走り続けた16年(55)

苦闘する庁舎問題㉑

一昨年12月の市長選挙で当選した西岡真一郎市長は新庁舎等の建設問題について、選挙公報で「蛇の目跡地に6施設を集約して改修費&維持管理費を削減し、新たな市民サービスの財源にします。」と公約しています。

「6施設とは本庁舎、第二庁舎、本町暫定庁舎、福祉会館、前原暫定集会施設、そして図書館の6施設を集約して建設する」というもので、建設は、67億円で完成でき、新たな市民負担はなく、財政問題と切り離してできるというものでした。6施設といっても実質は、庁舎、福祉会館そして、図書館ということになります。

就任した西岡市長は1月の初議会で「6施設複合化は直近の民意であり、市長選挙に掲げた政策をご信任いただいた以上、それを果たすことが何より重要なことで、私に与えられた使命であり、何としても果たしたい。」と公約の実現を力強く宣言しました。

しかし、5月にはその公約や発言を撤回し、図書館等を除いた「4施設の早期実現を優先することを、私の揺るぎない方針とする。」と議会で明言しました。さらに、その4か月後の10月には「ゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民、議会、行政が一体となって、進む方向を定めます。」に変わりました。

その都度、発言の「言葉」は美しく力強いのですが、度重なる変更に、これが責任ある、誇りの持てる市政といえるのか疑問を持たざるを得ません。

公約の変遷について、市民に丁寧に説明する必要があるのではないでしょうか。

子どもたちが「選挙と政治」について学ぶ時、この様な選挙公約の変遷は教育上どのように教えられるのかも気になるところです。

現在、新庁舎と新福祉会館についての議論は進んでいるようですが、選挙公約の大きな目玉であった図書館の建設のスケジュール等、計画の具体化が全く見えません。期待の大きさから、これも早急に示す必要があるのではないでしょうか。

平成23年4月、佐藤和雄市長が市長に就任し、最初の定例会で選挙公約にある、「ごみ処理4年間で20億円のムダ使い」と主張した件や市民交流センターの取得について質疑が集中し、佐藤市長は公約の変更をしました。

定例会後、「民主党・社民クラブNEWS」が「平成23年第2回定例会(6月議会)報告号」として発行されました。その報告号では、「民主党・社民クラブは、佐藤市政の提唱する子育タウン・環境先進自治体(エコタウン)を目指す方向性は支持できますし、いたずらに市長と対立し、市民不在の不毛な争いを続け、市政を混乱させるつもりはありません。しかし、選挙公約は重要であり、就任して間もないにもかかわらず安易に変更するのは、市民有権者を愚弄した行為であると主張します。」と佐藤市長を厳しく批判しています。

私は、佐藤市長のムダ使いの選挙公約変更に対する、民主党・社民クラブの議員の主張は一定の見識であると思います。ただ、それは、誰が市長であっても同じことが言えるかが問われることになります。

(つづく)

走り続けた16年(54)

苦闘する庁舎問題⑳

2年前の市長選挙の争点はやはり庁舎問題でした。

西岡真一郎市長の市長選挙における法定ビラ2号には、「平成4年に蛇の目ミシン跡地を約120億円で購入したのに新庁舎を建設せずに家賃がかかるリース庁舎(第二庁舎)を使い続け、突如としてリース庁舎を購入する案を示し、すぐさま撤回するなど迷走が今も続いています。」とあります。この文言を信じて選挙した有権者もいたことでしょう。

しかし、これは当時の状況を的確に把握して判断した、責任あるものとは思えません。

庁舎建設予定地として蛇の目工場跡地の取得には、なけなしの40億円の基金(貯金)をはたいて頭金にし、残り80億円は市に代わって小金井市土地開発公社の借金により取得したものです。

その後、バブル経済が崩壊、市税収入が激減する中で、社会保障費は増加の一途となり、庁舎用地取得の年賦に大久保市政は非常に苦慮してきました。

そのような中で、平成7、8年度は市の財政構造の弾力性を示す経常収支比率が、全国660余市の中でワースト1位になるほど最悪でした。そのため、平成9年度は定年等で退職する職員の退職金の財源も完全に枯渇し、全国にも例のない借金(退職手当債)で支給するという事態にまでなりました。

さらに、同年度は蛇の目跡地取得の年賦も返済不能に陥り、平成10年度も同様に元金を据え置き、利息の1億円だけを支払うという状況でした。

平成11年4月、私が市長に就任した時、蛇の目跡地の残債は約50億円でした。そこで、返済期間を平成23年度までに5年間延伸し、年賦金の4億6千万円を3億5千万円に減額してもらい、返済を再開しました。

当時、庁舎建設に認められる起債(借金)の充当率は50%であり、建設費の半分の基金(貯金)の確保が必要でしたが、小金井市の庁舎建設基金は僅か44万8千円でした。また、自治体が計画的な財政運営をするため、財源に余裕がある年に特に目的を定めず積み立て、必要な時に取り崩せる財政調整基金は70万7千円でした。

