走り続けた16年(70)

西岡市政、折り返し点を経て①

西岡市政が平成27年12月18日にスタートして折り返し点を通過しました。この2年を選挙公約などを基に振り返ってみます。

まず、選挙公約の実現についてですが、西岡真一郎市長は蛇の目工場跡地に市庁舎、福祉会館、そして、図書館などの6施設の複合化を市民に約束して当選しました。他の候補者との大きな違いは公約に図書館を入れたことです。図書館は従来から非常に市民要望が高く、建設が期待される施設なのです。

また、この複合化による建設は、改修費と維持管理費の削減になり、建設には市民負担もなく、財政問題と切り離して実現できるというものでした。

そして、「6施設複合化は直近の民意であり、これを果たすことが何より重要なことで、私に与えられた使命であり、何としても果たしたい」と力強く議会で発言しました。

平成28年3月、自らの選挙公約を市職員による「6施設複合化プロジェクトチーム」(PT)を立ち上げて検証に入りました。公約を職員に検証させること自体問題ですが、そのPTが検討中、結果を待たずして、5月には図書館等を外して「4施設2機能複合化を揺るぎない方針とする」と公約の変更を議会で表明しました。

この変更で、6施設複合化による改修費と維持管理費の削減や市民負担はないというメリットの公約をどうするのか。また、直近の民意を無視するのか。期待の図書館は、等々疑問を持たざるを得ません。結局、市長は公約に沿ったプランを何ら示すことなく公約の変更になりました。

8月末、市職員によるPTの報告は「6施設複合化には109億円の財源を必要とする」というもので、西岡市長の公約の67億円を大きく上回るものでした。報告書で「事業の推進に当たっては他の行政需要とのバランス等を勘案の上、総合的に判断されるべきものと考える」と指摘されました。これが検証の集約になるのでしょう。市長の選挙公約を補助職員が検証する辛さを感じました。しかし、その検証結果を待たずに6施設を諦め、4施設に変更してしまうのも問題です。

さらに、10月には、「揺るぎない方針」としたものが「市役所建設はゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民・議会・行政が一体となって進むべき方向を定める」と変更しました。この「ゼロベースで見直す」を「公約の白紙撤回」と言わずに何と表現するのでしょうか。

公約の実現に期待して投票した市民は失望するでしょうし、公約の変遷により市職員や市議会が振り回されてしまいました。その時々の言葉は美しく耳に響くのですが、どれを信じたらいいのか疑問を持ちます。

また、選挙公約を当選後、次々と変更することが許されるなら、市民は選挙にあたり何を基準に投票することになるのでしょうか。

西岡市長には公約の変遷について市民に分かりやすく説明する責任があります。それを果たすことを期待します。

(つづく)

走り続けた16年(69)

ガソリン混入灯油の販売事故④

平成13年1月17日、貫井北町2丁目のガソリンスタンドで発生したガソリンが混入した灯油を10人に販売した事故は、23時間を要して、その全量回収に成功しました。

もし、ガソリンの混入した石油ストーブに点火すれば、制御不能な爆発的な燃焼となり、火災や火傷、人命に関わる事故も想定されます。そのため、火災事故の未然防止のため、何としても使用前に回収しなければなりません。難しいのは、いかに私たちが頑張っても直接見つけ出すことは不可能であり、購入者に気付いてもらわなければ発見できないということでした。

最後の1件となったのは40リットルを購入した人で、購入で翌朝、給油した石油ストーブの点火不良から暖房を諦めて外出し、夜、帰宅途中の武蔵小金井駅で渡されたチラシを自宅で見て気付いたのです。正に危機一髪でした。市を挙げての回収作戦が功を奏し、私たちが危機感を持っていた火災事故を1件も発生させず、無事に市民の安全が早期に確保されたのです。

この間、諸澤一男消防署長、渡辺勝巳消防団長と私との対策本部会議を3回開き、お互いに必要な対応策の検討を行ったことも効果的でした。

「この難題解決は市役所、消防団、消防署が市民の安全のため、三位一体になっての綿密な連携の下、迅速・的確な対応を図ったことや、地域の皆さんが寒い中で『わが町の安全はわが手で守る。』という熱い気持ちでご協力いただいたことが短時間での回収につながったものと思われます。」というのが消防署の見解でした。

この問題解決に小金井消防署はもとより東京消防庁も総力を上げてのマスコミ対応やヘリコプターを使っての上空からの広報等も大きな力になりました。

また、小金井警察署、町会自治会、自主防災会、地元CATVやマスコミ関係、JRやバス等交通機関、商店会、大規模小売店舗、銀行等金融機関、郵便局、大学、市教育委員会等、市内の多くの団体の協力が、ガソリン混入油販売事故を覚知して23時間という短時間での全量回収につながりました。

