走り続けた16年(117)

市議会議員、そして、市長として④

小金井市は市民の所得が多いことから、一人当たりの個人市民税は常に全国でもトップクラスにあります。しかし、公共施設の不足など市民サービスは、近隣市と比較しても大きく見劣りする状況が長い間、続いていました。市民の納めた税金がきちんと市民に還元されてないということです。これは、昭和46年から53年までの8年間の革新市政による大量職員の採用により、人件費が大幅に増大したことに起因するものです。そのため、昭和50年代の10年間の人件費比率は全国ワースト1位を8回、2位、3位を各々1回と惨憺たるものでした。市民のための市政ではなく、職員のための市政になっていたのです。

地方公務員である職員の身分は非常に手厚く保護されており、一度採用したら定年まで勤めることになり、人件費を削減することは非常に難しいのです。そのため、人件費による財政難は私が市長になる平成11年まで延々と続いていました。

昭和60年の小金井市議会議員選挙では財政再建のための行革を訴えた候補者の多くが当選しました。私もその一人であり4月5日から議員としての活動がスタートしました。

そして、5月26日の保立旻市長の2期目の市長選挙が目前に迫っており、そのための準備に追われました。

市長選挙は共産党が推薦し、社会党が支持する革新候補との一騎打ちとなりました。

保立市長の掲げた選挙公約の第一は行財政改革の推進であり、民間活力の導入による職員数の削減でした。相手の革新候補はバラ色の選挙公約でしたが、市民は市議選に続く選挙ということもあり、市政の状況を正しく理解され、過ちは繰り返されませんでした。選挙結果は保立旻候補が1万8千700票、相手候補は9千700票と、革新が強いといわれる小金井市ですが、ほぼダブルスコアでの当選を果たしました。

そして、5月28日保立市長の2期目の登庁となりました。それを迎えるのが「西の京都、東の小金井」と表される強力な職員組合の手荒い歓迎でした。

保立市長の1期目は、職員の退職に伴う欠員の補充を抑制し、職員削減を進めてきました。そして、選挙直前の昭和60年3月末の60歳定年制の実施による職員37人の大量退職で出た、その欠員を新規職員の採用で埋めさせることが組合の運動でした。市長が決まるまでの間の休戦が解けて、労使の激しい戦いが始まりました。

先の市議選で当選した与党議員の全てが財政健全化のための行財政改革を主張し、保立市長の選挙公約も同様なので市の進むべき方向は定まっています。

私も、職員組合が強いのは知っていましたが、市長に対し一職員が罵倒するなどという常軌を逸した労使関係が続いていたとは思いもしませんでした。

人員問題の労使交渉が開始されるに当たって、保立市長から私に「連絡の取れるところにいてほしい」と要望されました。当時は携帯電話のない時代ですから、自宅か議会の控室で待機するかで、素早く対応ができることから市役所にいることにしました。そこで、市民の目の届かないところで反社会的団体を思わせるようなすさまじい光景が展開されていたのです。

(つづく)

走り続けた16年(116)

市議会議員、そして、市長として③

本来、住んでいる自治体によって市民サービスに優劣があってはならないことです。

昭和59年度一般会計決算は小金井市民一人当たりの個人住民税が651市で5位、多摩地域では武蔵野市に次いで2位の納税をしながら、市民サービスは近隣市と比較して大きく劣っていることに市民は怒らなければなりません。まして、その原因が人件費にあり、その比率41・2%は全国ワースト1位なのです。市民のための市政とは到底いえない行政が長い間続いていたのです。この状況を打破するため、昭和60年に予定される市議会議員選挙に、立候補する決意をしました。

昭和58年の土屋正忠氏の武蔵野市長選挙や、就任直後、大混乱の中での高額退職金是正の公約を果たす土屋市長の言動を目の当たりにし、私は市政は変えられるし、小金井市政も変えなければならないと確信しました。

小金井市に転入し10年が過ぎたとはいえ、親戚一軒友人一人いない町に越してきての選挙は厳しいものがありました。相談する人もいない中、ひとりで決断するのです。

昭和60年の新年を迎えるに当たり、その年賀状に立候補を決意したことを表す文言を記載しました。しかし、それを投函する勇気が出ず毎日年賀状とにらめっこが続きました。そして、元旦に届くタイムリミットの日、もう後戻りはできない、と自らに言い聞かせ、ポストに入れました。

新しい年を迎え、地域の有力者や市内4か所に加入している商店会の役員を訪ね、私の考えに理解を求めることから始めました。知名度が全く無く、話を聞いてもらえれば上出来と言う状況でした。その様なとき、市議会議長も務められ、地元で非常に信頼の厚い大久保耕吉氏の支援が得られたのです。

大久保氏からは「稲葉さんは地元に溶け込んでいます。郷土を愛する若い政治家が育つことに期待しています。緑町の地域代表として頑張って下さい」とのメッセージはすぐにリーフレットに使わせていただきました。