この様な財政状況から庁舎建設は到底手の届くものでないのは、市政を知る誰もが分かっていたことです。

「リース庁舎を使い続け」と批判されますが、リース契約では期限の平成15年末の3年前に、その後、市が使うか否かを信託銀行側に伝える必要があり、平成12年度、議会に対し、市財政の現況から他に選択の余地はなく、契約期間を5年に短縮して更新することを説明しました。当時、市議会議員だった西岡氏にもご理解をいただいたものでした。

西岡氏は平成9年から平成17年まで市議として、大久保慎七市長の政策を支える与党の立場にあり、その後も責任ある市政の一端を担い政策を推進する立場にあっただけに、冒頭の法定ビラの主張は理解に苦しみます。

また、リース庁舎(第二庁舎)取得については種々の厳しい条件が整ったことからの提案であり、小金井市にとって、議会の判断によりリース庁舎を継続せざるを得ないのが非常に悔やまれます。

(つづく)

新しい年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族おそろいで、健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年は多くの自然災害により大きな被害が発生しました。災害のない平穏な1年であることを願うとともに、自分たちのまちは自分たちで守るという心構えも必要と考えます。

また、国際情勢の劇的な変化もありました。想定外の英国のEU離脱、米国大統領選にトランプ氏の当選等驚かされた1年でもありました。

世界各地で激しい紛争やテロが今なお続いています。シリアなど紛争地域からの報道は悲惨であり、被害者は常に子どもたちであり女性です。私たちは、シリア内戦等から目をそらさず自分のこととして捕らえ、世界平和のために何ができるか考えていきたいものです。

私は、4期16年の市長としての任期を終え、昨年2月から、市議14年、市長16年の30年間の体験を、本紙に『走り続けた16年』と題し寄稿しています。

これは、苦難の時代が長く続いていた小金井市の歩みを、市民の皆さんに忘れないでいてほしいのです。これからも、財政問題、街づくり、庁舎問題、ごみ問題等、今だから言えること、そして、市政の現状等をお伝えしていきたいと考えています。

本年は3月には小金井市議会議員選挙、6月か7月には都議会議員選挙が行われます。

また、いつ解散・総選挙になるか分からない衆院選も予想され、選挙の年となります。ここで最も重要なことは選挙公約です。選挙公約が直接投票行動につながるからです。

小金井市長選挙が行われて1年が経過しました。選挙の争点は庁舎問題でした。

西岡真一郎市長の選挙公約は市庁舎、図書館等6施設の複合化であり、新たな財政負担もない等のメリットを訴えて当選しました。

昨年1月、就任し最初の議会では「6施設複合化は直近の民意であり、市長選挙に掲げた政策をご信任いただいた以上、それを果たすことが何より重要なことで、私に与えられた使命であり、何としても果たしたい」との発言でした。

しかし、5月にはその公約や発言を撤回し、図書館等を除いた「4施設の早期実現を優先することを、私のゆるぎない方針とする」と議会で明言しました。さらに、その4か月後の10月には「ゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民・議会・行政が一体となって、進むべき方向を定めます」に変わりました。

その都度、発言の「言葉」は美しく耳に響くのですが、これが責任ある市政と言えるのか疑問を持たざるを得ません。

この様な状況を市議会がどの様に判断していくのか。また、市長の公約である「対話重視」は、どう具現化されたのかも問われます。

(つづく)

【今、市政で何が】

昨年末、12月20日の市議会本会議の市長報告で、西岡市長は新庁舎と新福祉会館は平成33年度完成との考えを示しました。しかし、福祉会館の建設場所は未定であり、移転を前提とする清掃関連施設の移転先についても、具体的には本年2月の第1回定例会に示すというものです。

2月の第2庁舎の賃貸契約更新に向けての協議や3月26日の市議選に惑わされず、慎重な対応を願います。

走り続けた16年(10)

財政健全化への闘い②

平成11年4月、私の市長就任時は、特に目的を定めず自由に使える財政調整基金は70万円でした。そして、課題の庁舎建設基金が44万円、職員退職手当基金が36万円であり、人口10万6千人(当時)の自治体が一般家庭の預貯金と比較できるような状況でした。

先の市長選挙の際、「平成4年に購入した土地に庁舎を建てず長期間放置し、目的外に利用してる」との批判がありました。それを信じた人もおられたことでしょう。

しかし、用地取得の借入金の返済は平成23年度にやっと完済したものであり、経営収支比率90%台の財政状況の中で、市民サービスの維持向上と借金の返済に追われており、庁舎建設の基金の積立ができるような状況になかったというのが実態だったのです。

それは、平成4年に市の要請を受けた小金井市土地開発公社が、起債(借金)で蛇の目ミシン工場跡地を庁舎建設予定地として98億6千万円で先行取得をしました。その起債の償還は市が分割で返済していたのですが、取得5年後の平成9年度にはバブル経済の崩壊もあり、毎年の返済額である4億6千万円の返済ができず、元金の残額である50億円は据え置かれたままで、年間約1億円の利息だけを納めるような状況でした。

