走り続けた16年(38)


苦闘する庁舎問題⑨

私は、佐藤和雄市長の下で平成23年6月に設置された「新庁舎基本計画市民検討委員会」の答申を尊重し、「市庁舎建設基本計画」を作成しました。

この計画の不安材料は財源問題です。後年度負担になる34億円の借入金や10億円の一般財源投入などが、蛇の目工場跡地取得の時の借入金の返済が市財政を圧迫したのが私のトラウマになっていました。他市のように潤沢な基金(貯金)の裏付けがあってのことでなく危機的な財政状況の中での不安定なやり繰りでの計画なのです。

リース庁舎からの脱却を願う議会は、庁舎建設には常に積極的でした。そのため、予算を執行する責任ある立場の私は、それに流されないよう慎重な判断にならざるを得ませんでした。

新庁舎建設基本設計委託費3千291万円を含む平成26年度の一般会計予算は、賛成多数により議会の議決を得て、平成26年度がスタートしました。

そこに、大きな問題が派生したのです。

それは、平成23年3月11日に発生した数百年に1度ともいわれる大災害、東日本大震災の復旧、復興事業と平成32年の東京2020オリンピック・パラリンピックに向けての建設ラッシュが重なり、建築資材の異常な高騰、技能労務職者の不足による人件費の高騰が重なりました。

そのため、55億円で計画していた新庁舎の建築費は3割アップの70億円を超えることが想定されました。これは、前年の予算編成時から予想されていたものですがそれが現実になってきました。

そこで私はその動向を見定めるため、予算の執行を見合わせることにしました。議会では厳しい議論になりましたが、私は、再び蛇の目工場跡地の購入の轍を踏まないことを決意していました。

議会では、新庁舎建設の着手が遅れればリース庁舎の延伸につながり、地主と信託銀行を儲けさせるだけだとの議論もありました。

しかし、内情は全く別で、市と信託銀行の間では賃貸契約の契約期間が切れた後でも、契約期間と賃借料で厳しい交渉が続いていたのです。結局、この賃貸借契約に関しての交渉は、三菱UFJ信託銀行の担当トップと私との直接交渉になりました。

私が直接交渉に乗り出したのは、膠着状況にある交渉を打開することと、地権者と信託銀行が今後も信託契約を継続していく意思があるかどうかを探るためでした。

リース期間については市の主張が通り、新庁舎建設基本計画の庁舎完成時期を鑑みて平成30年8月末日までの4年8か月間で合意しました。しかし、金額は折り合えず、結局、議会の議決を得て、裁判所に調停を申し立てました。裁判所の裁定は双方が歩み寄る形の決着になりました。

その交渉の中で、第二庁舎の所有者も信託銀行も信託契約には双方にメリットがなく、信託契約の解除も考えていることが推測されました。それにより新たな展開が想定されることになりました。

(つづく)

走り続けた16年(37)


苦闘する庁舎問題⑧

佐藤和雄市長は第二庁舎の賃借は無駄遣いであり、早急に解消すべきという選挙公約を果たすため、市長に就任し3週間目の平成23
年5月18日、臨時の記者会見を開き、新庁舎は蛇の目工場跡地に、平成27年中に竣工し28年1月1日からは新庁舎で業務を開始すると発表しました。

4月27日に就任し、すぐに大型連休に入り、部局との協議・検討もしないまま、議会を飛ばしての唐突な提案でした。それは、1万人アンケートで、賃貸借庁舎の早期解消を求める声が大多数であったことや、すでに建設場所は蛇の目工場跡地に決定していること。建設スケジュールは3月に策定された基本構想を参考にしたようですが、非常に安易な提案でした。

この提案は敢え無く撤回となり、極めて不安定な佐藤市政の船出となりました。

議論の末、新庁舎計画を撤回した佐藤市長は基本構想の内容を具体化する「新庁舎基本計画案」策定のため、新たに公募市民7人を含む16人による、「市民検討委員会」を設置し、6月に「基本計画案」の策定を諮問して検討に入りました。これが本来の手法ということになります。

検討が続く中、佐藤市長の小金井市民が排出する可燃ごみを他市等による広域支援は無駄遣いとの選挙公約で市政は大混乱となり、市民検討委員会は9月の第4回の会議を最後に中断となりました。その後、広域支援によるごみ処理が危機的状況に陥ったことの責任をとって、佐藤市長は就任6か月で辞職しました。その結果、1年に2回目の市長選挙が12月に行われ、8か月の空白の後、再び私が市長職に就くことになりました。

平成23年4月まで、私は(好きではないが)市長と呼ばれ、落選した5月からは前市長、佐藤市長が辞職した11月からは元市長。そして、選挙後の12月18日からは新市長と呼ばれ、一人の人間が4通りの呼ばれ方をされることになりました。

