走り続けた16年(36)

苦闘する庁舎問題⑦

小金井市最大の課題である人件費問題は、革新市政による大量職員の採用が原因で、昭和51年度の人件費比率45・2%を最高に、常に40%から30%台と35年以上の長い間、異常な状況が続きました。

私が市長に就任する前の平成10年度決算でも32・3%と、30%台が続いていました。

その後、私の選挙公約である行財政改革も欠員の補充の抑制や給与制度の改正などにより、徐々に進み、就任して12年を経た平成22年度の人件費比率は、悲願であった20%をわずかに切る19・9%となり、決算統計を記録するようになった昭和43年度以降、初めて10%台を記録しました。これは、職員の努力の賜物であるとともに、議会の理解や市民の協力の結果であり、行革の進捗の証明でした。この成果を職員とともに喜びを分かち合いました。

これにより、財政にも若干の余裕も出てきました。また、それ以降は常に10%台をキープしました。因みに市長、16年の最後になる平成27年度決算は15・3%と就任時の半分以下になりました。

平成23年度は蛇の目工場跡地購入の借入金の80億円を完済したことや、総務省が庁舎建設の起債(借金)の限度率を50%から75%へ緩和したことなどから新庁舎建設が具体化に視野に入ってきました。

これらのことから庁内に、新庁舎を建設するための検討委員会を設置し、職員により新庁舎建設基本構想(素案)を策定し、この素案をたたき台として、市民参加による新庁舎建設基本構想策定市民検討委員会を設置し、建設場所を含めた基本構想の策定を諮問しました。

平成23年3月、市民検討委員会は、市民1万人アンケート調査や、市民フォーラム等の意見を参考に、17回の審議を重ねるなど精力的に協議・検討を重ねた結果、新庁舎の建設場所を「蛇の目工場跡地」とする等の基本構想案の答申をいただきました。私は、その答申を尊重し、新庁舎の建設場所を「蛇の目工場跡地」とすることを行政決定しました。

平成23年3月11日、未曾有の大災害となった東日本大震災の大混乱がまだ治まらない4月の市長選挙で私が落選し、佐藤和雄市長が誕生しました。

佐藤市長の選挙公約は、ごみ処理経費や市民交流センター(宮地楽器ホール)の取得、そして、第二庁舎の賃貸借は無駄遣いと批判し、当選しました。

就任した佐藤新市長は5月18日、突然、臨時記者会見を開き、新庁舎を蛇の目工場跡地に平成27年中に建設し、その移転目標の平成28年1月1日から業務を開始するというものでした。

これは、佐藤市長が市長選挙で、第二庁舎の賃貸借は無駄遣いであり、早急に解消すべきであるという公約から、一方的に行政内部での協議・検討も一切せず、内容も不十分のまま、で実現の可能性のない計画の、寝耳に水の発表となり、議会は紛糾し市政は大混乱となりました。結局、この提案は撤回されることになりました。

(つづく)

走り続けた16年(22)

財政健全化への闘い⑫

小金井市の行財政改革を進めるため、その発言等から名誉毀損で訴えられながらも頑張っている先輩議員もおり、私は、その姿勢を見習い参考にさせていただきました。

市民からお預かりした貴重な税金をムダなく効率的に執行することは、行政の基本であり、それをチェックするのが議員の仕事です。学校警備はその費用と効果から、長い間の市政の懸案であり改革を必要とする最重要課題のひとつだと考えていました。

昭和60年9月市議会定例会で共産党を除く全議員の賛成で議決された「学校施設管理に関する決議」で改善すべきは、主に次の2項目でした。まず①学校施設警備は、1校2・5人の正規職員の交代勤務体制となっており、5日の間に、2日働き3日の休みです。平日の勤務は、16時〜翌8時40分までが勤務となる拘束時間ですが、そのうち23時半〜翌6時までは仮眠時間です。また土曜日は12時、日曜等は8時半からの勤務となりますが、仮眠時間は同じです。

これで、給料はおおよそ600万円超、時間外手当を含めれば、700万円近くになります。

週刊誌に「月に10日学校に泊まりに行くだけで給料がもらえる」と書かれる程でした。この改善です。

革新市政の90人超の警備員も、72人、48人と減員してはきましたが、私の主張は、機械警備にすれば直営の1校分の予算で市立小・中14校全校が賄えるというものでした。

次に、②懲戒免職から復職し、苗字の後に天皇と付けられ、「影の市長」と称されたカリスマ的組合委員長の施設管理係長が、基準を上回る広さの前原暫定庁舎の事務室で、市民や職員の目に触れることなく形ばかりの仕事を、信奉する一職員と二人だけで執務させているのは異常であり、これを改善させることでした。

私も、特定の人を特別扱いすることは止めるべきだと主張してきました。このような状況は、市役所全体の職員のモラルや士気にも影響を与え、勤労意欲の低下にもつながるものでした。

議会決議に対応すべく、労使の協議が行われましたがなかなか進展しません。この様な状況は、税金の効率的な運用とはいえず、また、納税者の理解は到底得られるものでなく、納税意欲にも影響を与えると考え、私は混乱の広がりを覚悟して行動することを決意しました。

それは、この状況を市民に知らせることでした。日頃から行っていた活動ではありますが、スピーカーの付いた車での街頭演説、チラシの配布。それにA1判の壁新聞を緑町を中心に30〜40枚貼り出しました。チラシや壁新聞には「天皇」「影の市長」と恐れられたカリスマ的組合委員長の実名を挙げての批判です。さあ「パンドラの箱」を開けてしまったのか、です。

この活動に職員団体はすぐに反応しました。その抗議は私へではなく大久保慎七市長に向かったのです。

市長と議員は全くの別機関であり、私の議員活動で市長を攻めることにはならず筋違いです。また、市長が議員活動に介入するものでもありません。

しかし、大久保市長から「壁新聞を外して欲しい」と懇願されました。私は悩みました。

(つづく)