走り続けた16年(85)

今、市制で何が

平成30年第二回(6月)定例会は会期を8日間延長し7月3日終了しました。焦点の一般会計補正予算は付帯決議の可決を踏まえて可決されました。

この補正予算の主たるものは、平成33年度末の竣工を目指すとする新庁舎、(仮称)新福祉会館の建設設計委託料約7千400万円と建設管理委託料約6千万円の平成30・31年度の債務負担補正が計上されたことです。

西岡真一郎市長は、定例会前の記者会見で新庁舎、(仮称)新福祉会館建設については市民説明はおろか、まだ議会の理解も得られていない不確定な段階で、完成イメージ図まで示し平成33年度竣工と発表、新聞でも大きく報道されたことに、市長の前のめりの市政に不安を感じました。

西岡市長の市長選挙の公約は「(図書館を含め)6施設を集約し、改修費&維持管理費の削減で新たな市民サービスの財源にします」とし「建設は67億円で新たな市民負担はない」と訴え当選しました。就任の初議会で「これが直近の民意であり、それを果たすのが私に与えられた使命である」と高らかに宣言しました。

それが、5月に選挙公約や議会発言を破棄し「(図書館を除き)庁舎と福祉会館等の早期実現を優先することを、私の揺るぎない方針とする」と変更。

さらに、10月には「ゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民、議会、行政が一体となって進む方向を定めます」との公約の白紙撤回となる市長発言を聞けば、何を信じればいいのか疑問を持たざるを得ません。

そして、今回は図書館建設や諸課題を先送りし、建設費は90億円で平成33年度末竣工予定で、このための起債(借金)は58億円とのことです。この選挙公約の変遷や、新庁舎、(仮称)新福祉会館建設の複合化について、市長には市民への説明責任があります。

今定例会での補正予算の採決は、賛成18、反対5で可決されました。しかし、賛成の18人の内の14人は、付帯決議の可決により賛成したものであり、原案に問題なしとしての賛成は4人だけということになります。

その付帯決議の内容は1、新庁舎、新福祉会館建設にあたり、設計と施工を一括発注するDB(デザインビルド)方式で行うことが、コスト高や契約・発注の透明性に欠けるとのことから従来の発注方式を選択すること。2、市の複合施設に係る基本方針や庁内のICT(情報通信技術)整備方針及び防災整備方針を早急に作成し、合意形成を図る。3、経費削減から清掃関連施設の暫定移設の再調整。4、財政計画の精査。5、市民への説明責任を果たす、等7項目になります。市長は予算委員会等で適切に対応する意向を示していますが、これは、計画の全面的な見直しになると思われます。

二元代表制の議会は市長の付属機関ではなく、行政のチェック機関です。あまりにも不確定な現況での進捗に、議員も市民への説明に苦慮するのではないかと思います。市長には、市民代表である議員の理解が得られるような行政運営を望みます。

(つづく)

走り続けた16年(84)

目黒女児虐待死事件①

乳幼児への虐待が後を絶ちません。何ら抵抗する術を持たない乳幼児が遺棄されたり、虐待を受け死にいたる事件が報道されます。それは、暴力であったり、食事や衣類の世話を怠ったり、長時間放置したりする育児放棄(ネグレクト)の虐待もあります。
その中で極めて痛ましい事件が6月6日に発覚しました。本年3月、目黒区で起こった女児虐待死です。

5歳の結愛(ゆあ)ちゃんはひとり、家族とは別の部屋で生活させられ、満足に食事も与えられず、父親に顔などを殴られるなどして、死にいたらしめられた事件です。毎朝4時頃に自らセットした目覚まし時計で起床し、室内灯も暖房もない部屋で平仮名の練習をさせられていたとのことです。そのノートには両親に許しを請う、悲しい言葉が記されていました。

もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから やめるから もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします あしたのあさはぜったいにやるんだとおもって いっしょうけんめいやるぞ(読売新聞から引用)

あの愛らしい写真とこの文章を読む度、胸が締め付けられる思いになります。
この事件を風化させてはなりません。児童相談所(児相)には、目立つ場所にあの愛らしい写真とこの文章を掲げてほしい。

結愛ちゃんのSOSの悲痛な心の叫びに児相や警察が度々かかわっていたにもかかわらず、なぜ救えなかったのか。対応できなかった大人社会の責任も痛感します。

私もいたたまれず、6月11日の午後、目黒区の結愛ちゃんの住んでいたアパートを探し、ご冥福をお祈りし、花を手向けてきました。私の育ってきた境遇に似ているところがあるのです。