市長に再び戻った私は、佐藤前市長の経過を引き継ぎ、検討委員会を再開しました。

検討委員会は平成25年1月まで全15回にわたり、新庁舎に導入する機能や整備方針、建設場所などについて活発な検討が行われ、パブリックコメントや市民フォーラムでの意見も参考に「基本計画案」が策定され、平成25年2月、市に答申されました。

私は、この答申を尊重し「小金井市新庁舎建設基本計画」を策定しました。

その内容は、新庁舎の全体規模を1万3千平方㍍を上限とする。建設場所は基本構想に基づき蛇の目工場跡地とする。建設費用は55億円を想定し、借入金34億円、積立金4億円、第二庁舎保証金返還金7億円、一般財源10億円とするものです。また、建設のスケジュールは竣工まで5年、平成30年度の完成とするものでした。

この計画を着実に進めることが私に課せられた課題でした。

しかし、市の財政が危機的な財源不足にある状況から、将来世代への負担となる借入金の額や一般財源の負担が不安材料でした。

(つづく)

走り続けた16年(32)


苦闘する庁舎問題③

現在、小金井市役所第二庁舎として賃貸している前原3丁目の土地と建物が昨年の10月末、民間不動産業者に売却され、所有者・賃貸人が変わることになりました。

所有者・賃貸人は変わりましたが前所有者と三菱東京UFJ信託銀行そして、本市と交わしている賃貸契約の内容はそのまま継承されることになります。

2年半前の平成26年第3回(9月)定例会に、その第二庁舎を取得するための一般会計補正予算を市議会に提案しましたが議員多数の反対で取得に至らず、その結果として、リース庁舎の解消を果たすことができずリース庁舎継続になってしまいました。

そしてその後、民間不動産業者の手に渡ってしまったのです。

業界の話としては、売買価格は平成26年に小金井市と合意していた金額18億6千594万円を大きく上回る金額で取り引きされたと伝わっています。

私は、旧所有者と小金井市とで合意していた金額が公になっていただけに、売却に際して買い叩かれる原因を作ってしまったのではないかと危惧していましたが、杞憂(きゆう)に過ぎませんでした。

この賃借している第二庁舎の賃借期限は1年半後の平成30年8月までとなっており、この2月に、それ以降の第二庁舎のリース料と賃借期間について、市は、新所有者である不動産業者に示し、交渉に入ることになりますが厳しい交渉になることが想定されます。

さて、平成21年9月の庁舎建設等調査特別委員会で当時の民主党市議会議員村山秀貴さんから「市役所第二庁舎は買い取るべきではないか」との発言がありました。

私は、この様な発言をすると事前に聞いたので、それには「市議会の民主党会派や民主党支部に予め伝えることが必要ですよ。支部長の西岡真一郎都議(現市長)は買うべきだと言うと思うけど」と、意向を確認してから発言するよう進言しました。

この村山議員の発言はかなりのインパクトがあり、当時を知る議員の多くはその時の発言を良く覚えており、その後、村山氏不在の平成26年第3回定例会に第二庁舎取得の補正予算を提案した際にはこの発言は大変話題にもなりました。

この様に取得すべきとの考えは一議員に限らず市政を経営的視点から考える多くの議員は同様の考えを持っていました。

この特別委員会でも村山議員以外からも所有者の意向を探るべきとの発言もありました。しかし、その時点では所有者と三菱東京UFJ信託銀行の間で交わされた30年間の土地信託契約が継続中であり、所有者が一方的に契約を解除すれば違約金が発生するなど、市が第三者の立場で交渉に立ち入る余地はありませんでした。

しかし、私たちはその推移を非常に強い関心を持って見ていました。

(つづく)

走り続けた16年(28)


財政健全化への闘い ⑯

市議会議員1期目の私は、行財政改革の観点からも、学校施設警備の改革と民主的な労使関係への改善を大きな課題として気合を入れて取り組みました。

それが原因かどうかは分かりませんが、種々の嫌がらせを経験することになりました。

屋根に看板とスピーカーの付いた私の車のタイヤに白のチョークで線を引かれました。警察官が駐車違反を現認するために行うのですが、タイヤに白い線が何本も引かれているのは、駐車違反を繰り返しているという、イメージダウンを狙ったものと思われます。

また、嫌がらせの電話もありました。夜から翌日未明にかけてかかってきます。これは長く続きました。

私の最初の選挙の責任者で緑町5丁目にお住まいの中村五郎さんは、都内で警察署長をされ、小金井市剣道連盟役員でも活躍された方で、私がお世話になった大恩人のお一人でした。この嫌がらせ電話等の解決にも、警察署やNTTに掛け合ってもらいましたが、法的には限界があり、ただちに解決にはいたりませんでした。

