小金井市長として、12年間の実績


財政再建・中央線高架事業と再開発事業・ごみ問題など、小金井市政のために全身全霊で取り組んだ12年。

長年お住まいの皆さん思い出して下さい。新しく市民となった皆さん、小金井市には苦難の時代があったことをご理解下さい

1.私が市長に当選した12年前は財政再建が最大の課題でした。
・昭和50年前後の革新市政時代の放漫財政によって、かつて人口約9万人の時代に職員は最高1,130人も雇用し、昭和50年代は人件費比率全国ワースト1位を繰り返しました。平成7年、8年は経常収支比率全国ワースト1位と、あの北海道夕張市よりも悪い状況でした。大久保市長から市政を引き継ぎ、財政再建のため職員組合との夜を徹しての交渉を続け、現在、人口11万5千人以上に増えても、市職員は704人にまで削減することができ、財政健全化はまだまだ道半ばですが、危機的状況は脱しました。長年かかって小金井市を職員のための市役所から市民のための市役所に変身させました。

2.武蔵小金井駅南口の再開発が7年前の市政の最大課題でした。
・7年前は中央線の高架事業にあわせて、再開発事業の推進が焦点でした。新宿駅から高尾駅までの間で最も整備が遅れているのが小金井と言われ続けてきました。駅前広場の6,300平方メートルは全額東京都の負担でした。こんな有利な条件を生かすためにも、何としても再開発事業を進めなければなりませんでした。100年に一度のチャンスだったのです。

・しかし、市議会の一部に反対があり、当初予算が2度も否決されました。これでは国や都の信用を失い、チャンスは永遠に来ないと思い、私は任期途中で辞職して再開発の是非を問う市長選挙に臨みました。幸い市民は再開発推進を選択しました。といっても市長の任期が新たに4年になるわけではありませんが、事業は推進することができました。

3.近年はごみ問題に全力で取り組んで参りました。
・ニ枚橋焼却場は、小金井市、調布市、府中市の三市が共同して組合を作り運営してきましたが、徐々に老朽化が進み更新時期が近付いていました。昭和60年の小金井市議会の決議がきっかけで、調布と府中の両市は小金井市との共同処理の解消を前提に他市との共同処理を進めていました。

・小金井市は新しい処理場をどこに作るか、国分寺市との共同処理を含めて本格的に取り組みました。市は、市民検討委員会の1年3か月かけての答申を得て、二枚橋焼却場跡地を新処理場用地に決定し、関係市等に協力をお願いしました。しかし、のような経過があることからなかなか協力を得ることが難しく今日に至っております。

・平成19年には、ニ枚橋焼却場を閉鎖し、組合解散の手続きに入り、現在、解体工事を進めています。この問、小金井市の実情を各市の市長に訴え、小金井市の燃やすごみは、八王子、昭島、日野、国分寺等多くの市や多摩川衛生組合(稲城、狛江、府中、国立)など一部事務組合のご理解をいただき、ごみが街に溢れることなく今日まで来ています。感謝・感謝です。これからも、ニ枚橋焼却場跡地の活用を基本にしつつ、あらゆる可能性を追及し、誠実にかつ着実にごみ行政を進めてまいります。

この様に、この12年間は財政再建、再開発事業、ごみ問題と、待ったなしの政策課題に息つく間もなく取り組んだ日々の連続でした。この12年は、小金井市の長い歴史の中で、課題は残していますが、最も変化の大きかった時代だったと思います。これも、市民をはじめ市議会、各市の市長、国、東京都、そしてJR等の関係機関の協力のお陰で、危機を乗り越え成果を上げることが出来たと感謝しております。これからも小金井市民のために全力を尽くしていくことを決意いたしております。

2009.3.18 念願のまちびらき

2009年3月18日 念願のまちびらき