結愛ちゃんには、天国で美味しいものをおなかいっぱい食べて、たくさんの友達をつくって、あきるほど遊ばせてあげたい。

私は市長時代、学校や保育園、学童保育所や児童館などで、子どもが家庭等での、虐待が疑われるような状況があったら、私が責任をとるから隠さず表に出すようにと指示しました。また、新生児検診や定期検診を受けない子どもには追跡調査をし、安否等の情報を確認させました。それは、受診しないことに問題が隠されている事例があるからです。

児相、警察、病院そして、自治体が連携、情報を共有し、疑わしきを放置してしまうのでなく、安全が確認できるまで執拗に対応する必要があります。このような辛く悲しい事件を二度と起こしてはなりません。

(つづく)

走り続けた16年(83)

置き去られた乳児⑥

Aちゃんの1歳の誕生日が過ぎ、6月の市議会定例会の直前に坂田米子福祉推進課長(後に小金井市初の女性部長)と乳児院に面会に行きました。

いつも受付で大歓迎されるのが、その日はなぜか職員の対応がぎこちないのです。これまではすぐに通されたのが「少しお待ちください」と言ってその職員は受付から引き込んでしまいました。

戻ってきた職員は、「申し訳ありませんが、お会いにならないでいただきたいのです」と言うのです。私は驚きました。怪我をしたのか、病気なのか?当然「どうしてですか」と聞くと、職員は申し訳なさそうに「実はAちゃんを養育してくださる方が決まりました。面会にも度々来られ、相手の家にお泊まりに行ったりして、Aちゃんもなついてます。ここで、お二人にお会いするとAちゃんが混乱してしまうのではないか」との心配からの対応でした。

Aちゃんは平成16年3月12日に生まれ、1週間後の19日(金)夜、本町5丁目の教会玄関前に遺棄されました。翌20日小金井警察署から連絡があり、病院で初めて面会しました。その後、私は職務として苗字と名前をつけ、本籍を定め出生の手続きをしました。また、乳児院に移ってからも一人の面会者もいない彼女の面会を続け、祖父母らしき対応をしてきた私たちは、このまま会わないで帰ることにはならないのです。

私は、「どうしても最後に一度だけでも会わせて欲しい」とお願いしました。

職員は再度の打ち合わせの後、「大変失礼しました、どうぞお会いしてください」と言っていつものプレイルームに通されました。後はいつも通りです。職員から「Aちゃん、おじいちゃんおばあちゃんですよ」と入ってきて抱いた腕から下ろされ、よちよち歩きで近付いてきました。そして職員が「Aちゃん、ぎゅうしてあげて」と言うと、Aちゃんは両手を差し出す坂田さんの首に抱き付きました。暫くして「おじいちゃんにも」と言われて、私の番が回ってきました。これが最後だと思うと辛く寂しく複雑な気持でした。

元気で可愛いAちゃんの里親を希望する人は多く、その中から、選ばれて「特別養子縁組」が決まりました。

Aちゃんは現在14歳、中学3年生になっています。一般的に16歳から18歳くらいまでに他から耳に入る前に、養父母から出生の事実が告げられるようです。その時の養父母の気持ち、それを聞くAちゃんを考えると辛くなります。

事情を知った子どもは養父母と乳児院を訪ねるようです。

Aちゃんが乳児院を訪ねると、そこに保管されている彼女の所持品から、私や坂田さんの存在を知ることになります。その時、私たちを訪ねて来てくれることを願うのです。

Aちゃんを遺棄し、罪の呵責に常に苦しんでいる母や、彼女の誕生すら知らない父が誰なのかを知りたくなることでしょう。

彼女には、この世に生を受けたことに、感謝の人生を送ってくれることを切望します。

私も彼女と再び会えることを心待ちに、その時まで元気でいたいと思っています。

(つづく)

走り続けた16年(82)

置き去られた乳児⑤

Aちゃんの母が妊娠していると気付いたのは、父となる人と別れた後であり、誰にも相談することもできず、悩み苦しんだ末一人で出産しました。

そして、Aちゃんは生まれて7日後の平成16年3月19日夜、本町5丁目の教会の玄関前に遺棄され、すぐに救急車で病院に運ばれましたが、元気で1週間後には退院し乳児院に移りました。

その乳児院は児童養護施設と併設されており、種々の事情により家庭で養育できない18歳までの子どもたちが整備された環境の中で生活していました。しかし、その中で親や親族が分からないのはAちゃんだけなのです。そのため、Aちゃんへ面会に来るのは私たちだけなのです。私は時間の都合が付く限りAちゃんに面会するようにしました。

