走り続けた16年(50)

東京都議会議員選挙③

私の市長として平成11年からの16年間、JR中央線の高架化、駅周辺の整備、市役所庁舎建設、可燃ごみの処理などと共に、最大の課題のひとつは極めて厳しい財政状況の改善であり、身を切る行財政改革は避けて通れない難題でした。また、都の方針もあり新規の現業職(施設管理・用務・調理員等)は採用しないことから、直営での給食調理業務は限界で、代々の調理員に引き継がれてきた伝統ある学校給食も民間委託をせざるを得ない状況でした。

私は市議会定例会が終了すると、教育委員会に学校と日程を調整してもらい、市立小・中学校の給食を指導室長らと食することを常にしており、時には担当する学校教育部長等も同行しました。

校長とは給食前の検食の時などに対話し、私は、子どもたちと教室で一緒に食べます。時間があればクラス全体の子どもたちとの会話や質問に答えたり、それは、楽しい一時でした。食後は栄養士、調理員に感想とお礼を述べて意思の疎通を図りました。

給食は市内だけでなく、ランチルームやセンター方式などを見学するため他市にまで足を延ばしました。

平成18年9月から市立第一、第二中学校の給食を委託し、検証を経て平成20年には、残り3校の中学校も委託しました。

さらに、平成25年春、第3次行財政改革大綱の趣旨や目的を踏まえて、2年半をかけて小金井市職員組合と、9月に小学校5校の給食の民間委託を実施することで合意しました。

また、より多くの議員や職員の理解を得る必要から、総務部長にはもうひとつの小金井市職員労働組合(市職労)の同意も得るように指示しました。総務部長は組合との交渉の窓口であり、時々、学校を訪ね給食を食べて調理員との交流も図っていました。その結果、市職労として初めて民間委託の同意で、信じられない思いでした。

職員は厳しい日程の中で、各々、市民説明会の実施や議会や組合対応するなど懸命の努力には感謝でした。9月実施のため非常勤職員の任用を夏休み前の7月までにすることや、委託業者の募集も始めるなど、退路を断っての対応でした。

最大の難関は、民間委託の補正予算の議会の議決です。各会派の動向を企画財政部、総務部、そして学校教育部と問題を共有しながら意思の疎通を図り、問題の解決に向け全力を注ぎました。

その結果、補正予算は賛成14反対9で可決されました。

平成25年3月の市議会議員選挙では与党の全候補者の応援をさせていただきましたが、6月の都議選は一切の支援をお断りしました。それは、行革を断行するためには市政の安定が不可欠であり、候補者の木村基成さん、地元衆議院議員の土屋正忠さん、また、木村候補を応援する市議会議員等に、市政の実情からその対応につき了解を得てのことでした。

しかし、私の妻は別で、木村候補の奥様と連日、猛暑の中で集票活動に邁進していました。

選挙の結果は木村さんが447票の僅差で現職の西岡真一郎さんに勝利しました。

(つづく)

走り続けた16年(47)

苦闘する庁舎問題⑱

議会を代表する篠原ひろし議長の進言により、第二庁舎の取得を断念しました。

リース庁舎の解消を常に主張する議員が、取得に反対した真意が分かりません。リース庁舎を解消するには新庁舎を建設するか第二庁舎を買い取るしか方法はありません。

本来、新庁舎を建設すべきであり、それで計画を進めてきましたが、平成26年度に入り東日本大震災による被災地の復旧・復興事業や東京オリンピック・パラリンピックによる建設ラッシュ等により、建設費が異常に高騰し、55億円の計画が70億円を超えることが試算されました。55億円の捻出も困難な状況であり、無理すれば小金井市の財政を再び危機に晒(さら)すことになると考えました。

昭和50年前後の革新市政時代の大量職員採用による全国ワースト1位の人件費問題の解決には約35年の年月を要しました。

また、平成4年度に、なけなしの基金40億円を頭金に、坪単価300万円の蛇の目工場跡地を120億円で購入し、そのわずか数年後には、誰も予測できなかったバブル経済の崩壊で地価は大暴落となり、蛇の目工場跡地の資産価値は半減、一方、税収は激減し80億円の借金の返済に苦闘し、私の16年の任期の過半は借金の返済に追われ、綱渡りの財政運営を強いられました。

この蛇の目工場跡地の取得は、自民党から共産党まで私も含め全議員が異論もなく賛成したのです。庁舎問題に関しては、議会は熱に浮かされたようで問題があっても異議を挟みにくい状況があり、それが私のトラウマになっていました。

平成26年第3回(9月)定例会で、私は新庁舎建設事業の凍結と第二庁舎を18億6千万円で10月末での取得を提案しました。

しかし、残念ながら議会の反対で断念しました。それが、皮肉にも丁度2年後の平成28年10月末、民間不動産業者と第二庁舎所有者の間で売買が成立し、その金額は、小金井市と合意した金額を上回ると聞いています。

