さくら通信

野川の清流が危機に

朝起きてカーテンを開くと、太陽に強い陽光に複雑な思いです。

異常気象なのか、北海道や西日本は例年にない豪雪で、日常生活を困難にしています。

一方、東日本は連日の晴天による水不足で農作物に影響を与え、それが野菜価格の高騰になっています。

「今日もいいお天気ですね」に、複雑な思いです。

はけの湧水も減ってきており、野川の枯渇が危惧されます。

毎年2月は雨量が減り、さらに木々が春が近づきたくさん吸水することから、 湧水が激減し、野川が枯渇することになります。

現在、鞍尾根橋に届く国分寺市からの湧水も減り、東京経済大学の「進次郎池」は干上がり、参拝者が途切れない貫井神社の湧水も激減し、滄浪泉園、谷口邸、美術の森の湧水もかすかに流れている程度です。

このまま晴天が続けば、野川は砂利道に化してしまうでしょう。

枯渇を回避するには、地下水の涵養が必要です。

小金井市は平成13年5月に、第3回「日本水大賞」においてグランプリを受賞しました。

これは、市民と下水道工事店の協力による、雨水浸透事業が評価されたもので、これにより野川やはけの湧水の枯渇を食い止め、街に潤いを増進させるのです。

表彰式は秋篠宮ご夫妻ご出席のもと、私が代表して表彰状をお受けしました。

雨水浸透事業に力を入れ、近隣市にも普及させていく必要があります。

さくら通信

住宅・都市整備公団総裁 伴襄(のぼる)氏との会談

建設省の事務次官OB伴襄総裁との会談は、平成13年1月30日、横浜アイランドタワーの本社で行われました。

これは、武蔵小金井駅南口の再開発は組合施行で進めてきたが、経済状況等から無理と判断し、地権者から住都公団施工で行いたいと、大久保慎七市長に申し入れ、市長は平成9年7月に、東京支社に施行を依頼をしました。

平成10年4月、市は住都公団と武蔵小金井駅南口再開発事業の基本協定を締結し、 一定の進捗を見たのですが、その後停滞してしまいます。

それは、住都公団の組織の改変。

また、昭和37年に都市計画決定をした駅前広場が、40年近く経っても一歩も動かないこと、地権者間の意志が統一されていない、さらに市議会の議会構成などから、住都公団は決断できないでいました。

平成11年4月、市長に就任した私の選挙公約は駅周辺の整備でした。

東京支社との交渉がなかなか進捗しないことから、責任ある役職の人との面会を各方面からアプローチし、平成12年の暮れに、住都公団のトップと会うことが決まりました。

年が明けて1月30日、横浜アイランドの本社を訪ねました。

総裁と対でと思っていたら、通された会議室には十数人の人が待機していました。そうです、理事会の席に呼ばれたのです。

多くの理事から質問を受け私が答えました。

試されているのは私のやる気、本気度でした。

話し合いを終え、エレベータまで送ってきた総裁から、「このあと予定がなければ中華街で食事でもいかがですか」と言われ、私は「望むところです」と応え、理事会が終えると中華街で待ち会食となりました。

私は、これで住都公団も力が入ると確信したのです。

その6ヶ月後の平成13年6月、第1地区については事業化の目処が立った旨の回答があり、事業推進が本格的になりました。

これで大きな関門をくくり抜けましたが、再開発完成までにはまだまだ いくつもの 苦難が待ち受けているのでした。