走り続けた16年(67)

ガソリン混入灯油の販売事故②

平成13年1月17日午後10時頃、貫井北町のガソリンスタンドでガソリンの混入した灯油(コンタミ燃料)を10人に販売したことが判明、その内の2件は自主回収されました。

午後11時、市役所からの連絡で緊急登庁した私は、担当職員と残り8件の回収の対応策として、考えられること全てをリストアップし、これを消防署、消防団をはじめ想定できる全ての団体等に協力を依頼することにし、その回収に全力を注ぐことを決意しました。

先ず、真夜中ではあるが、消防署、消防団、そして、警察署による巡回広報活動を開始、市の防災同報無線を使っての発信、ジェイコム東京のテロップでの放映などを実施し、それらの効果で4件が回収され、残りは4件となりました。

午前1時半過ぎ、私は消防署で諸澤一男署長、渡辺勝巳消防団長と関係職員で第1回の対策本部会議を開き、お互いの役割分担を確認しました。

市役所に戻り、朝8時になったらすぐ活動できるための、チラシやポスターの作成、戸別訪問のため貫井北町全体と本町4、5丁目を細分化した住宅地図の作成と区割り等々、その準備を徹夜で行いました。

18日の朝が来ました。日刊紙5紙の朝刊にコンタミの記事が掲載され、チラシの折り込みも入り、テレビ、ラジオでも報道されました。また、再度の防災同報無線を6時、6時半、7時に市内全域に現況を流すとともに、消防車両等による巡回広報を再開し、6時半頃には7件目が回収され、残り3件となりました。

市役所始業の8時半過ぎ、各部・各課から招集した職員80人に状況を説明し、各人が担当する区域を定め、その全戸を訪問し直接市民に説明することを基本に、不在の場合は郵便受けへの投函でなく、門扉やドアなど目立つ所にチラシを貼付する。これを、できるだけ早く完了させるため頑張ることを指示し、送り出しました。

また、9時には、北一会館に貫井北町8町会の役員20人に集まっていただき、状況を説明し、目立つ所へのポスターの貼付と各町会各戸にチラシ配付の協力依頼、町会50人の協力でこれらも直ちに開始されました。

ガソリンスタンド周辺の幹線道路では市職員が警察官立会いのもと、信号待ちのドライバーにチラシを配布しての広報も行うなど、気付いたことは次々と実行に移しました。

午前10時過ぎ、この種の事案では前例のない、消防庁のヘリコプターによる上空からのスピーカーでの広報活動。さらに、警視庁のヘリによる広報も実施されました。

午前10時50分、8件目が回収され残りは2件。さらに、午後1時10分、9件目が回収され、残りは最後の1件となりました。

私は、午後2時から府中市との市境にある東京自治会館での東京都市長会役員会とともに開催される厚生部会のため、前夜からのセーターにジャンパー姿での出席でした。自治会館での市長たちの話題は、もっぱら騒然とする小金井市のコンタミ問題でした。

(つづく)

走り続けた16年(66)

ガソリン混入灯油の販売事故①

私が市長に在任した16年の間で、強く印象に残り、忘れられない日がいくつもあります。そのひとつが、就任2年目の平成13年1月17日に発生したガソリン混入の灯油販売事故です。約24時間の出来事ですが、今でも鮮明な記憶として残っています。

午後10時30分頃、市役所から自宅に電話があり、貫井北町2丁目のガソリンスタンドでガソリンの混入した灯油を販売してしまったと連絡が入りました。私は、関係する職員を早急に招集すること、小金井市消防団の渡辺勝巳団長に連絡し、早急に市役所に来てもらうよう職員に伝え、市役所へ向かいました。

事故の原因は午後5時半頃、タンクローリーが荷卸しの際、ガソリンと灯油の双方の地下タンクへの結合口を取り違え、同時に投入するという単純なミスでした。同スタンドで給油した車のエンジンが不調との訴えから午後10時頃にコンタミ(ガソリンと灯油の混交)が生じていることが判明しました。

車に灯油が給油されればエンジン不調で済みますが、ガソリンの入った石油ストーブを点火すれば、場合によっては天井まで炎が上がるなど爆発的な燃焼となり、制御が困難になることもあります。そのため、火災になることもあり火傷や人命に関わる可能性もあることから、何としても使用前に回収しなければなりません。

