走り続けた16年(207)

令和3年の終りにあたって

本年も残り僅かになりました。本欄をご愛読いただいたことに感謝申し上げます。

昨年末の新型コロナウイルスの感染拡大により、誰もが日常生活に大きな影響を受けた1年になりました。

特に、幼児から高齢者まで、学校行事や地域での行事、その年代で体験すべきものが果たせず2年間が過ぎました。今後、これらをどう取り戻していくのか、社会全体で考えていく必要があります。

コロナ禍で、開催が危ぶまれた東京オリンピック・パラリンピックは数々のドラマを生み、世界中に夢と希望と感動を与えました。

小金井市にとっては選挙の年でもありました。3月の市議選は24人の当選者は現有勢力に大きな変化はなく、西岡市長には依然として少数与党の体制が続くことになりました。

都議選は自民党が第1党に復帰したとはいえ、前回に次いで2番目に少ない当選者数で国政への逆風を諸に受けました。小金井選挙区は4年前と同じ3名が立候補し、応援する市議会議員の市議選における得票数に倣った票数で漢人明子さんが自民党の広瀬真木さんに勝利しました。

10月の総選挙は、自民党へ入党し、東京21選挙区から18選挙区に国替えした長島昭久氏が、選挙区では菅直人氏に惜敗しましたが、比例で復活し7回目の当選を果たしました。今後、地域での活躍も期待されます。

さて、私たちに最も身近な市政の課題は財政と庁舎問題です。

西岡市長は市長選挙で、それ以前の市政の行財政改革と庁舎問題を厳しく批判して当選しました。その主張が事実だったからです。

市議会において「平成11年から16年間の行財政改革については、昭和50年当時から約30年間続いていた30〜40%台の人件費比率が15%に半減され、職員はこの16年間で892人から661人に231人の削減を果たしたが、それでも、行革は進まなかったのか」との議員の質問に一転「評価する」とし、それは、今後35年間の公共施設の更新に必要な、約1千497億円を考え、行革が十分だったとは言えない、との趣旨の抗弁でした。しかし、その様は判断をする西岡市長が公共施設整備基金条例を制定しないのは解せません。私は就任時、小金井市を倒産から回避させることに全力でした。

また、庁舎問題に関しても「27年間動かなかった庁舎問題も西岡市政で動き出した」とありますが、27年前に庁舎建設用地を取得、バブル経済後の税収減の中、20年かけて80億円の借金を完済しました。その後、新庁舎建設基本構想、基本計画を作成、さらに、庁舎建設基金の9.2億円の積立をするなど、着実に動いていたのです。

私が、これを問題視するのは、行革や庁舎問題等に懸命に頑張った議員や職員の協力で達成されたのです。現在、第一線を退いたり亡くなられた議員や職員の努力の結果が曲解されるとなれば、私がその真実を伝える必要があるからなのです。

年末を迎え、コロナ禍も落ち着いてきたことで、日常生活も経済活動も次第に復活し、元に戻りつつありますが変異株「オミクロン株」の発生で緊張感も高まっています。年末年始は多くの人々と接する機会が多くあり、感染防止の基本であるうがい手洗いマスクの着用を励行し、希望に満ちた新年を健やかに迎えましょう。

(つづく)

走り続けた16年(206)

街づくりへの挑戦⑩ 区画整理

国家的事業ともいわれる三鷹~立川間13・1㎞の連続立体交差事業は、昭和41年に中野~荻窪間、44年に荻窪~三鷹間の高架・複々線の共用が開始され、次は立川までの高架化と具体的に動き出しました。鉄道の高架事業と沿線の街づくりは「不即不離」の関係とされており、小金井市においては東小金井駅北口の区画整理事業の推進が、そのまま中央線高架化の進捗に連動するものでした。

東小金井駅北口の区画整理の停滞から高架事業も滞っていましたが、平成6年に入り区画整理事業が動き出したことから高架化も一挙に進み出しました。

区画整理が順調に進み始めたことから、平成10年9月定例会に区画整理事業に必須とされる「施行規定を定める条例」が市議会に提案されました。しかし、入り口論の質疑に終始し条例の中身に入れず、課題は先送りの繰り返しになりました。これにより、内示された国庫補助金は断念せざるを得ません。そのため、国鉄清算事業団が所有する貨物駅跡地を仮線路用地としての取得に補助金を財源とすることができず、私たち区画整理推進の与党系11議員で、補助金なしで小金井市土地開発公社による用地の先行取得を大久保慎七市長に申し入れました。

