走り続けた16年(23)

財政健全化への闘い ⑬

昭和60年9月議会で議決した「学校施設管理に関する決議」について、労使の協議が全く進展せず、その決議の内容を掲載した私の「壁新聞」を外して欲しいと大久保慎七市長から懇願されました。

市長と議員は別機関であり、議員の活動に要望するということはありえないことです。それを十分に理解している市長ですので、行政の円滑な運営のためか、職員組合の激しい突き上げか、組合の注文を聞かざるを得なかったのでしょう。

問題は「影の市長」と称された、組合委員長の実名を挙げての批判を掲載したことからであり、混乱は覚悟の上のチラシであり壁新聞でした。

市長と話し合い、私の考えを理解していただき、学校施設警備の改善に努めることを条件に、壁新聞を剥(は)がしました。剥がした場所に貼られた新たな壁新聞は、市長室前の座り込みの写真でしたので、再び一悶着となりました。しかし、カリスマ的支配の組合委員長に特化したものでないことからか、「外せ」との声は聞こえてはきませんでしたが、引き続き大久保市長を煩わせました。

昭和62年第4回市議会定例会の総務委員会で「議員の市政ニュースに関して」と、私のチラシや壁新聞が議論の対象になりました。

さらに、昭和63年第1回定例会の予算特別委員会で再び議論となりましたが、その的は私ではなく、大久保市長に集中してしまいました。それは、労働組合との団体交渉の席で市政ニュースについての問題提起に対し、組合委員長宛てに「この内容について、議員に理解を得る方法に意を払ってなく大変申し訳ございません」と発信番号のついたお詫びの公文書を手交したことから、市長の越権行為だとのことです。

また、壁新聞の内容である18平方㍍の事務室を組合委員長ら2人だけで占有していることに対し、総務部長からは「事務室の面積、起債申請に伴う面積、比較はその通りです」との答弁で、記載内容には誤りの無いことが証明されました。

市長からはお詫びの発言がありましたが、委員会は収まりません。委員会最終日まで質疑を保留し、黒川輝秀委員長は「市政ニュース問題は議長においてしかるべき処置をお願いすることで質疑を終了したい」とし、委員もやむなく了解しました。

それを受けて、昭和63年第2回定例会終了にあたって、田中剛議長から「この際、議長から市長に対して一言申し上げておきます。去る3月定例会の予算特別委員会において提起された、いわゆる市政ニュース問題に関してであります。本件につきましては議員が議員活動の一環として行った行為であります。それにもかかわらず、市長に対して他の機関等から何らかの形で問題提起がなされたからといってそれに回答する形で公文書をもって遺憾の意を表することは、市長の職務権限を逸脱したものであると言わざるを得ません。よって、今後、かかることのないよう十分留意して行政執行に当たっていただきたいということを申し上げておきます。」という発言で議会は表面上、一応の決着をみました。

(つづく)

走り続けた16年(22)

財政健全化への闘い⑫

小金井市の行財政改革を進めるため、その発言等から名誉毀損で訴えられながらも頑張っている先輩議員もおり、私は、その姿勢を見習い参考にさせていただきました。

市民からお預かりした貴重な税金をムダなく効率的に執行することは、行政の基本であり、それをチェックするのが議員の仕事です。学校警備はその費用と効果から、長い間の市政の懸案であり改革を必要とする最重要課題のひとつだと考えていました。

昭和60年9月市議会定例会で共産党を除く全議員の賛成で議決された「学校施設管理に関する決議」で改善すべきは、主に次の2項目でした。まず①学校施設警備は、1校2・5人の正規職員の交代勤務体制となっており、5日の間に、2日働き3日の休みです。平日の勤務は、16時〜翌8時40分までが勤務となる拘束時間ですが、そのうち23時半〜翌6時までは仮眠時間です。また土曜日は12時、日曜等は8時半からの勤務となりますが、仮眠時間は同じです。

これで、給料はおおよそ600万円超、時間外手当を含めれば、700万円近くになります。

週刊誌に「月に10日学校に泊まりに行くだけで給料がもらえる」と書かれる程でした。この改善です。

革新市政の90人超の警備員も、72人、48人と減員してはきましたが、私の主張は、機械警備にすれば直営の1校分の予算で市立小・中14校全校が賄えるというものでした。

次に、②懲戒免職から復職し、苗字の後に天皇と付けられ、「影の市長」と称されたカリスマ的組合委員長の施設管理係長が、基準を上回る広さの前原暫定庁舎の事務室で、市民や職員の目に触れることなく形ばかりの仕事を、信奉する一職員と二人だけで執務させているのは異常であり、これを改善させることでした。

私も、特定の人を特別扱いすることは止めるべきだと主張してきました。このような状況は、市役所全体の職員のモラルや士気にも影響を与え、勤労意欲の低下にもつながるものでした。

議会決議に対応すべく、労使の協議が行われましたがなかなか進展しません。この様な状況は、税金の効率的な運用とはいえず、また、納税者の理解は到底得られるものでなく、納税意欲にも影響を与えると考え、私は混乱の広がりを覚悟して行動することを決意しました。

それは、この状況を市民に知らせることでした。日頃から行っていた活動ではありますが、スピーカーの付いた車での街頭演説、チラシの配布。それにA1判の壁新聞を緑町を中心に30〜40枚貼り出しました。チラシや壁新聞には「天皇」「影の市長」と恐れられたカリスマ的組合委員長の実名を挙げての批判です。さあ「パンドラの箱」を開けてしまったのか、です。

この活動に職員団体はすぐに反応しました。その抗議は私へではなく大久保慎七市長に向かったのです。

市長と議員は全くの別機関であり、私の議員活動で市長を攻めることにはならず筋違いです。また、市長が議員活動に介入するものでもありません。

しかし、大久保市長から「壁新聞を外して欲しい」と懇願されました。私は悩みました。

(つづく)