走り続けた16年(49)

東京都議会議員選挙②

前回、平成25年の都議選で僅差で当選した木村基成氏、小金井市が一人区になった平成元年以来、自民党の初めての勝利でした。

しかし、任期が残り僅かになり選挙が近付いてきた2月、都議会自民党からの会派離脱、その後、離党して「都民ファーストの会」へ。さらに、国替えで小金井から世田谷へ転じての立候補となりました。そのため、自民党は4月22日、都連公募の広瀬まきさんを公認候補とすることを決定しました。

6月23日の告示まで1か月を切った5月末、自民党員でもない私に選対本部長の要請がありました。それは荷の重い役割でしたが、これを断れば選挙の準備がさらに遅れることや、広瀬さんが都議に相応しいと判断したことからお受けすることにしました。

候補予定者から私への要望は、本部長だけでなく朝晩一緒に駅頭に立つことや、できるだけ選挙車に乗ってマイクを持ってほしいということでした。

受けた以上、私にできることは全力でやるという決意でした。

選挙戦の直前、マスコミの取材には「当選ラインは1万4千票であり、3月の市議選で自民党の得票は五十嵐京子さんを入れても7千票にも届かず、どれだけ上乗せできるかが勝負です。それには、どの陣営にも与みしない市議の票や友党である公明党の票を加えて、当選ラインに達することが目標です」と答えました。

しかし、これまで市長選や都議選等は公明党の支援を受けて共に戦ってきましたが、その公明党が都民ファーストの支援に回ったのは痛手でした。

さらに、国会運営や国会議員の不祥事、豊田真由子衆議院議員の秘書に対する罵声、稲田朋美防衛相の失言などが連日マスコミで報じられ、自民党批判の逆風が次第に強まり、それが投票行動に直結し勝敗を大きく左右したと思われます。

選挙戦を通じて、無所属の漢人明子候補に追いつくことが当面の私の目標でした。漢人候補を支援する市議の3月の選挙で得た票は約1万票。その上、菅直人元総理が応援に入ることで民進党の市議選の4千票がどう動くか。政治信条は私とは異なりますが候補者の中では、16年の市議経験は最も小金井を知り市民に知られている人だとの思いからです。

小池百合子都知事への期待はあるにしても、都民ファーストの会で当選した辻野栄作さんを知るのは選挙公報とポスターによるくらいで、投票率が上がったにしても公明党の基礎票の3倍以上の得票はいまだに理解できません。

選挙の結果は、都民ファーストの会の辻野栄作さんが1万6039票、無所属の漢人明子さんが1万3531票、自民党の広瀬まきさんが1万1293票、無所属で共産党推薦の朝倉法明さんが4879票、無所属の内古閑宏さんが1242票でした。

小池知事への期待と、自民党への厳しい批判がもたらした結果でしょうか。

(つづく)

(『苦闘する庁舎問題』は休みました。筆者)

走り続けた16年(48)

東京都議会議員選挙①

東京都議会議員選挙は7月2日投開票され、依然人気の高い小池百合子知事が代表を務める地域政党「都民ファーストの会」から、50人が立候補し49人が当選、都議会第一党となりました。

公明党など小池知事を支持する勢力が79議席となり、過半数の64議席を大きく超え、安定した都政運営となりそうです。

しかし、豊洲市場への移転と築地の再開発などは選挙向け政策の感があり、二重投資にならないかなど注視が必要です。また、国際公約である東京オリンピック・パラリンピックの準備は加速させなければなりません。

一方、前回の都議選で59人全員の当選を果たした自民党からは60人が立候補したものの、当選は過去最低の23人と歴史的惨敗を喫しました。

これは、テロ等準備罪法の採決や国会運営のあり方、加計学園などの国政の問題や、稲田防衛相の失言など、国会議員の不祥事がテレビのニュースやワイドショーなどで選挙期間中も面白可笑しく放映されたことなど、この都議選に大きな影響を与えました。これを一地方議会の選挙結果だと、やり過ごすことは許されません。

自民党の今回の敗北は数によるおごりや慢心があったことであり、政治姿勢など真摯(しんし)に反省する機会にすべきです。強い権限を持つ時は、より謙虚でなければなりません。さもなければ、次の国政選挙でも同様の結果となり政権が揺らぐことになります。

さて、私は平成11年の市長就任以降の都議会議員選挙には、ほとんど関わりを避けてきました。それは、市議会で安定した与党体制が取れていないことから、市政の混乱を避けるためでした。