また、2年前に武蔵野市長に就任し、飛ぶ鳥を落とす勢いの土屋正忠氏の応援もいただくことで泡沫候補からは脱却しました。

私の選挙公約は行財政改革が主体です。それは、職員定数の削減、給与制度の是正、業務の民営化の推進、昼休みの窓口業務の開始等、活力ある市役所づくりです。また、三鷹—立川間の高架化や駅周辺整備など街づくり、教育や環境問題、そして、情報公開を積極的に行うことを約束しました。

自分の日頃の持論をマイクを通して言えることは大変に気持ちの良いことですが選挙の結果については非常に不安でした。多くの候補者の選挙戦での訴えは行財政改革でした。

選挙戦残り1日となった金曜日夜、土屋市長と票読みをしました。少ない票田を積み上げた結果、1千150票で中位で当選と判断しました。その時の土屋市長のメモは今でも大切に保管しています。

3月31日が投票日、翌日4月1日の開票で、私の得票は1千151票、19位で当選させていただきました。

市議選が終えて間もない5月は市長選挙です。自らの公約実現には保立旻市長の再選がどうしても必要です。

(つづく)

走り続けた16年(110)

これでいいのか小金井市政⑤

平成31年度一般会計予算等を審議する、最も重要な平成31年第1回市議会定例会が2月20日に開会され、「市長に支給する給料を減額する条例」を西岡真一郎市長は提案しました。これは「社会福祉委員への報酬の誤支給に係る一連の事務手続きに関して適切さを欠いたことに対して、市政執行の最高責任者としての責任を明確にする」というのが提案の理由ということです。

誤支給が公になった昨年の第1回市議会定例会で、その議論の結果、法に基づく監査請求や市議会での事務検査が、議会の議決を経て実施されました。

監査委員の監査報告も議会での事務検査の報告も、非常に厳しく指摘する内容となり、それを受けて西岡市長自らの減給条例提案となったものです。

しかし、その提案理由は「市政執行の最高責任者としての責任」としていますが、これは職員の適切さを欠いた行政執行に対し、市長が責任を取るというのが一般的なパターンであり、今回はこのケースは該当しないと思われます。それは、市長自らの政策判断の過ちによる、責に帰する問題だからです。

それは、社会福祉委員に対して条例で定めた額より少ない額での誤支給が分かっていながら隠蔽し支給を継続する中で、虚偽公文書作成・同行使罪の構成要件に該当すると思われる行為を指示した市長の責任は極めて重いものと言わざるを得ないのです。

西岡市長は昨年の第1回定例会で、この誤支給が問題化されたことから5%の減給条例を提案しましたが、その後、撤回しました。そして、今回は減給率を30%にアップしての提案となりました。

提案に当たって、最高の減給率だと説明されたとの声が漏れ伝わってきますが、昭和61年第4回定例会で、当時の市長は中間処理場の管理運営や、児童措置費の改正問題に関し、その対応に慎重さを欠いたことを反省し行政運営の最高責任者としての責任を明確にするため、給与を40%減額しています。

また、本年豊島区議会第1回定例会で、高野之夫区長は、職務外での犯罪で逮捕された職員を懲戒免職にするとともに、区長が関わることは全くないが、区長としての監督責任を痛感している、と区民に謝罪し、区長の3月の給料を50%減額しています。

この種の減給に係る議案は本会議で即決するのが慣例ですが、市長から監査結果等を受けての説明がされないこともあり、今回は総務企画委員会に付託され委員会での質疑後、可決されています。

私は、この30%が高いか低いかの判断に迷うところですが、減給条例を出したからいいのでなく、市長自身が犯した過ちに対して、市報等を使ってでも市民への率直な反省の言葉が必要ではないかと思うのです。

職員等が行政を執行するには法律や条例等に基づいて行うのが公務たる基本であり、今回のこの事案はそれに反する行為で極めて残念なことです。また情報公開の立場からも、隠蔽していたその態様は市民への背信行為ではないでしょうか。

(つづく)

走り続けた16年(107)

芳須仙吉さん死去

芳須仙吉さんが、本年1月2日、静かに百歳9か月の人生に幕を閉じられました。

芳須家とは奥様のスギさんが生け花の先生であったこともあり、長い間、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。

芳須さん宅での話の中で、この自宅と前にあるアパートを土地付きで寄付したいと言われたのです。場所は東町1丁目の東センターのすぐ東側です。鉄筋3階建てのアパートには居住者もいて、そのままでは無理なので寄付していただけるなら更地でお願いしたいと申し上げました。芳須さんは、アパートの居住者との契約を解除し、ご夫妻は青梅慶友病院に入院され、木造2階建ての自宅とアパートを解体し、更地にして平成27年6月小金井市に寄付されました。解体費用ぐらい市で負担すべきという声も聞こえ、心苦しい思いでしたが、芳須さんは快く私たちの要望を聞き入れてくれて実現しました。

