走り続けた16年(10)

財政健全化への闘い②

平成11年4月、私の市長就任時は、特に目的を定めず自由に使える財政調整基金は70万円でした。そして、課題の庁舎建設基金が44万円、職員退職手当基金が36万円であり、人口10万6千人(当時)の自治体が一般家庭の預貯金と比較できるような状況でした。

先の市長選挙の際、「平成4年に購入した土地に庁舎を建てず長期間放置し、目的外に利用してる」との批判がありました。それを信じた人もおられたことでしょう。

しかし、用地取得の借入金の返済は平成23年度にやっと完済したものであり、経営収支比率90%台の財政状況の中で、市民サービスの維持向上と借金の返済に追われており、庁舎建設の基金の積立ができるような状況になかったというのが実態だったのです。

それは、平成4年に市の要請を受けた小金井市土地開発公社が、起債(借金)で蛇の目ミシン工場跡地を庁舎建設予定地として98億6千万円で先行取得をしました。その起債の償還は市が分割で返済していたのですが、取得5年後の平成9年度にはバブル経済の崩壊もあり、毎年の返済額である4億6千万円の返済ができず、元金の残額である50億円は据え置かれたままで、年間約1億円の利息だけを納めるような状況でした。

私は、苦しい財政状況ではあるが、返済期間を平成18年度から平成23年度まで5年間延伸し、毎年、元金3億5千万円と利息を返済することにしたのです。

庁舎問題に関しては、ビジョンが示せず迷走し、その場しのぎだったとの批判もありましたが、市政をよく理解していただければ、その様な批判にはならないと思ってます。

私が市長に就任して最初の議会は平成11年5月11日の臨時会でした。これは、大久保慎七市長が、残り任期わずかとなった平成11年3月末に行った専決処分(本来、議会の議決を経なければならない事案を、地方公共団体の長が法の規定に基づき議会の議決の前に自ら処理すること)の承認を得ることでした。

その内容は、平成10年度の一般会計決算を、都の指導により形式的に赤字にしないようにするため、都からの急遽(きょ)の借入等の支援や公園整備基金からの借入、また、国民健康保険特別会計や下水道特別会計への繰出しを行わないことなどの予算措置を講じて、赤字を回避したのです。しかし、繰入のなくなった国保等特別会計は赤字となるため翌年度に予定される歳入を繰上げて充用するという措置を講じることになりました。

これらはすべて後年度負担となり議会からは厳しい指摘を受けましたが、私は、大久保市長のとった手法は財政状況を踏まえると止むを得ない判断だと答弁しました。本会議の採決の結果、議会の承認は得られました。

昨今、一部市民や議員から「崖っぷちの財政」と揶揄(やゆ)されることもありましたが、私は、昭和50年前後に崖下に転落し、その後、長い間暗い谷底をさ迷っていた小金井市の財政が、谷底からやっと陽の当たる崖っぷちまで這(は)い上がってきたのだと思っています。

財政の健全化などを見るときは、その時々の判断も必要ですが、継続的な視点で5年、10年、そして、20年前からの動向を見ながら判断する必要があると思います。

(つづく)