家に2台のパトカーで警察官が突然駆け込んで来たり、救急車や葬儀屋さんが来ることもありました。警察や消防に電話の録音を聞かせてほしいとお願いしたのですが、当時、署に直接かかってきた電話は録音を取らないということでした。

また、注文もしないのに寿司や蕎麦等が届いたりもしました。寿司は25人前、今も住んでいる60平方㍍のマンションには、かなり多過ぎました。

翌日、仲間とお詫び方々寿司を食べに行くと「寿司のほか25人前の刺身の盛り合わせも注文されましたがお断りしたんですよ」とも言われ、改めて驚きました。

犯行予告があった何らかの情報を得てなのか、狭い我が家に、複数の警察官が夜中まで張り込むことも何回かありました。

貼ったポスターや壁新聞がはがされたり破られる嫌がらせは、自分が頑張っている証明のようなものだと考え、私はかえって元気がでたものでした。

また、家族への迷惑は我慢するしかないと思っていましたが、関係のない近隣の方々に迷惑がかかっては、ここに住んでいられないという思いもあり、一番恐れていました。

ある朝、外出のためマンションの駐輪場に行くと、そこには立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、その中で数人の警察官が現場検証をしているのです。その真ん中には、前の籠に黒のごみ袋に新聞紙を詰めて燃やされ、その燃えがらが残った自転車があり、その自転車の泥除けに私の住所と名前の書かれた私の自転車でした。まわりに黒のビニール袋の焼け溶けたのが点々としている状況は異様でした。

この様な被害が続くため、警察には、犯人を捕らえるための目立たぬ行動ではなく、警察が関与していると相手に分かるように行動して欲しいとお願いもしました。

嫌がらせの電話も続いていましたが、一計を案じ、かかってきた電話に小声で「逆探知」と一言発したら電話は切られ、その後、この一連の嫌がらせ電話はなくなりました。

(つづく)

走り続けた16年(26)


財政健全化への闘い ⑭

学校施設警備の改革の必要性から確信を持っての私の議員活動とはいえ、議会での質疑や職員組合の尖鋭化には少しは心苦しい思いもありました。

組合の脅しに屈することはないのですが、市長や管理職者等を標的とする八つ当たりには困惑しました。

与党議員は、議会の円滑な運営のため組合と私との解決策として、自民党の先輩議員から、私が詫びる、今後の活動は一定の配慮をする。そして、当面、与党会議への出席は自粛する、との和解案が示されましたが、それは、受け入れられないと断りました。

市役所全体が影の市長と恐れ、カリスマ的支配の一職員を、当局が特別に扱うことへの不満から実名を挙げての批判に、共産党を除く野党議員も私の行動は正当な議員活動だとの理解を示し、「我々は野党なので議案に賛成はできないが、円滑な議会運営には協力するから頑張れ」という言質を水面下でもらっていたことが私を強気にしていました。

昭和63年第4回定例会本会議で、共産党を除く全職員の賛成で「職員の議事妨害に対し市長に厳正なる対処を求める」という決議を議決しました。それは、12月22日の本会議「学校施設警備に関する市長報告」に際し、傍聴者である市職員5〜6名が不体裁な態度をとり、またヤジを飛ばして質疑を妨害したのです。

議長はやむをえずその状況を議会事務局の職員に写真撮影させたのですが、傍聴者の1名が無断で議長席の後のドアから本会議中の議場に入り、写真撮影した職員を無理やり議場の外へ引き出そうとしました。その後、議会が休憩に入ると議会事務局で抗議行動に出るなどやりたい放題、社会通念に照らしても尋常とは到底言えるものでなく、市長には傍聴の市職員に対し、市長の裁量において責任ある措置をとることを強く求める、という内容でした。

しかし、残念ながら当局はこの件に関し、何等の手も打てず、また当人たちは全く反省の態度を示すことなく、市議会には不満が募り一層硬化していきました。

続く平成元年第一回定例会に、市職員の給料、諸手当等を合わせて平均2・37%を前年4月1日に遡及して引き上げる条例改正案が市長から提案されました。しかし、前述の問題から与党である自民、公明、民社党の反対によりこれを否決しました。

その時、私の市議会同期で志を同じくし、尊敬する今は亡き公明党の小尾武人議員の反対討論は「議会のみならず市民を冒涜(ぼうとく)するような行為を放置、容認したまま、血税を給与引上げに使うことは断じて賛成できない。ひたすら市民サービスに徹する職員がいることを思い、その家族の一層の生活向上を願う者の一人としてやむにやまれぬ思いの反対である。この一石が、必ずや将来の市政に明るい展望をもたらすものであることを確信する」というものでした。

その後、平成元年3月16日の臨時市議会で、組合委員長の「遺憾の意」の表明を受けて給与条例の一部改正を全会一致で可決しました。

(つづく)