走り続けた16年(157)

大久保市政【施設管理①】

昭和62年4月26日、6代目大久保慎七市長の初登庁で、大久保市政がスタートしました。それは、前任者である保立旻市長2期目と同様に大きな難題を抱えての船出でした。

保立市長の2期目の任期に入る時は、2か月前の3月の定年制導入により37名の職員が退職、5月の就任早々から欠員の補充を求める労働組合と激しい交渉が始まりました。保立市長から「相談したいので連絡できる所にいてほしい」とのことでこの労使交渉を身近で見ることになりました。それは、市議会議員になって約2か月の私には信じられない驚きの連続でした。その交渉は暴力的で市長も担当職員も肉体的にも精神的にも苦痛を伴うものでした。2期目就任約2週間の市長が辞職を覚悟しての合意は現業職員5名の採用でした。この場は大久保氏も助役として対応でした。この交渉結果はスタート間もない保立市政の安定多数の与党体制に亀裂が入りました。その後、10月に大久保助役は、その責任をとり辞職しました。

私は、保立市長の2年間、そして、大久保市長の12年間、都合14年の間、労使関係を見続けてきました。人員や給与問題の団体交渉がある場合は、必ず議会の控室で成行きを見守っていました。団交が朝まで続いても終了まで見届けました。

当初、労働組合は労使交渉への議員の不当な介入だと、激しい対立もありましたが毎回のことなので、その内いるのが当然のような雰囲気になりました。

正式な団交や事前の事務折衝、申入れなどに口を出すことはしませんが、抗議行動が暴力的になったり市長が市長室に軟禁状態になった時には行動を起こすこともありました。

この労使交渉を見聞きする中で小金井市の病根は施設管理係と維持補修係にある事に気付かされました。この2つの係を民主的な職場に改善することが小金井市の再生の根幹だと強く感じたのです。

行政経験の豊かな大久保市長を迎えたのが、その施設管理係の欠員補充問題でした。

市内14校の小・中学校の警備は1校2.5人の配置で定数は35人でしたが、5人の欠員が生じており、それを30人の職員が時間外勤務で対応していました。

保立市長が3月に辞職し、その職務代理者であった市川正助役が「学校警備員5名の欠員の内1名を補充するので業務の見直しに入ってほしい」と組合に提案していました。

しかし、4月に市長に就任した大久保市長は「合意は撤回する。見直しが先で、その結果必要なら補充する」と、方針を変えたことから労働組合、施設管理の学校警備職員とは緊張関係となり、激しい闘争が始まることになりました。この警備問題については後日詳しく報告します。

私が市長に就任した平成11年4月からの16年間は、保立、大久保市政の労使関係とは大きく様変りしました。

それは倒産寸前の厳しい市財政に対する共通の認識でした。お互いの立場を尊重する中で、厳しいやり取りはありますが、私の自由が拘束されるとか、自宅に押し掛けるとか、自尊心を傷つけるような罵声を浴びることは全くありませんでした。この様な中で小金井市の抱える重要課題を次々に解決した職員には感謝しています。

(つづく)