子どもの成長は早いものです。ましてや月1回ぐらいの面会は、会う度ごとに大きな成長が確認され、私を楽しませてくれました。

それは、寝返りをする、お座りができる、這い這いをする。また、掴まり立ちし、そして、一人歩きができる、等々です。子どもの成長を早回しのビデオでも見ているようでした。

私がAちゃんに面会に行く時は、福祉推進課の坂田米子課長(後に小金井市初の女性部長)に多く同行してもらいました。坂田さんはいつも何らかのプレゼントを用意してくれていました。

私もAちゃんに手紙を書いたり写真を撮ってアルバムにしたり、プレゼントをさせてもらいました。

また、当時の大久保伸親副市長や坂田さんの職場の仲間たちからのプレゼントもありました。そのひとつに、「天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に 生まれたる我が子 祈り込め育て…」の歌詞で始まる、夏川りみさんの「童神」(わらびがみ)のCDも含まれていました。

Aちゃんに面会する度、その成長を見て、今後どうしていくべきか考え悩みました。それを知る知人たちからは私が里親になって引き取ればいいのではないかと言われ、家族とも考えましたが、自分の年齢などを考えればそれは無理でした。

里親制度は、さまざまな事情により家庭での養育が困難で受け入れられない子どもたちを、温かな愛情と正しい理解をもった家庭環境で養育するもので、家庭生活を通して、子どもが成長する上で非常に重要なのです。特定の大人との愛情の中で養育を行うことにより、施設とは違った意味での子どもの健全な育成を図ることになります。

また、里親制度には実親との親子関係を存続したまま、養親との親子関係をつくる「普通養子縁組」や実親と暮らせない子どもが、血縁のない夫婦と親子関係を結ぶ「特別養子縁組」等があります。これは、普通養子縁組と異なり、実親との戸籍は抹消されることになり、養子となる子どもの実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、実の子と変わらない親子関係を結ぶ制度です。これには、養親の年齢制限など細かな成立要件があり、家裁が決定します。

(つづく)

走り続けた16年(79)

置き去られた乳児②

今から14年前の平成16年3月19日の夜、本町5丁目の教会の玄関前に生後間もない乳児が遺棄され、救急車で病院に収容されました。遺棄された女の子は食欲もあり元気で可愛くて、その季節から看護師から「はるちゃん」と呼ばれて可愛いがられていました。私も病院で面会の度に抱っこさせてもらっていました。

戸籍法第57条によれば、遺棄された乳児が発見された場合、その地の首長は、氏名をつけ本籍を定めなければならない、と規定されており、私は苗字と名前を付け、本籍を定めさせていただき、届け出を済ませました。

警察が早く母親を見つけることを願っていました。警察は、母親が名乗り出るのを期待しながらも、防犯カメラの映像をチェックするなど内偵捜査が進められていましたが、なかなか捜査が進まないことから25日公開捜査に踏み切りました。私はAちゃんのお母さんを探すこと、警察は保護責任者遺棄容疑での捜査でした。しかし、母親を捜し出すことができませんでした。

Aちゃんは体調も良く、何の問題もなく1週間後、元気で退院し乳児院に移りました。

この時期は市議会定例会が開会中で、平成16年度一般会計予算が審議されており、23日の予算特別委員会(予特)の採決では可否同数となり、委員長裁決で予算が可決されました。そして、最終本会議は予特で賛成票を投じた委員長が加わることから可決されるものと信じていたものが、25日朝、予特で賛成した一議員から「予算には賛成できない、退席する。」という内容の電話でした。私は驚き懸命に説得したが無駄でした。議長を除く23議員で一人退席すれば予特の結果から、11対11と賛否同数になり議長裁決になります。議長は共産党であり、共産党は武蔵小金井駅南口の再開発や東小金井駅北口の区画整理などの街づくりに反対であり、予算は否決されてしまうからです。大久保伸親副市長をはじめ管理職も八方手を尽くしたが、当該議員の意思は変わらず予算は否決され、4、5月2か月の暫定予算となりました。

予算否決により小金井の街づくりは完全に暗礁に乗り上げてしまいました。そのストレスからか胃潰瘍で苦しむことになりました。

その様な混乱が続くことから私は、Aちゃんの件に関しては、福祉推進課長補佐の坂田米子さんに対応してもらうことにしました。(坂田さんは数日後の4月からは課長となり平成19年4月からは収入役に代わる会計管理者として、小金井市初の女性部長になりました)

また、その後、5月の市議会臨時会でも予算が否決され、私は、南口の再開発等に関し「市民の信を問う。」と市長を辞職して再選挙に臨みました。この件に関しては後日詳しく報告いたします。

当時、私にとって乳児院でAちゃんに会うのが大きな楽しみになっていました。

(つづく)