走り続けた16年(27)

財政健全化への闘い ⑮

昭和60年4月5日、私の市議会議員としての1期目がスタートしました。

自分の考えを公に発言できることに大変な魅力を感じていました。また、市議会議員1年生ということで議会的には多少の行き過ぎも許されるという状況もありました。

選挙で使った車・タウンエースはスピーカーも付けたまま看板の「稲葉孝彦」を「市民の生活感覚を市政に」に変えて街頭演説に使いました。さらに、市政報告のチラシの配布や新聞1ページのA2判の壁新聞は緑町を中心に。電話によるダイヤル市政報告、NTTのFネットを使ってのFAX市政レポートも。

また、公共施設で市政報告会も定期的に行うなど非常に活発に活動していました。

活動の目的は、行財政改革への市民の理解であり、西の京都、東の小金井と称される強力な職員組合への挑戦です。天皇とも影の市長とも恐れられていた再建時の組合委員長に対し実名を挙げて批判したことは、信奉者の逆鱗に触れることでもありました。

また、近隣の区市の議員5名で「無印良品議員の会」を結成し、活動レポートや小冊子等の発行もしました。

さらに、東京北区の区議会議員だった和田宗春氏(後に都議会議長)を中心に「地方から政治風土を変える会」を結成し、当時の金権腐敗の国政を厳しく批判するとともに、清廉な政治風土を地方から変えていくことを実践し、自民党都連等の顔色をうかがうこともありました。

商売の方も軌道に乗り、市内にクリーニング店やコインランドリーを10店舗程度経営し、たいへん順調な営業成績でした。

しかし、その様な状況の中で、原因や理由は分かりませんが、陰湿な種々の嫌がらせを受けることになりました。
(つづく)

【今、市政で何が】

9月議会最終日の10月4日に行われた本会議の市長報告で、西岡真一郎市長は「新庁舎の建設はゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民・議会・行政が一体となって進むべき方向を定める」との考えを表明しました。

昨年12月の市長選挙、西岡市長の公約は、市庁舎・福祉会館・図書館等6施設の複合化は、新たな財政負担はない等のメリットを訴えて当選しました。当選後の議会で、6施設複合化は直近の民意であり、それを果たすことが何より重要なことで、私に与えられた使命であり、何としても果たしたい、と述べていました。

しかし、5月には図書館等を除いて「4施設2機能複合化をゆるぎない方針とする」と公約の変更を議会で明言しました。

さらに、その4か月後には「ゼロベースで見直す」と変わったのです。

私たちの民主政治を支える原点は、公平・公正な選挙です。そして、それは政策論争が基本です。そこで信任を受けた者は、その地位に就くのが目的ではなく、自らが掲げた政策を実現させることが市民への約束を果たすことになるのです。

西岡市長には自ら掲げた公約の変遷を市民に説明する責任があり、それを期待します。