私は、苦しい財政状況ではあるが、返済期間を平成18年度から平成23年度まで5年間延伸し、毎年、元金3億5千万円と利息を返済することにしたのです。

庁舎問題に関しては、ビジョンが示せず迷走し、その場しのぎだったとの批判もありましたが、市政をよく理解していただければ、その様な批判にはならないと思ってます。

私が市長に就任して最初の議会は平成11年5月11日の臨時会でした。これは、大久保慎七市長が、残り任期わずかとなった平成11年3月末に行った専決処分(本来、議会の議決を経なければならない事案を、地方公共団体の長が法の規定に基づき議会の議決の前に自ら処理すること)の承認を得ることでした。

その内容は、平成10年度の一般会計決算を、都の指導により形式的に赤字にしないようにするため、都からの急遽(きょ)の借入等の支援や公園整備基金からの借入、また、国民健康保険特別会計や下水道特別会計への繰出しを行わないことなどの予算措置を講じて、赤字を回避したのです。しかし、繰入のなくなった国保等特別会計は赤字となるため翌年度に予定される歳入を繰上げて充用するという措置を講じることになりました。

これらはすべて後年度負担となり議会からは厳しい指摘を受けましたが、私は、大久保市長のとった手法は財政状況を踏まえると止むを得ない判断だと答弁しました。本会議の採決の結果、議会の承認は得られました。

昨今、一部市民や議員から「崖っぷちの財政」と揶揄(やゆ)されることもありましたが、私は、昭和50年前後に崖下に転落し、その後、長い間暗い谷底をさ迷っていた小金井市の財政が、谷底からやっと陽の当たる崖っぷちまで這(は)い上がってきたのだと思っています。

財政の健全化などを見るときは、その時々の判断も必要ですが、継続的な視点で5年、10年、そして、20年前からの動向を見ながら判断する必要があると思います。

(つづく)

走り続けた16年(7)

東日本大震災が発生して5年が経過しました。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞申し上げます。また、原発事故等で避難生活を強いられている被災者の方々が一日も早く故郷の自宅に帰れることを願います。

平成23年3月11日午後2時46分、空前絶後のあの大惨事、どなたもあの日を忘れることはないでしょう。

その日の私の行動を追ってみます。当日は市議会予算委員会が本庁舎3階で開かれており、森戸洋子委員から、参院選挙に要する経費や家具転倒防止金具等の質問に対する私の答弁中に地震が発生しました。この地震の大きさから、休憩を遠藤百合子委員長にお願いし、委員会は休憩となりました。

議員や職員の退席を確認し、私は2階の放送室に入り本庁舎と第2庁舎に向けて「皆さん、大きな地震が発生しました、さらに大きな余震も想定されますので、エレベーターでなく階段を使って安全な場所に避難してください」と庁内放送を繰り返しました。私も本庁舎から出て、目に入った周辺の光景に大変驚きました。武蔵小金井駅南口の25階建てマンションが左右に大きく揺れていて、その揺れがなかなか止まらないのです。また、市役所に隣接するマンション屋上の大型受水槽のジョイントが破損し、大量の水が吹き出していて地震の大きさを物語っていました。

市役所は、本庁舎も第2庁舎も特に異常がないことを確認し、3時から緊急の臨時庁議(第1回災害対策本部)を開き、各部長に災害時マニュアルに基づく対応を指示し、1時間後に開催する第2回災対会議に報告するよう重ねて指示しました。各部署からの報告は、市内には特に大きな被害がないとのことでした。その後も災対本部を随時開くとともに、消防、警察署と連携し、情報交換を密にしました。

公共施設も含めて市内には大きな被害はなく、小・中学生の多くは既に下校しており、特段の問題のないことを確認。保育園児や学童保育の保護者は帰宅できず、お迎えが来られない子どもたちが多くでましたが、安全を確保し、空腹、寒さ、何よりも不安にならないよう対応をお願いし、帰宅できない子どもたちの宿泊の準備もしました。

武蔵小金井駅では特急列車が緊急停車し、乗客が降ろされたことなどから大勢の帰宅困難者が発生しました。この人たちは駅周辺の商業施設等で待機していましたが、夜になって各店舗が早めに閉店になったことから、店舗から締め出されてしまいました。

そこで、帰宅困難者の受入れ態勢を整えました。まず、前原暫定集会施設、次は商工会館、さらに第一小学校等を避難所として用意しました。ブルーシートを敷きその上に防寒用の毛布で寝られるように準備し、温かい食物等も用意しました。私も駅頭で広報車のマイクで誘導や現場での指示をしました。

日付が変わる頃、保育園と学童保育所の各施設や市内全域の状況を確認のため回りました。都心からスニーカーや自転車を買ってでも帰宅する保護者のお迎えは午前3時くらいまで続きました。私が現場対応の間、大久保伸親副市長を先頭に、全職員が持ち場持ち場で頑張り、各方面から多くの感謝の声が寄せられました。

(つづく)