この事故解決に当たって、市職員の活躍も素晴らしいものがありました。最後の決め手となったのは寒風吹き荒ぶ駅頭で震えながらのチラシ配布でした。次の出番のため市役所第一会議室で待機する職員に10件目の回収を報告した時の大歓声や涙ぐむ職員を目の当たりにして、職員が一丸となっての課題解決に取り組む姿勢に感動しました。今でも当時のメモや記録に目を通すと、あの時の情景がよみがえります。

この事故を通して、ガソリンスタンドへの再発防止の指導や、防災行政無線の使い方、障がいのある人や外国人への伝達の仕方、広報車の広報の在り方等が課題となりました。

ガソリン混入の灯油の早期完全回収で、火災の未然防止にご尽力いただいた貫井北町の8町会・自治会、及び16事業所や消防団の活躍はまことに素晴らしいものがあり、消防署とともに小金井市としても、感謝状を贈呈させていただきました。

走り続けた16年(68)

ガソリン混入灯油の販売事故③

平成13年1月17日午後10時頃、貫井北町のガソリンスタンドでガソリンの混入した灯油を10人に販売したことが判明、購入者の分かる2件はすぐに自主回収されました。しかし、残る8件を回収するため市役所、消防団、消防署をはじめ、警察署も徹夜での対応となり、真夜中の消防車等での巡回広報活動や市の防災行政無線を使い、18日未明までに6件が回収され残りは4件となりました。

朝6時、巡回広報活動や防災行政無線等も再開。消防庁の働き掛けでテレビ、ラジオでの放送や、日刊各紙の朝刊に本件が掲載され、さらに、新聞折込みも行い、6時35分、7件目が回収され、残り3件になりました。

市役所始業の8時半過ぎ、各部・各課に割り振って集まった市職員80人が、徹夜で準備したチラシやポスターを持って、各自割り振られた区域の地図を頼りに戸別訪問に出ました。また、9時、北一会館に集まった貫井北町8町会の役員に状況を説明し、各町会各戸にチラシ配布や目立つ所へのポスター掲示を依頼し、50人の協力でこれもすぐに開始され、終日続きました。

10時半頃から消防庁、警視庁のヘリコプターによる上空からの広報も行われました。

覚知から12時間35分経過した10時50分、8件目を回収しました。

午後1時10分に9件目を回収し、残りは1件になりました。

JR武蔵小金井、東小金井両駅では構内放送やポスターの掲示と駅頭でのチラシ配り、大型スーパーでの店内放送、商店会の街頭放送、郵便局や金融機関、大学の掲示板への掲示。また、バス停へのポスターの掲示など思い付くことは手当たり次第に行いました。

小・中学校へは教育委員会を通して生徒たちに伝達、保育園は子どものお迎えの保護者に状況の説明です。

夕方からは、JR武蔵小金井、東小金井両駅頭で消防車の広報と連携し、私も市職員と一緒に寒風吹き荒ぶ中、学校や勤務帰りの人たちへ集中的にチラシの配布を行いました。寒かった、本当に寒かったです。

今後の対応策を検討するため市役所に戻った私は、日付が変わる終電までのチラシ配りを視野に、市役所近くの食堂に特に営業時間の延長もお願いし、了解をいただきました。

市役所の第一会議室には交代要員の職員20〜30人が出番に向け待機しています。

市長室で対応策を話し合っているところに消防署から連絡が入り、武蔵小金井駅でチラシを受け取った人が帰宅後にそれに気付き、「もしかしたら自分が購入した灯油ではないか」との電話が入ったことから、即、署員を現場に確認に行かせたとのことでした。

すぐに連絡が入り、21時、10件目の確認ができ、回収したとのことでした。待機している職員にそれを報告すると、第一会議室は大歓声に包まれました。

その後、外で活動してる職員や、協力いただいている各団体等に報告とお礼の連絡、市民には消防車等を使って結果報告を果たし、日付が変わる前に、私も爽やかな気分で家路につきました。

(つづく)

走り続けた16年(58)

財政健全化への闘い その2③

小金井市の財政を長年にわたって苦しめてきたのが人件費です。

その原因は昭和50年前後の革新市政の大量職員の採用にあります。その職員数、人件費、そして、一般会計に占める人件費比率の全国順位等の推移を節目の年度で追って比較してみます。

私の知る最も古い統計は市制施行10年後の昭和43年度からです。人口は約8万7千人、職員数は564人、人件費は5億3千400万円で、人件費比率は27・8%でした。

革新市政がスタートする前年の昭和45年度は職員662人、人件費は8億7千400万円、人件費比率は30・7%でしたが、3年後の昭和48年度に大きな変化が生じました。職員は1千75人と千人を突破し、人件費は22億2千400万円、36・7%と急速に増加しました。

さらに、翌、昭和49年度は職員1千126人、33億200万円で44・8%となり、その2年後の昭和51年度は1千111人、40億4千600万円で、人件費比率は45・2%となりました。

その結果が、昭和52年11月24日の日本経済新聞に、同社が昭和51年度決算を独自の調査をもとに全国644市の財政分析を行い、そのランキングで小金井市が人件費比率ワースト1位であると、1面と12・13面の見開きのページで報じられました。