特別委員会で当局は地権者の71%が賛成としていたが、市の情報公開条例に則っての調査で、賛成者の中に反対の地権者が5名入っていたことが判明、市に訂正要求がされました。また、賛成の中には市や市の土地開発公社、都や区画整理関連の6団体、29人の区分所有者の集合住宅は、管理組合の代表の意向だけで全員を賛成にカウントする等から、ずさんな調査だとの指摘に対し、反論の言葉がありませんでした。また、当局の強気の発言が野党の一層の反発を招いていたのです。

条例が可決されないことなどから平成9年・10年と2年連続して内示のあった国庫補助金は取下げの手続きとなり、今後、補助金が得られない可能性がある、との指摘もあり、その様な事態になれば、中央線高架化の遅れとなり、国や都、近隣市との信頼関係が損なわれることが懸念されました。

私は、仲間の都議の紹介で、同僚の小金井市議会の佐藤義明議員と都庁の区画整理課を訪ねました。統括課長の宮澤正氏と担当職員との面談予定でしたがそこには、高木正彦部長も入り、さらに、石河信一道路監の同席には驚きました。小金井市議会に対する期待と中央線の高架化は都政の最重要課題とする鈴木俊一知事の思いが伝わりました。区画整理部との話し合いで、都は今後も全面的に協力していくとし、補助金の2年連続の返上を今後に影響させないというものでした。2人の議員の勝手な行動が役に立ったとの思いでした。石河道路監等にはその後も小金井市の街づくりに協力をいただきました。

区画整理の反対運動は盛り上がり、少数与党でもあり施行規定を定める条例が遅々として進まないことから、高架化のための仮線路用地の確保は、小金井区域は遅れていましたが、他市では着々と進み、事業主体である東京都は平成11年3月18日に中央線高架化工事の起工式を行うことを決定しました。

(つづく)

走り続けた16年(205)

今、市政で何が

去る11月16日、西岡市長からの申し入れにより市議会全員協議会が開催されました。これは庁舎・福祉会館建設の実施設計段階において積算された建設費が分かったことから、その財源計画(案)と市の今後5年間の中期財政計画(案)を議会に示すものでした。

その結果、庁舎等複合施設の基本設計の段階での84・4億円が、実施設計では90・7億円と大幅なアップになりました。市長は新たな浸水対策の1・2億円も84・4億円に包含するとの考えが一変、設計等を含めた総事業費は120億円を超えることになりました。

西岡市長の市長選挙の公約は庁舎・福祉会館に図書館を加えた6施設の複合化は67億円で、新たな市民負担はないというものです。この選挙公約は論外としても、報告の度に大幅なアップは、課題山積の市政で、庁舎だけは聖域の様相で歯止めが掛からないのは問題です。チェック機関である議員の大多数が、議会の度後、市長に翻意を促すが、市長は全く貸す耳を持たない状況です。

市長は、議会が議決した予算を適正に執行してるという主張ですが、議員の立場は微妙です。予算否決は市民生活に影響を与えることや、全議員が庁舎建設に賛成であることから、市長に対し、いろいろ条件をつけて予算に賛成するものの、市長はその条件に対応しないことが、異常ともいえる4年連続しての一般会計決算の不認定の原因と思われます。議会の度ごとに乖離は深まる一方です。

市長は、議員は予算に反対できない、庁舎完成後の市庁舎の所在地変更の条例改正は3分の2の特別多数議決も、進めてしまえば反対できないと考えているように思われます。

小金井市は昭和50年前後の革新市政時代に大量の職員採用を果たし、人件費は事業費であり、それが市民サービスであるとの判断を議会も市民も納得してしまったことが結果的に大きな負の遺産となり、その改善には30有余年の年月を要しました。市長も議会も市政の方向性を誤ることのない対応を求めます。

市庁舎は市にとって必要不可欠の施設ではあります。しかし、これは生産性を上げるものではなく、税金を生み出すものでもありません。一般に市民の方々が市役所に行くのは年間を通しても1〜2回程度のものです。他の市民施設と違い利用したいと思って利用するというものではないのです。議会の意見に耳を貸さず、時間切れ見切り発車で強引に進めた場合、歴史的な評価に耐えられなくなることを危惧します。

この庁舎・福祉会館はL字型に建てられ、6階建て庁舎の北側に3階の福祉会館が庁舎に食い込む形の設計は疑問を持たざるを得ません。また、庁舎が大地震に際して、より安全に対応できる免震構造に対し、高齢者や障害のある人たちが利用する福祉会館が耐震構造であることも理解しにくいものです。あの3・11東日本大震災時、福祉会館内の福祉共同作業所の混乱を思うと、I字型での一体化したシンプルな免震構造が望まれます。

このコロナ禍で、総事業費の見直しを求める議会の要望に対し、返ってきた回答が大幅アップです。現計画のままでのコスト削減は不可能です。今こそ小金井市の財政状況を考慮した大胆な行政運営が求められます。

(つづく)