登庁し、担当職員から購入者が10人である等の説明を受け、私はこのコンタミ燃料を何んとしても回収するため、全力を注ぐ決意を職員に伝えました。

消防団長には団員を招集し、消防車を使っての広報活動と、他の団員はいざという時のため分団詰所に待機し、いつでも出動できる体制を執ることを要請しました。

この時点で回収できたのは、スタンドによる自主回収の2件だけでした。

小金井消防署、消防団、そして、小金井警察署によるコンタミ燃料の回収に関する巡回広報活動が開始されました。

広報活動の効果で2件が回収され、残りは6件となりました。

さらに、市の防災同報無線を使うことを決め、市役所に苦情が来ることを覚悟し、零時に私がマイクを持ちました。すぐに反応があり、それは、こんな夜中に迷惑だとの声もありましたが、何を言ってるのか内容が分からない、というのが殆どでした。さらに、30分後に同様の放送を繰り返しました。

ジェイコム東京にはテロップで事故と回収について常時放映してもらいました。

これらの効果で、午前1時位までに更に2件の回収があり、残り4件になりました。

1時半過ぎ、消防署で諸澤一男署長、渡辺消防団長と私、署と市の関係職員と第1回の対策本部会議を開き、絶対に火災は発生させないということを基本に、これまでの対応を確認することや、お互いの果たすべき役割分担を確認しました。

市役所に戻り、夜が明けたら行うべき作業に備え、チラシやポスター、住宅地図等の作成を職員とともに徹夜で行いました。

(つづく)

走り続けた16年(65)

新しい年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族おそろいで健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

本年は小金井市が昭和33年10月1日、東京都で10番目の市として市制を施行して60年の節目の年になります。

初代市長は市制施行に努力した鈴木誠一氏が就任しました。当時の小金井市は、人口4万947人で職員数は177人、一般会計予算は1億4千815万円でした。ちなみに、現在、人口は12万人を超え、職員数は約700人、一般会計予算は約400億円であり、近郊の文教・住宅都市として、一時の失政もありましたが、大きく発展させてきた先人に感謝いたします。

本年は、市制施行の外にも5年、10年の節目の年を迎える団体も多くあります。4月からのこの1年は、60年の冠を付した事業が活発に展開されることでしょう。

また、本市が市制施行20周年を記念し、昭和53年10月1日に締結した三宅村との友好都市盟約も40周年になります。現在、私が会長を務めている小金井三宅島友好協会も、これを弾みに、さらなる友好の絆を深めてまいります。また、東京小金井ロータリークラブは創立55周年事業として、5年計画で550本の八重桜の苗木を三宅島に贈る計画です。市民の皆さん、是非、三宅島を訪ねてください。

2020年東京オリンピック・パラリンピックも近付いてきました。これを契機に、小金井の魅力を市内外に発信するシティプロモーションが必要です。それには、市民が市に愛着を持つことが基本です。

小金井市は平成21年9月から「こきんちゃん挨拶運動」を行っていますが、市民同士が日常的に挨拶を交わす市にしたいですね。人間関係の基本は挨拶です。最初は目を合わせたら軽くうなずき、慣れてきたら声を出すようにして。ごみの収集作業の人たちにも気軽に感謝をこめて挨拶が交わせる習慣ができたら素晴らしいですね。

また、小金井市を日本のシンガポールと呼ばれるように、美しくごみが落ちていない街を目指したいですね。そのためには、条例でも禁止されているたばこなどのポイ捨てをしないことや、自宅等周辺の清掃活動をすることで実現できます。

市民が、お互いに助け合い、支え合える町にするには、昔の、向こう三軒両隣や、お節介なおじさんやおばさんのいる近所付き合いの復活に期待したいものです。

本年も『走り続けた十六年』の連載を続けます。市政の歴史が誤ったり都合よく解釈され、それが定着してしまうことを危惧し、今だから言える話を一緒に苦労し、汗を流してきた職員や議員を思い出しながら書き続けてまいります。ご愛読をお願いします。

世界平和は人類永遠の悲願です。北朝鮮の核ミサイル開発が世界中に緊張感を与えています。アメリカがその挑発に乗らないことを願います。本年が平和で、災害もなく、幸多き年であることを心から祈念いたします。

(つづく)