走り続けた16年(37)

苦闘する庁舎問題⑧

佐藤和雄市長は第二庁舎の賃借は無駄遣いであり、早急に解消すべきという選挙公約を果たすため、市長に就任し3週間目の平成23
年5月18日、臨時の記者会見を開き、新庁舎は蛇の目工場跡地に、平成27年中に竣工し28年1月1日からは新庁舎で業務を開始すると発表しました。

4月27日に就任し、すぐに大型連休に入り、部局との協議・検討もしないまま、議会を飛ばしての唐突な提案でした。それは、1万人アンケートで、賃貸借庁舎の早期解消を求める声が大多数であったことや、すでに建設場所は蛇の目工場跡地に決定していること。建設スケジュールは3月に策定された基本構想を参考にしたようですが、非常に安易な提案でした。

この提案は敢え無く撤回となり、極めて不安定な佐藤市政の船出となりました。

議論の末、新庁舎計画を撤回した佐藤市長は基本構想の内容を具体化する「新庁舎基本計画案」策定のため、新たに公募市民7人を含む16人による、「市民検討委員会」を設置し、6月に「基本計画案」の策定を諮問して検討に入りました。これが本来の手法ということになります。

検討が続く中、佐藤市長の小金井市民が排出する可燃ごみを他市等による広域支援は無駄遣いとの選挙公約で市政は大混乱となり、市民検討委員会は9月の第4回の会議を最後に中断となりました。その後、広域支援によるごみ処理が危機的状況に陥ったことの責任をとって、佐藤市長は就任6か月で辞職しました。その結果、1年に2回目の市長選挙が12月に行われ、8か月の空白の後、再び私が市長職に就くことになりました。

平成23年4月まで、私は(好きではないが)市長と呼ばれ、落選した5月からは前市長、佐藤市長が辞職した11月からは元市長。そして、選挙後の12月18日からは新市長と呼ばれ、一人の人間が4通りの呼ばれ方をされることになりました。

市長に再び戻った私は、佐藤前市長の経過を引き継ぎ、検討委員会を再開しました。

検討委員会は平成25年1月まで全15回にわたり、新庁舎に導入する機能や整備方針、建設場所などについて活発な検討が行われ、パブリックコメントや市民フォーラムでの意見も参考に「基本計画案」が策定され、平成25年2月、市に答申されました。

私は、この答申を尊重し「小金井市新庁舎建設基本計画」を策定しました。

その内容は、新庁舎の全体規模を1万3千平方㍍を上限とする。建設場所は基本構想に基づき蛇の目工場跡地とする。建設費用は55億円を想定し、借入金34億円、積立金4億円、第二庁舎保証金返還金7億円、一般財源10億円とするものです。また、建設のスケジュールは竣工まで5年、平成30年度の完成とするものでした。

この計画を着実に進めることが私に課せられた課題でした。

しかし、市の財政が危機的な財源不足にある状況から、将来世代への負担となる借入金の額や一般財源の負担が不安材料でした。

(つづく)

走り続けた16年(36)

苦闘する庁舎問題⑦

小金井市最大の課題である人件費問題は、革新市政による大量職員の採用が原因で、昭和51年度の人件費比率45・2%を最高に、常に40%から30%台と35年以上の長い間、異常な状況が続きました。

私が市長に就任する前の平成10年度決算でも32・3%と、30%台が続いていました。

その後、私の選挙公約である行財政改革も欠員の補充の抑制や給与制度の改正などにより、徐々に進み、就任して12年を経た平成22年度の人件費比率は、悲願であった20%をわずかに切る19・9%となり、決算統計を記録するようになった昭和43年度以降、初めて10%台を記録しました。これは、職員の努力の賜物であるとともに、議会の理解や市民の協力の結果であり、行革の進捗の証明でした。この成果を職員とともに喜びを分かち合いました。

これにより、財政にも若干の余裕も出てきました。また、それ以降は常に10%台をキープしました。因みに市長、16年の最後になる平成27年度決算は15・3%と就任時の半分以下になりました。

平成23年度は蛇の目工場跡地購入の借入金の80億円を完済したことや、総務省が庁舎建設の起債(借金)の限度率を50%から75%へ緩和したことなどから新庁舎建設が具体化に視野に入ってきました。

これらのことから庁内に、新庁舎を建設するための検討委員会を設置し、職員により新庁舎建設基本構想(素案)を策定し、この素案をたたき台として、市民参加による新庁舎建設基本構想策定市民検討委員会を設置し、建設場所を含めた基本構想の策定を諮問しました。

