2000年問題と「陽は昇る 小金井 」
私が小金井市長に就任したのは、平成11年1999年4月でした。
その年の後半に入って、コンピューター 2000年問題が 具体化してきました。
これはコンピュータが西暦年号の下二桁で差動しているため、 99の次は00年の2000年となるべきが1900年と反応する可能性があることから、政府は「コンピュータ西暦2000年問題に関する行動計画」を策定し、全国的具体的行動を地方自治体にも要請してきました。
小金井市も万が一に備え、「コンピューター2000年問題危機管理計画」を策定し、国および関係機関との連携を強化し、市民生活に影響を与えないための準備に万全安全を期してその日を迎えました。
12月31日、不測の事態に備えて理事者をはじめ、部長、そして関係職員は市役所で新年を迎えることになりました。
また、その他の管理職等はいざという時に備え自宅待機とし、全職員が2000年問題に取り組み ました。
緊張の中で午前0時を迎えました。
問題が想定される部署の異常もなく、テレビ等でも異常を報ずることもなく、安堵して新年を迎えました。
集まっていた職員には、自席に戻って待機するように指示しました。
私には仕事があったのです。
それは、2000年1月1日の0時を期して、婚姻届を出すカップルがいるだろうと考え、夜間受付職員には「少し待ってもらえれば 市長室で市長が受け付けます」と、カップルに伝えるように指示しました。
全員が私を待機していました。庁議室で待機するカップルを一組ずつ 市長室に入ってもらい、私が受け付け、記念写真を撮りました。
午前5時までに34組の受付をしました。それも一段落、外が明るくなってきたこともあり、仮眠してる職員を起こし、第2庁舎の8階まで階段をぞろぞろと 登りました。
初日の出を見るのです。私の欠点の一つは自分が好きなことは誰もが好きだと思うことです。
しかし、東の空に真っ赤な太陽が昇り、周辺の雲が黄金色に輝いているのを見て、眠いとか8階までの階段がきついと言っていた職員も、皆歓声をあけていました。
まさに「陽は昇る小金井」です。
2000年問題に異常がないことを確認し、自宅待機 も含めて全員を開放し、私は婚姻受付業務を再開するため市長室に戻りました。