その後もワーストは続き7年連続となり、市政は人件費地獄に陥ったのです。

昭和60年度は私が市議会議員になった年で、職員は1千25人で67億3千800万円で39・2%と40%の大台を切りましたが全国順位は下から2番目でした。

私は、1期目の4年間で職員千人以下にすることが目標でしたが、議員の立場ではこれが果たせず、千人を下回ったのは平成7年で、職員削減の難しさを実感しました。人件費比率は、蛇の目工場跡地を取得し、予算規模が膨らんだ平成4年度を除いて、28年間40%台から30%台が続きました。そのうち、平成6年度から9年度までの4年間は人件費が100億円を超えました。

私が市政を引き継ぐ前年の平成10年度は、職員数892人で人件費は98億8千300万円で比率は32・3%、全国ワースト16位でした。最重要課題である財政再建のため行財政改革に全力を注ぎ、4年後の平成14年度は職員808人、88億6千400万円と減じ、比率は29・7%とやっと30%を切り、全国順位は下から23番目となりました。

平成20年度は職員752人で78億8千400万円で80億円を切り、比率は23・9%で下から156番と少しずつその成果が顕在化してきました。

平成22年度は709人の職員で人件費は75億6千700万円で、比率は19・9%と初めて20%を切り、順位は下から165番目になりました。

私の最後の年になった平成27年度決算では、職員は661人(育休代替職員17人を除く)となり就任時より231人の減員で、人件費は当初の99億円から59億9千万円まで減額することができました。

人件費だけを比較すれば、この1年だけでも約39億円の支出減となり、大きな財政効果を生み出したことになります。人件費比率は15・3%と就任時の半分以下になり、全国ランキングでも770市の中で389位と、辛うじて真ん中より上になり、長い間の人件費問題の呪縛が解かれました。

(つづく)

走り続けた16年(54)

苦闘する庁舎問題⑳

2年前の市長選挙の争点はやはり庁舎問題でした。

西岡真一郎市長の市長選挙における法定ビラ2号には、「平成4年に蛇の目ミシン跡地を約120億円で購入したのに新庁舎を建設せずに家賃がかかるリース庁舎(第二庁舎)を使い続け、突如としてリース庁舎を購入する案を示し、すぐさま撤回するなど迷走が今も続いています。」とあります。この文言を信じて選挙した有権者もいたことでしょう。

しかし、これは当時の状況を的確に把握して判断した、責任あるものとは思えません。

庁舎建設予定地として蛇の目工場跡地の取得には、なけなしの40億円の基金(貯金)をはたいて頭金にし、残り80億円は市に代わって小金井市土地開発公社の借金により取得したものです。

その後、バブル経済が崩壊、市税収入が激減する中で、社会保障費は増加の一途となり、庁舎用地取得の年賦に大久保市政は非常に苦慮してきました。

そのような中で、平成7、8年度は市の財政構造の弾力性を示す経常収支比率が、全国660余市の中でワースト1位になるほど最悪でした。そのため、平成9年度は定年等で退職する職員の退職金の財源も完全に枯渇し、全国にも例のない借金(退職手当債)で支給するという事態にまでなりました。

さらに、同年度は蛇の目跡地取得の年賦も返済不能に陥り、平成10年度も同様に元金を据え置き、利息の1億円だけを支払うという状況でした。

平成11年4月、私が市長に就任した時、蛇の目跡地の残債は約50億円でした。そこで、返済期間を平成23年度までに5年間延伸し、年賦金の4億6千万円を3億5千万円に減額してもらい、返済を再開しました。

当時、庁舎建設に認められる起債(借金)の充当率は50%であり、建設費の半分の基金(貯金)の確保が必要でしたが、小金井市の庁舎建設基金は僅か44万8千円でした。また、自治体が計画的な財政運営をするため、財源に余裕がある年に特に目的を定めず積み立て、必要な時に取り崩せる財政調整基金は70万7千円でした。

この様な財政状況から庁舎建設は到底手の届くものでないのは、市政を知る誰もが分かっていたことです。

「リース庁舎を使い続け」と批判されますが、リース契約では期限の平成15年末の3年前に、その後、市が使うか否かを信託銀行側に伝える必要があり、平成12年度、議会に対し、市財政の現況から他に選択の余地はなく、契約期間を5年に短縮して更新することを説明しました。当時、市議会議員だった西岡氏にもご理解をいただいたものでした。

西岡氏は平成9年から平成17年まで市議として、大久保慎七市長の政策を支える与党の立場にあり、その後も責任ある市政の一端を担い政策を推進する立場にあっただけに、冒頭の法定ビラの主張は理解に苦しみます。

また、リース庁舎(第二庁舎)取得については種々の厳しい条件が整ったことからの提案であり、小金井市にとって、議会の判断によりリース庁舎を継続せざるを得ないのが非常に悔やまれます。

(つづく)