走り続けた16年(5)

小金井市長選挙⑤

平成6年2月、閉会中の総務委員会で「小金井市の事務事業見直しに関する緊急対策決議を求める陳情書」が審査されました。この日の委員会は、小金井市政の将来にとって大きな転換となる非常に重要な委員会になりました。私は、行革に関して共通の認識を持つ小川和彦委員とともにその考え方を示し、大久保慎七市長の考えを質(ただ)しました。

質疑の中で、私は、今後15年間に約500人の職員が退職するが、補充を抑制し200人以上の職員を削減すべきとの持論を展開しました。

大久保市長は、今後10年を見ても職員の退職金を支払う自信がないとし、現業職には直接雇用(直営主義)はとらないと明言しました。また、長い経験から、やるべきことは分かっているし、庁内では行財政再建推進本部で検討しているので、行政診断の外部委託はしないと頑なに拒否してきましたが、私の、自分の身は自分では切れない、痛みを伴う行革の提案は仲間内ではできないとの主張に、この日は一転して「経営診断の実施や、事務事業の見直しを委託することも考えなければならない」との答弁を引き出しました。

外部の専門的第三者機関に委託して市の行政診断することを認めたのです。また、背水の陣で退路を断って…との覚悟を示す発言も付されました。私は喝采をあげる思いでした。市が行革へ大きく舵を切ったその日を20年以上経った今でも思い出します。

すでに予算編成は終えていましたが、市長の答弁をもとに企画調整費の委託料を要望し、予算案に721万円をねじ込みました。予算委員会等で反対の質疑もありましたが予算を可決成立させることができました。行政診断は(財)日本都市センターに618万円で委託されました。

1年後の平成7年2月に完成した小金井市を象徴する緑色の表紙の「小金井市行政診断調査報告書」は小金井市の将来への羅針盤といえるもので、市政に対する厳格な経営診断は私の期待に十分応えられるものでした。私は、この緑の表紙の冊子を「小金井市の行革のバイブル」と呼んでいます。

内容は、市が財政危機に陥った原因や、今後の課題及び改善の方策を専門的立場から明らかにしています。結論として市の規模から200人の職員が多いというもので、この200人の職員削減がその後の小金井市の大きな目標となりました。

そして4月は、大久保市長3期目の選挙です。選挙対策委員会事務局長の私は、市長と市政全般についての話し合いの中で選挙公約をまとめるのも役割です。

当時、選挙公報は500字の字数制限もあり、公約の整理をファクシミリの交換で調整するのですが、その度ごとに「200人職員削減」の文言が消えていました。最後は大久保市長の自宅に乗り込み、市民に公約し認知を得て審判を仰ぐ。そして、その民意を後ろ盾に選挙公約を実現させるということにご理解をいただきました。

大久保市長は200人の職員削減を旗印に3選を果たし、平成7年から平成14年までの間に197人の職員削減を基本とした「小金井市行財政改革大綱」を混乱の中で策定し、それに取り組みました。
(つづく)