ムードの下での改元で、喜びの中でとはなりませんでした。しかし、今回は高齢になられた天皇陛下が平成28年8月に、国民向けのビデオメッセージで「象徴の務めを果たしていくのが難しくなるのではないか」と述べられたことから退位について各方面で議論になりました。

皇室典範では皇位継承は天皇が崩御した場合に限られる、とあり退位の実現には典範の改正が法改正が必要であり、国民の動向等を踏まえて特例法の成立となったものです。

元号は皇太子さまが即位する5月1日午前零時に改められることになります。

昭和33年に市制を施行した小金井市の昭和は苦難の歴史であり、昭和50年前後の市政は小金井の歴史を大きく狂わせた時代でした。

その後、平成の小金井市は、昭和の失政を正すことに専念するものとなりました。

私にとっての平成は43歳から74歳までで、元年に市議会議員2期目がスタートし、4期14年の後、市長4期16年の計30年間の市政への取組は、正に平成の時代のもので平成11年4月「令和」に通ずる「一陽来復」を心の支えに市長に就き、全国ワーストの財政再建、開かずの踏切り解消のJR中央線の高架化や沿線で最も開発の遅れた両駅周辺整備等に取り組んだ30年間であり、その平成が終わることは極めて感慨深いものがあります。

(つづく)

走り続けた16年(111)

これでいいのか小金井市政⑥

平成31年第1回定例会は3月27日未明、約438億円の平成31年度一般会計予算を可決して終了しました。

その他にも本定例会には、高齢者の見守りなどを行う市・社会福祉委員への報酬誤支給問題に対して、西岡真一郎市長自ら「一連の事務手続きに関して適切さを欠いた」として、4月分の給与を30%カットする議案も提案し可決されました。

この問題は、平成5年の改正条例の議案に1万円と記すべきところを1万1千円と誤って記載したため、誤った金額の条例が成立するという単純なミスから起ったもので、余りに単純なミスだけに発見が遅れました。

この社会福祉委員誤支給問題は、外部からの問い合わせにより、平成29年5月16日それが発見されました。しかし、報告を受けた西岡市長は顧問弁護士等のアドバイスがあったにも関わらず、翌年2月まで約9か月間も公表せず、水面下での工作は法律や条例等を無視した行政執行で、考えられないような展開になりました。

それは、誤支給が判明したにも関わらず、引き続き誤支給を続け、平成29年10月、新任の社会福祉委員に対する説明では、条例に反する内容の虚偽の公文書を作成し、その内容の文書を行使して説明する始末です。

平成29年末になってやっと当局は社会福祉委員関係の代表者に誤支給を説明し謝罪しました。その後、平成30年1月下旬から2月にかけて全員の社会福祉委員に説明するとともに、その債権の放棄を求め102人全員から放棄書が提出されました。

そして、当局は平成30年の市議会の開会が近付いた2月中・下旬に、ようやく市議会議長、市議会議員及び監査委員に対して一連の経緯を説明し、初めて公になりました。

西岡市長は「今回の社会福祉委員報酬誤支給に係る一連の事務手続きに関して適切さを欠いたことに対しまして、社会福祉委員及び監査委員、市議会議員の皆様方には、大変ご迷惑をお掛けいたしましたこと、心からお詫び申し上げます」との発言は当然ですが、その外にも市民や職員にも多大な迷惑をかけたことも気付かなければなりません。また、小金井市文書管理規程など具体的な5点の問題についても、選挙公約同様に言葉巧みに擦り抜けているのは残念です。潔く過ちを認めることが最大の再発防止になるのですが。

「私自身が皆様の先頭に立ち、市政の全責任は私自身にあるとの自覚を持ち、今後も皆様とともに歩む決意である」と話し、「頑張った結果の失敗は、全て私が責任をとる」とは、西岡市長が職員を激励する時の言葉で、私も含めて各自治体の首長の常套句です。しかし、今回の事案は市長の指示の下で行われたにも関わらず「関係職員には人事上の措置を講じた」としています。その人事上の措置に関して、議員からその理由を問われても答えられません。個人情報ではなく、市民や職員に理由が説明できないような措置はすべきではないのです。

市政は納税者である市民に対して透明性のあるものでなければなりません。今回の事案は小金井市政に大きな汚点を残すものです。

(つづく)

走り続けた16年(110)

これでいいのか小金井市政⑤

平成31年度一般会計予算等を審議する、最も重要な平成31年第1回市議会定例会が2月20日に開会され、「市長に支給する給料を減額する条例」を西岡真一郎市長は提案しました。これは「社会福祉委員への報酬の誤支給に係る一連の事務手続きに関して適切さを欠いたことに対して、市政執行の最高責任者としての責任を明確にする」というのが提案の理由ということです。

誤支給が公になった昨年の第1回市議会定例会で、その議論の結果、法に基づく監査請求や市議会での事務検査が、議会の議決を経て実施されました。

監査委員の監査報告も議会での事務検査の報告も、非常に厳しく指摘する内容となり、それを受けて西岡市長自らの減給条例提案となったものです。

しかし、その提案理由は「市政執行の最高責任者としての責任」としていますが、これは職員の適切さを欠いた行政執行に対し、市長が責任を取るというのが一般的なパターンであり、今回はこのケースは該当しないと思われます。それは、市長自らの政策判断の過ちによる、責に帰する問題だからです。

それは、社会福祉委員に対して条例で定めた額より少ない額での誤支給が分かっていながら隠蔽し支給を継続する中で、虚偽公文書作成・同行使罪の構成要件に該当すると思われる行為を指示した市長の責任は極めて重いものと言わざるを得ないのです。

西岡市長は昨年の第1回定例会で、この誤支給が問題化されたことから5%の減給条例を提案しましたが、その後、撤回しました。そして、今回は減給率を30%にアップしての提案となりました。

提案に当たって、最高の減給率だと説明されたとの声が漏れ伝わってきますが、昭和61年第4回定例会で、当時の市長は中間処理場の管理運営や、児童措置費の改正問題に関し、その対応に慎重さを欠いたことを反省し行政運営の最高責任者としての責任を明確にするため、給与を40%減額しています。

また、本年豊島区議会第1回定例会で、高野之夫区長は、職務外での犯罪で逮捕された職員を懲戒免職にするとともに、区長が関わることは全くないが、区長としての監督責任を痛感している、と区民に謝罪し、区長の3月の給料を50%減額しています。

この種の減給に係る議案は本会議で即決するのが慣例ですが、市長から監査結果等を受けての説明がされないこともあり、今回は総務企画委員会に付託され委員会での質疑後、可決されています。

私は、この30%が高いか低いかの判断に迷うところですが、減給条例を出したからいいのでなく、市長自身が犯した過ちに対して、市報等を使ってでも市民への率直な反省の言葉が必要ではないかと思うのです。

職員等が行政を執行するには法律や条例等に基づいて行うのが公務たる基本であり、今回のこの事案はそれに反する行為で極めて残念なことです。また情報公開の立場からも、隠蔽していたその態様は市民への背信行為ではないでしょうか。

(つづく)