また、第二庁舎の所有者は変わりましたが、リース庁舎の契約を継続しなければなりませんでした。そのリース料は年間2億2千3百万円で月額1千8百万円、1日当たり、60万円になります。

賃料については信託銀行との交渉がまとまらず、市が議会の議決を得て裁判所に調停を申し立て、第三者機関である裁判所が公平、中立の立場で不動産鑑定を踏まえて下した金額ということです。

取得を断念してから、この平成29年6月まで約2年8か月が経過しました。その間、支払ったリース料は約6億円です。

西岡真一郎市長の計画では、新庁舎の完成は平成34年3月で、5月に引っ越して業務の開始となり、その後、約2億円をかけて第二庁舎の原状回復をし、同年の8月に返還するようです。とすれば、今後約4年10か月で約12億円の支払いとなり、18・6億円で買えたものを、これまでの6億円と合わせれば、約8年間で18億円のリース料を支払うことになります。

政治に「たら・れば」はありませんが、あの時「買っといたら」と今となっても思わずにはいられません。

(つづく)

走り続けた16年(38)

苦闘する庁舎問題⑨

私は、佐藤和雄市長の下で平成23年6月に設置された「新庁舎基本計画市民検討委員会」の答申を尊重し、「市庁舎建設基本計画」を作成しました。

この計画の不安材料は財源問題です。後年度負担になる34億円の借入金や10億円の一般財源投入などが、蛇の目工場跡地取得の時の借入金の返済が市財政を圧迫したのが私のトラウマになっていました。他市のように潤沢な基金(貯金)の裏付けがあってのことでなく危機的な財政状況の中での不安定なやり繰りでの計画なのです。

リース庁舎からの脱却を願う議会は、庁舎建設には常に積極的でした。そのため、予算を執行する責任ある立場の私は、それに流されないよう慎重な判断にならざるを得ませんでした。

新庁舎建設基本設計委託費3千291万円を含む平成26年度の一般会計予算は、賛成多数により議会の議決を得て、平成26年度がスタートしました。

そこに、大きな問題が派生したのです。

それは、平成23年3月11日に発生した数百年に1度ともいわれる大災害、東日本大震災の復旧、復興事業と平成32年の東京2020オリンピック・パラリンピックに向けての建設ラッシュが重なり、建築資材の異常な高騰、技能労務職者の不足による人件費の高騰が重なりました。

そのため、55億円で計画していた新庁舎の建築費は3割アップの70億円を超えることが想定されました。これは、前年の予算編成時から予想されていたものですがそれが現実になってきました。

そこで私はその動向を見定めるため、予算の執行を見合わせることにしました。議会では厳しい議論になりましたが、私は、再び蛇の目工場跡地の購入の轍を踏まないことを決意していました。

議会では、新庁舎建設の着手が遅れればリース庁舎の延伸につながり、地主と信託銀行を儲けさせるだけだとの議論もありました。

しかし、内情は全く別で、市と信託銀行の間では賃貸契約の契約期間が切れた後でも、契約期間と賃借料で厳しい交渉が続いていたのです。結局、この賃貸借契約に関しての交渉は、三菱UFJ信託銀行の担当トップと私との直接交渉になりました。

私が直接交渉に乗り出したのは、膠着状況にある交渉を打開することと、地権者と信託銀行が今後も信託契約を継続していく意思があるかどうかを探るためでした。

リース期間については市の主張が通り、新庁舎建設基本計画の庁舎完成時期を鑑みて平成30年8月末日までの4年8か月間で合意しました。しかし、金額は折り合えず、結局、議会の議決を得て、裁判所に調停を申し立てました。裁判所の裁定は双方が歩み寄る形の決着になりました。

その交渉の中で、第二庁舎の所有者も信託銀行も信託契約には双方にメリットがなく、信託契約の解除も考えていることが推測されました。それにより新たな展開が想定されることになりました。

(つづく)

走り続けた16年(36)

苦闘する庁舎問題⑦

小金井市最大の課題である人件費問題は、革新市政による大量職員の採用が原因で、昭和51年度の人件費比率45・2%を最高に、常に40%から30%台と35年以上の長い間、異常な状況が続きました。

私が市長に就任する前の平成10年度決算でも32・3%と、30%台が続いていました。

その後、私の選挙公約である行財政改革も欠員の補充の抑制や給与制度の改正などにより、徐々に進み、就任して12年を経た平成22年度の人件費比率は、悲願であった20%をわずかに切る19・9%となり、決算統計を記録するようになった昭和43年度以降、初めて10%台を記録しました。これは、職員の努力の賜物であるとともに、議会の理解や市民の協力の結果であり、行革の進捗の証明でした。この成果を職員とともに喜びを分かち合いました。

これにより、財政にも若干の余裕も出てきました。また、それ以降は常に10%台をキープしました。因みに市長、16年の最後になる平成27年度決算は15・3%と就任時の半分以下になりました。