その時の芳須さんの希望は、ご自身が生れ育った小金井市のために、大勢の高齢者が集い憩う施設で、子どもたちも気軽に来られる賑わいのある施設にして欲しいということでした。私は、その希望に沿った計画に入るには5年ぐらいの年月が欲しいと申し上げました。そして、芳須さんご夫妻からの寄贈を後世の人々にも理解してもらうため、敷地内に石碑を建てることを約束していました。

芳須仙吉さんの葬儀は、1月7日太陽寺において、バイオリンが奏でられる音楽葬で、しめやかに営まれました。ご本人のたっての願いで、お身内だけの限られた方々での葬儀でしたがお声掛けをいただき、私も参列させていただきました。

棺を覆うにあたり、一枚の水彩画を手渡され棺に入れてほしいとのこと。それは桜の大木の幹を描いたもので、一目で芳須さんの作品と分かるものでした。とっさに、この絵を高齢者施設が完成したらそこに飾りたいと思ったのですが、遺品を欲しがってるようなので諦めました。今では、事情を話して保管しとくべきだったと悔やんでいます。

芳須さんは、戦争中南方の島で23人の戦友を失い、ご自身を含め4人が生き残り、自らも砲弾の破片を体に抱えていたようです。そのため、世界平和を強く願い、昨年6月の米朝首脳会談の実現を喜んでいました。

帰国後、スギさんと結婚し幸せな家庭を築かれ、老後はお互いに趣味等を楽しむ生活を送られていました。

平成23年7月、一見ホテルを思わせる施設の慶友病院にご夫妻で入院、行き届いたサービスにより快適な日々を過ごされていましたが、奥様のスギさんが平成25年4月、その慶友病院で逝去されました。それでも、気丈に病院での生活を楽しんでおられました。

亡くなる2〜3週間前、小金井観光まちおこし協会の発行した写真集『昭和の小金井』を持ってお見舞いに伺ったのが最後になりました。その写真集にいろいろな印が付けられていたとお聞きし、今と昔の懐かしい小金井の街の写真を御覧になっていただけたと思うと嬉しくなりました。

「これでいいのか小金井市政」は、市議会終了まで休みます。

走り続けた16年(106)

これでいいのか小金井市政④

平成5年9月議会で議決された条例に反して、社会福祉委員の報酬が24年間、減額され誤支給されていたことが平成29年5月16日に発覚しました。平成30年第1回定例会において、その過ちを西岡真一郎市長は9か月間も隠し続ける中で、是正するための一連の事務手続きが法律、条例、規則に反していたと市議会が判断し、法に基づく監査委員への監査請求を議決しました。その監査結果が平成30年5月31日、市議会に通知されました。

また、法に基づく事務検査を議決している市議会は、この監査結果を参考に、総務企画委員会において7回の検査を行いました。平成30年12月その事務検査の結果報告書が市議会で全会一致で可決されました。

その内容は、1、市長は事件発覚後も、顧問弁護士等の指摘に反してまで事務執行を行うことの理由がなく、地方自治法、地方公務員法に反するものであり、地方公共団体の統括代表権及び管理執行権限を有するものとして、到底、許される行為ではない。2、虚偽公文書作成・同行使罪については、監査報告では罪の構成要件に該当する可能性はあるかもしれないが、犯罪の成否を決定するのは刑事裁判所の専権事項であるとして、その成否の明言を避けているが、それを受けて市議会も、罪の構成要件に該当する可能性があった、と指摘するに止めています。3、市長は本件の是正策として社会福祉委員に債権放棄を依頼することとしたが、この一連の事務手続きにおいて起案文書が存在しない。これは明らかに、事業の処理は文書による、とする文書管理規程に反するものである。4、社会福祉委員に対し、債権放棄の文書を提出させた責任について監査では、市長の裁量の範囲内であって違法・不当とは言えないとしているが、市議会は、市の施策として適当とは言えず不適切な事務執行であったと言わざるを得ない、としています。5、監査結果は、発覚後、直ちに市議会及び監査委員にも報告して、対応策を共に検討すべきだったとし、市議会も同様の見解を示しています。

この問題は隠さず公にすれば、条例の改正案提出の前段階から発覚するまでの間の私を含む歴代市長、全市議会議員、全監査委員及び全関係職員の責任で済んだものを、隠したため問題を大きくしてしまいました。

市議会の事務検査の最後で、市長をはじめ幹部職員に法的視点が欠如しているのではないか、とし、研修の必要性を指摘しているが、今回問題になった法律や条例等は地方公務員にとっての〝いろは〟であり、これを理解していない幹部職員は一人もいないと言えます。それなら何故この様な事案が起こったのか、それは、市長が情報の隠ぺいを計るという判断の誤りに尽きると思われます。

昨今、国の行政への信頼が大きく揺らいでいます。それが私たちにとって最も身近な市政においても情報が操作されていたことに憤りを感じます。

回の事案の端緒は稀有な出来事ですが、この一連の事務処理は小金井市政に大きな汚点を残したと言わざるを得ません。

(つづく)