走り続けた16年(20)

世界平和への思い②

平成20年1月31日、京都・綾部市長の四方八洲男氏が突然来庁されました。

四方市長とは旧知の関係で、前年の秋頃からイスラエル、パレスチナへの自治体外交を展開するため四方市長を団長に使節団を結成し、1月中旬に両国を訪問することで準備を進めてきました。

しかし、副団長の私が市政の課題への対応から急遽(きょ)不参加となり、訪問の報告のための来庁でした。そこで、四方市長から、「中東和平プロジェクト」の小金井市での開催を懇願されました。

この事業はイスラエル、パレスチナの紛争で家族を失った高校生を主催市に招いて、両国の友好親善を図ることを目的にする事業で、両国の紛争激化のために数年間中断していました。

平成20年度は、小金井市制施行50周年の記念行事等で手一杯であり、既に翌日の2月1日に予算書の印刷を行う予定であること、また、万が一この事業で不測の事態が発生したら国際問題に発展する可能性のあること等から即答せず、一晩考えをめぐらせました。

翌朝、財政課に予算書の印刷をストップさせ、「中東和平プロジェクトin小金井」の予算を組み込むことを決め、実施に向けて準備に入りました。

準備にあたり、庁内にプロジェクトチームや、市民による実行委員会、作業部会を設置し、日本イスラエル商工会議所理事であり市民の原芳道氏や、経験のある綾部市の職員の協力を受けて進めました。

私も、両国の大使館、外務省、東京都、警視庁、現地との連絡調整などの仕事に追われました。

2月に、12名の高校生の人選を現地の遺族会にお願いし、引率者の2名も決められました。

7月28日朝、パレスチナの1人が出国が認められなかったのは残念でしたが、一行はパリで合流し元気に成田空港に到着しました。

高校生は両国1人ずつ2人が組になり、一般家庭でのホームステイ、日本の高校生や市民との様々な交流事業、日本の芸術・文化、伝統芸能などの体験学習を通じ、若者たちの心が通じ合うのに長い時間は不要でした。両国の長い紛争で多くの悲劇が繰り返され、報復につぐ報復、憎しみの連鎖が簡単に断ち切れるものではありませんが、この交流を契機に彼等が英語で直接会話し、共に成長し真の友情が築けたことは最大の成果であり、和平に向けての一粒の種をまくことができたと確信しています。

兵役に就く年齢に近い両国の高校生が「お互いに銃を向け合うことはやめよう」と話していたとホストファミリーからの報告には、涙が出るほど嬉しいものでした。

首相官邸なども表敬訪問し、8月2日夜、成田空港で皆、抱き合って別れを惜しみました。私は無事帰国させることができ、責任を果たせたとの安堵の思いでした。

9月25日、ニューヨークの国連本部で麻生太郎首相が一般討論演説で「日本の市民社会が地道に続ける和解促進の努力」と称し、この事業を詳しく全世界に発信しました。一自治体の平和施策として外務省もその成果を高く評価しました。

事業の詳しい内容については、市の公式ホームページにアップされていますのでご覧ください。また、この有効親善事業がイスラエル、パレスチナの両国大使をお招きしての講演「国際理解講座」に引き継がれています。