平成23年度は蛇の目工場跡地購入の借入金の80億円を完済したことや、総務省が庁舎建設の起債(借金)の限度率を50%から75%へ緩和したことなどから新庁舎建設が具体化に視野に入ってきました。

これらのことから庁内に、新庁舎を建設するための検討委員会を設置し、職員により新庁舎建設基本構想(素案)を策定し、この素案をたたき台として、市民参加による新庁舎建設基本構想策定市民検討委員会を設置し、建設場所を含めた基本構想の策定を諮問しました。

平成23年3月、市民検討委員会は、市民1万人アンケート調査や、市民フォーラム等の意見を参考に、17回の審議を重ねるなど精力的に協議・検討を重ねた結果、新庁舎の建設場所を「蛇の目工場跡地」とする等の基本構想案の答申をいただきました。私は、その答申を尊重し、新庁舎の建設場所を「蛇の目工場跡地」とすることを行政決定しました。

平成23年3月11日、未曾有の大災害となった東日本大震災の大混乱がまだ治まらない4月の市長選挙で私が落選し、佐藤和雄市長が誕生しました。

佐藤市長の選挙公約は、ごみ処理経費や市民交流センター(宮地楽器ホール)の取得、そして、第二庁舎の賃貸借は無駄遣いと批判し、当選しました。

就任した佐藤新市長は5月18日、突然、臨時記者会見を開き、新庁舎を蛇の目工場跡地に平成27年中に建設し、その移転目標の平成28年1月1日から業務を開始するというものでした。

これは、佐藤市長が市長選挙で、第二庁舎の賃貸借は無駄遣いであり、早急に解消すべきであるという公約から、一方的に行政内部での協議・検討も一切せず、内容も不十分のまま、で実現の可能性のない計画の、寝耳に水の発表となり、議会は紛糾し市政は大混乱となりました。結局、この提案は撤回されることになりました。

(つづく)

走り続けた16年(35)

苦闘する庁舎問題⑥

平成3年12月のバブル経済時に120億円の最高値で小金井市土地開発公社が先行取得した蛇の目工場跡地を、バブル崩壊後、激減する税収の中でその借入金80億円を返済していくという大変厳しい最悪のパターンになってしまいました。

これは、議会も与野党を問わず大久保慎七市長に購入を求めた結果でもあります。誰もがバブル経済の崩壊を見通せず、地価の下落なども考えられず、熱に浮かされたように蛇の目工場跡地の購入に走ったのです。

庁舎建設基金等40億円を頭金とし、新庁舎建設に着手できないことから、緊急避難として、議会の同意を得て10年の契約で第二庁舎を賃借しました。しかし、新庁舎が建設できなければ、リース庁舎が続くことになり、平成15年には新たに平成20年まで、そして、25年、さらに、30年へとリース庁舎が続くことになります。

平成11年、私が市長就任以降、小金井市の行財政改革が進み、財政の健全化が見えてきた平成20年9月、再び、リーマンショックに見舞われました。それは、世界経済に大きな打撃を与えましたが、小金井市など基礎自治体も税収減等大きな影響を被りました。

私は、従来から庁舎建設は市の政策の優先順位は決して高くないと考えており、市民施設が優先されるべきと考えていました。

庁舎と福祉会館を比べたら福祉会館が優先するというのが考えでした。ただ、小金井市の場合は賃借庁舎であるという特殊事情が、庁舎建設へと向かわせました。

蛇の目工場跡地が、完全に小金井市の所有になったのは平成23年度で、借金の返済に約20年を要しました。また、同年総務省は庁舎建設のための起債(借金)の限度率を、建設事業費の50%から75%に緩和したのです。

10億円の自己財源があれば40億円の庁舎を建てることができるのです。就任時40万円の庁舎建設基金は約4億円となり、これを早急に10億円にするのが当面の目標でした。

また、財政調整基金は就任時の70万円が約16億円になりました。

庁舎建設が見えてきたことから、庁内に新庁舎建設基本計画市民検討委員会を立ち上げ検討に入りました。

庁舎の建設場所について、議会は蛇の目跡地と再開発第2地区に二分され、また第二庁舎の取得を主張する議員もいました。庁舎の位置の変更は議会の特別多数議決であり3分の2以上の同意が必要になります。

そこで、新庁舎建設市民検討委員会の答申を私も尊重するので、議員もいろいろ考えがあるでしょうが、建設場所にあたっては、市民検討委員会の答申を尊重してもらいたいとお願いしました。

答申は、場所を蛇の目工場跡地とし、全体規模を1万3千平方㍍を上限に、建設費は55億円で33億円が借入金で一般財源での捻出が10億円です。建設スケジュールは5年で竣工の計画でした。

私の不安は財源問題です。再び、後年度負担の大きな借金や一般財源の10億円など、蛇の目工場跡地取得の経過がトラウマになっていました。

そこに、再び大きな問題が派生しました。

(つづく)