走り続けた16年(115)

市議会議員、そして、市長として②

私が小金井市に転入してきた昭和48年は、革新市政の下で大量職員の採用が行われていました。それは、市にとって取り返しのつかない失政と言わざるを得ません。その結果が昭和50年代の10年間に、小金井市の人件費比率は全国ワースト1位が8回、後は2、3位が各々1回という惨たんたるもので、高比率はその後も長く続くことになりました。

私は、この市政を改革し、財政を健全化したいという思いから市議選への立候補を考えていました。そのための準備として小金井市の財政問題について調べるほど、誰のための市政なのかと怒りを覚えるような市政運営が行われていたのです。

市議選出馬を考えていた、昭和58年1月14日朝刊に、4月の武蔵野市長選挙に土屋正忠市議会議員が立候補すると報じられました。土屋氏とは旧知の間柄であったことから、早速、選挙区ではないが選挙の手伝いをさせていただきたいと申し入れました。

選挙の手伝いはポスター貼り、ビラ配り、車の運転などの単純労務ですが、選挙に直接関われたのは私の貴重な経験となりました。

当時、武蔵野市も革新市政が続いており、現職の藤元正信氏の二期目が強いという評価から自民党は候補者の擁立ができず、ついに土屋氏に白羽の矢が立ったのです。

この選挙戦の終盤、職責に関係なく支給される4千万円の高額退職金が争点になりました。両候補とも退職金の是正を訴えましたが、新人の土屋候補が現職に859票の僅差で勝利しました。

当選した土屋新市長は5月2日初登庁し、日本中が注目する中、4千万円の退職金是正の公約実現に取り組みました。17日には改正案を職員組合に提示し連日の団体交渉が続きました。改正案は大幅な引き下げ案だったことから、自治労都本部は現地闘争本部を市役所内に設け、全国から動員された2千人といわれる自治労組合員が武蔵野市役所を取り囲み、それに抗議する右翼団体の街宣車、いざという場面に備えて待機する機動隊、それを取材する報道陣、上空は取材用のヘリが舞い、庁内では腕を組み列を作ってのジグザグデモが行われ、ついに26日職員組合はストに突入、武蔵野市全体が大混乱に陥りました。

全国民が注視の中、市長自ら徹夜の団交を繰り返し、ついに28日未明に労使合意を果たしました。妥結の内容は、7月1日から約1千万円の減額というものでした。

私は、市長選と同時に当選した自民党の武蔵野市議会議員と大混乱の市政の現状を訴える街宣車で、市内遊説に同行するなど行動を共にさせていただきました。そのため、高額退職金是正に燃えた30日間の「武蔵野ショック」を直接現場で目の当たりで体験できたことは、その後の私の政治活動の大きな糧になりました。

その後も行革を進める土屋市長は地方行革のトップランナーとして、土光臨調、中曽根行革と並び称され、その地方行革が燎原の火となり全国に広まっていきました。

そこで私は、市政は変えられるということを実感したのです。

この経過は、武蔵野市が発行した『武蔵野ショック』に詳細に書かれています。

(つづく)

走り続けた16年(6)

小金井市長選挙⑥

昭和58年1月14日付朝刊が、武蔵野市議会議員土屋正忠氏(現・衆議院議員総務副大臣)の4月の武蔵野市長選挙出馬を報じました。

土屋氏とは古くからの知人である私は、小金井市民ではあるが積極的に選挙戦を手伝わせていただくことを伝えました。選挙の手伝いはポスター貼り、ビラ配りや車の運転など、単純労務ですが選挙を身近なところで携わることができ、いい経験をさせていただきました。

相手候補は2期目に挑戦する現職の藤元政信氏であり、私は厳しい選挙だと感じていました。選挙の争点は選挙中もマスコミに大きく取り上げられた職員の4千万円の高額退職金問題になりました。両候補ともこの退職金の是非を訴えていました。

翌日開票の開票速報は、発表の度ごとに順位が入れ替わる状況でしたが土屋氏が859票の僅差で勝利し、20年に及んだ革新市政にピリオドが打たれました。

5月2日初登庁した土屋新市長の喫緊の課題は、公約に掲げた職員の退職金引き下げです。早速、自ら担当職員に指示し、改正案の作成に取組みました。そして、改正案を17日には職員労働組合に提示し連日の団体交渉が行われました。

しかし、大幅な引き下げ案であることから、なかなか妥結に至らず、自治労都本部は現地闘争本部を市役所内に設ける程の取組みでした。全国から動員され組合旗を掲げて市役所を取り囲んだ自治労組合員は2千人ともいわれ、連日、新聞、テレビなど報道関係、右翼や警備の機動隊、上空は報道取材のヘリが舞い、庁内はジグザグデモと大混乱です。ついに26日朝、職員組合はストに突入し、武蔵野市全体が大混乱となりました。

土屋市長は国民注視の中、公約である高額退職金是正のため、本人自らが連日の徹夜交渉に臨み、28日未明になってようやく労使合意を果たしました。

退職金削減の議案は6月2日の本会議で全会一致で可決されました。内容は、勧奨退職の5割増の優遇措置を廃止し、退職金支払い月数の上限を110カ月を95カ月とし、その後の削減は再度協議するというもので、翌月7月1日から施行で退職金は1千万円のカットとなりました。

私は、自民党の宣伝カーで武蔵野市議会議員の街頭演説に同行、宣伝カーが市役所駐車場に入る時は、大勢の組合員に取り囲まれ車を揺すられるなど身動きできず恐怖を感ずる程でした。市役所では自民党の控室などで待機する議員と行動をともにし、この「武蔵野ショック」の凄まじさを直接体感しました。

選挙公約を成し遂げるため、41歳の土屋市長の鬼気迫る気迫を目の当たりにし、その卓越した能力や覚悟、そして、力には屈しないその信念は並ではなく、改めて凄い人だと実感しました。これは、土光臨調、中曽根行革と並び称され、その後、全国に波及する地方行革の先陣を果たしたと、高く評価されました。

この経過等に関しては〝高額退職金是正に燃えた30日〟のサブタイトルで、武蔵野百年史編さん室が編集し、武蔵野市が発行した「武蔵野ショック」に詳しく書かれています。
(つづく)