4年前の平成25年第2回(6月)定例会に、小学校5校の給食を民間委託する補正予算約8千万円を計上するため、各会派に説明に回った企画財政部長が肩を落として「予算は民主党(当時)の反対で否決されます」と報告があり「大丈夫、あとは俺の仕事だ」と伝え、早速、西岡真一郎都議(現市長)に電話で、予算に賛成して欲しいと言うと「市議会は市議の判断にまかせているので」との回答でした。

定例会終了後は都議選であり現職の西岡都議と自民党の木村基成氏との争いの様相でした。日を置いて電話で「私の木村氏への応援は箱(建物)の中で決起大会と個人演説会の2回だけにするので」との申し出にも好反応はありませんでした。

三度目の電話で私は「これは取引です、補正予算に賛成すれば木村氏への応援は一切しない」と伝えました。

その後、民主党市議から「西岡さんから『市政を混乱させないように』と言われている」とのこと。そして補正予算は民主党の賛成で可決され、学校給食の民間委託化が進みました。

私が木村氏を応援しないことから強い非難がありました。幸い447票の僅差でも勝利したので無罪放免でしたが、それが逆であれば私はA級戦犯でした。

今回の都議選は、市長を退いたこともあり広瀬まき候補の選対本部長として関わらせてもらいました。

(つづく)

走り続けた16年(47)

苦闘する庁舎問題⑱

議会を代表する篠原ひろし議長の進言により、第二庁舎の取得を断念しました。

リース庁舎の解消を常に主張する議員が、取得に反対した真意が分かりません。リース庁舎を解消するには新庁舎を建設するか第二庁舎を買い取るしか方法はありません。

本来、新庁舎を建設すべきであり、それで計画を進めてきましたが、平成26年度に入り東日本大震災による被災地の復旧・復興事業や東京オリンピック・パラリンピックによる建設ラッシュ等により、建設費が異常に高騰し、55億円の計画が70億円を超えることが試算されました。55億円の捻出も困難な状況であり、無理すれば小金井市の財政を再び危機に晒(さら)すことになると考えました。

昭和50年前後の革新市政時代の大量職員採用による全国ワースト1位の人件費問題の解決には約35年の年月を要しました。

また、平成4年度に、なけなしの基金40億円を頭金に、坪単価300万円の蛇の目工場跡地を120億円で購入し、そのわずか数年後には、誰も予測できなかったバブル経済の崩壊で地価は大暴落となり、蛇の目工場跡地の資産価値は半減、一方、税収は激減し80億円の借金の返済に苦闘し、私の16年の任期の過半は借金の返済に追われ、綱渡りの財政運営を強いられました。

この蛇の目工場跡地の取得は、自民党から共産党まで私も含め全議員が異論もなく賛成したのです。庁舎問題に関しては、議会は熱に浮かされたようで問題があっても異議を挟みにくい状況があり、それが私のトラウマになっていました。

平成26年第3回(9月)定例会で、私は新庁舎建設事業の凍結と第二庁舎を18億6千万円で10月末での取得を提案しました。

しかし、残念ながら議会の反対で断念しました。それが、皮肉にも丁度2年後の平成28年10月末、民間不動産業者と第二庁舎所有者の間で売買が成立し、その金額は、小金井市と合意した金額を上回ると聞いています。

また、第二庁舎の所有者は変わりましたが、リース庁舎の契約を継続しなければなりませんでした。そのリース料は年間2億2千3百万円で月額1千8百万円、1日当たり、60万円になります。

賃料については信託銀行との交渉がまとまらず、市が議会の議決を得て裁判所に調停を申し立て、第三者機関である裁判所が公平、中立の立場で不動産鑑定を踏まえて下した金額ということです。

取得を断念してから、この平成29年6月まで約2年8か月が経過しました。その間、支払ったリース料は約6億円です。

西岡真一郎市長の計画では、新庁舎の完成は平成34年3月で、5月に引っ越して業務の開始となり、その後、約2億円をかけて第二庁舎の原状回復をし、同年の8月に返還するようです。とすれば、今後約4年10か月で約12億円の支払いとなり、18・6億円で買えたものを、これまでの6億円と合わせれば、約8年間で18億円のリース料を支払うことになります。

政治に「たら・れば」はありませんが、あの時「買っといたら」と今となっても思わずにはいられません。

(つづく)