走り続けた16年(51)

世界平和への願い

今年も、平和を考える夏を迎えました。

昭和20年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾が広島に投下され、何物にも代え難い14万人もの貴い命が奪われるとともに、大勢の被爆者が急性障害や後障害に長年苦しんできました。

人類最大の願いは世界の恒久平和です。誰もが平和を望みながら、世界から戦争が無くなることはありませんでした。それは、人種、宗教、国境問題や、貧困・飢餓や自由の抑圧、差別や偏見などが原因で、現在でも世界の各地で内乱や紛争が続いています。

戦争被害の多くは、女性や子どもたちです。シリアやイラクにおける内戦と「イスラム国」との紛争で、何の罪もない多くの人々が犠牲になるとともに、激しい空爆で瓦礫と化した街で恐怖と不安の中、学校にも行けず生活する子どもたちが報じられています。

私も協力させていただいているユニセフや国境なき医師団、そして、国連UNHCR協会(国連難民高等弁務官事務所)の活動報告やニュースレター等によれば、世界各地の紛争等により6千5百万人が難民・国内避難を余儀なくされており、飢餓や感染症などに苦しんでいると報じています。改めて戦争の悲惨さ、愚かさに憤りを感じます。

北朝鮮の核ミサイル開発も脅威です。国民が飢餓に苦しんでいる中で軍事力の増強を進め、全世界を挑発しています。それが、民主政治でなく独裁政治であることに一層の不安を覚えます。

小金井市が一自治体として世界平和について何ができるか考え行動してきました。その一つが、平和首長会議(旧・平和市長会議)への加入でした。

私は、昭島市役所に仕事で度々お邪魔しました。そこにアオギリが植えられているのです。この木は、広島の原爆の爆心地から約1・3㌔㍍の地点で、熱線と爆風で幹の半分が焼け焦げ、枯れ木同然だったのが、翌春、奇跡的に芽を吹き、失意の広島市民を勇気づけ、広島復興のシンボルとなった被爆アオギリの2世でした。

平成14年6月、昭島市は非核平和都市宣言20周年を記念して植えたもので、現在、6㍍まで伸び、その成長を見るにつけ、小金井市も、この木を「平和のシンボル」にしたいとの思いから、広島市側に要請しました。

平和首長会議への加入もあり、小金井市の強い要請に応じ、平成27年2月に平和首長会議から念願の全長30〜40㌢㍍の鉢植えの被爆アオギリ2世が贈られてきました。

植える場所は武蔵小金井駅北口の西側信号機の側と決めていましたが、絶対に枯らせられないことから、その場所に直接植栽することは諦め、少し成長するまで養生することにしました。

一年半後の平成28年8月、この被爆アオギリ2世が植樹されました。そして現在、約2㍍までに成長しています。是非、市民の皆さんには、この「平和のシンボル」の成長を見守ってくださるようお願いします。
(つづく)