平成23年3月、市民検討委員会は、市民1万人アンケート調査や、市民フォーラム等の意見を参考に、17回の審議を重ねるなど精力的に協議・検討を重ねた結果、新庁舎の建設場所を「蛇の目工場跡地」とする等の基本構想案の答申をいただきました。私は、その答申を尊重し、新庁舎の建設場所を「蛇の目工場跡地」とすることを行政決定しました。

平成23年3月11日、未曾有の大災害となった東日本大震災の大混乱がまだ治まらない4月の市長選挙で私が落選し、佐藤和雄市長が誕生しました。

佐藤市長の選挙公約は、ごみ処理経費や市民交流センター(宮地楽器ホール)の取得、そして、第二庁舎の賃貸借は無駄遣いと批判し、当選しました。

就任した佐藤新市長は5月18日、突然、臨時記者会見を開き、新庁舎を蛇の目工場跡地に平成27年中に建設し、その移転目標の平成28年1月1日から業務を開始するというものでした。

これは、佐藤市長が市長選挙で、第二庁舎の賃貸借は無駄遣いであり、早急に解消すべきであるという公約から、一方的に行政内部での協議・検討も一切せず、内容も不十分のまま、で実現の可能性のない計画の、寝耳に水の発表となり、議会は紛糾し市政は大混乱となりました。結局、この提案は撤回されることになりました。

(つづく)

走り続けた16年(35)

苦闘する庁舎問題⑥

平成3年12月のバブル経済時に120億円の最高値で小金井市土地開発公社が先行取得した蛇の目工場跡地を、バブル崩壊後、激減する税収の中でその借入金80億円を返済していくという大変厳しい最悪のパターンになってしまいました。

これは、議会も与野党を問わず大久保慎七市長に購入を求めた結果でもあります。誰もがバブル経済の崩壊を見通せず、地価の下落なども考えられず、熱に浮かされたように蛇の目工場跡地の購入に走ったのです。

庁舎建設基金等40億円を頭金とし、新庁舎建設に着手できないことから、緊急避難として、議会の同意を得て10年の契約で第二庁舎を賃借しました。しかし、新庁舎が建設できなければ、リース庁舎が続くことになり、平成15年には新たに平成20年まで、そして、25年、さらに、30年へとリース庁舎が続くことになります。

平成11年、私が市長就任以降、小金井市の行財政改革が進み、財政の健全化が見えてきた平成20年9月、再び、リーマンショックに見舞われました。それは、世界経済に大きな打撃を与えましたが、小金井市など基礎自治体も税収減等大きな影響を被りました。

私は、従来から庁舎建設は市の政策の優先順位は決して高くないと考えており、市民施設が優先されるべきと考えていました。

庁舎と福祉会館を比べたら福祉会館が優先するというのが考えでした。ただ、小金井市の場合は賃借庁舎であるという特殊事情が、庁舎建設へと向かわせました。

蛇の目工場跡地が、完全に小金井市の所有になったのは平成23年度で、借金の返済に約20年を要しました。また、同年総務省は庁舎建設のための起債(借金)の限度率を、建設事業費の50%から75%に緩和したのです。

10億円の自己財源があれば40億円の庁舎を建てることができるのです。就任時40万円の庁舎建設基金は約4億円となり、これを早急に10億円にするのが当面の目標でした。

また、財政調整基金は就任時の70万円が約16億円になりました。

庁舎建設が見えてきたことから、庁内に新庁舎建設基本計画市民検討委員会を立ち上げ検討に入りました。

庁舎の建設場所について、議会は蛇の目跡地と再開発第2地区に二分され、また第二庁舎の取得を主張する議員もいました。庁舎の位置の変更は議会の特別多数議決であり3分の2以上の同意が必要になります。

そこで、新庁舎建設市民検討委員会の答申を私も尊重するので、議員もいろいろ考えがあるでしょうが、建設場所にあたっては、市民検討委員会の答申を尊重してもらいたいとお願いしました。

答申は、場所を蛇の目工場跡地とし、全体規模を1万3千平方㍍を上限に、建設費は55億円で33億円が借入金で一般財源での捻出が10億円です。建設スケジュールは5年で竣工の計画でした。

私の不安は財源問題です。再び、後年度負担の大きな借金や一般財源の10億円など、蛇の目工場跡地取得の経過がトラウマになっていました。

そこに、再び大きな問題が派生しました。

(つづく)