走り続けた16年(229)

区画整理への道②

JR中央線の高架化には東小金井駅北口の土地区画整理事業の推進が必要でした。

区画整理事業とは、駅前広場や道路、公園など公共施設を整備することで所有する土地の評価が上がった分を所有者から土地で提供していただき、それを整備に使うもので『土地のタダ取り』と喧伝されることになり、地権者の理解を得るのは厳しいものです。

市は平成6年度に、部課長を中心とした本部員が地権者に戸別訪問で理解と協力を得るべく説明を重ねました。その結果、平成9年4月1日現在、地権者は189人であり、賛成が70%(土地面積90%)、反対が24%(〃8%)であり、その他6%(〃2%)であると市議会に報告がありました。それを基本に進めてきたのが、平成9年1月に制定された情報公開条例に則り反対地権者が自己情報の開示を求めた結果5名が賛成にカウントされていたことが判明。また、賛成の中には市や市の土地開発公社、都や区画整理関連の6団体が。さらに、29人の区分所有者の集合住宅は管理組合の代表の意向だけで全員を賛成でカウントするなど不適切な対応があり、野党議員からの杜撰な調査との指摘に反論の言葉もありませんでした。

平成9年、10年と2年続けて内示のあった国庫補助金を取下げるという異常な状況に、再度予算が付くか不安視されたことから佐藤義明市議と都の区画整理課へ予算要望に走ったのは平成11年1月のことでした。

市が区画整理事業を施行する場合、法の規定により「土地区画整理事業施行規程を定める条例」を市議会で議決しなければなりません。それを大久保市長は平成10年9月議会に事業に必須とされるその「条例」を提案しました。9日から10日未明まで本会議で質疑され、更に、24日の本会議での質疑後、特別委員会(特委)に付託され、同日の特委での質疑も「地元地権者の理解が得られてない」という入口論に終止し継続審査となりました。11月20日の特委でも保留。12月定例会中の16日、21日の特委でも可決に至らず平成11年1月28日に継続されましたが、なかなか条例の中身の質疑に入れず、必要な前進が全く見られませんでした。

この様な状況の中、大久保市長は2月5日の記者会見で4月25日の任期を以て引退することを表明しました。

東小金井の区画整理の進捗を待っていた東京都も待ちきれず、仮線用地が一定確保できたことから3月18日武蔵野市スイングホールで中央線の高架工事の着工式を行いました。そのため、市議会の一部には「区画整理の進捗にかかわらず高架は進むので無理に急ぐことはない」との発言が出る始末でした。

大久保市長から引き継いだ市政、まず取り組むべき課題はこの東小金井駅北口の区画整理事業の推進でした。

「地元地権者の過半が反対している状況では質疑に入れない」というのが市議会の大勢でした。何としても『施行規定を定める条例』は可決させなければならないのです。そのため反対の地権者にも理解をいただくための努力が必要です。

4月26日市長に就任した私は、その直後の大型連休が終えるのを待って地元地権者の理解をいただくため、土・日を含めて毎日戸別訪問を行うことを内外に宣言しました。

(つづく)