走り続けた16年(264)

可燃ごみ処理に第3工場論

市議会議員の任期最後となる定例会、昭和60年2月13日小金井市議会は調布市、府中市と3市で運営する二枚橋の可燃ごみ焼却場の建て替えには同時に他の場所に第二工場を建設をするとの決議をしました。その内容は「今日まで二枚橋衛生組合で、現敷地内において焼却場の施設近代化計画が検討されておりますが、小金井市民は二枚橋焼却場から排出される公害等により長い間被害を被ってきたところであります。

したがって、老朽化した二枚橋焼却施設を建て替えるについては小金井市民の現状を十分しんしゃくし、公害のない、住民に迷惑をかけない施設とし、かつ、他に第2工場を建設することが付帯条件であります。ついては第2工場の計画検討を近代化計画と同時にすべきであることを小金井市議会として意見、決議します。」というもので全会一致で議決し、市議会議員の任期は終りました。

この決議は、小金井市とすれば当然と思われますが、調布市や府中市には到底受け入れられる内容でなく、それがその後長く続く小金井市のごみ問題に常に付きまとうことになりました。2市にとっては到底受け入れられないものを、小金井市議会が全会一致で可決したことで保立旻市長はその狭間で非常に苦しまれました。

60年3月31日執行の市議会議員選挙に私も立候補し、当選させて頂き市政の一端を担うことになりました。私の最大の眼目は財政の健全化で、それには人件費削減のための行財政改革を推進することです。奇しくも同日、小金井市に定年制が施行され30数名が定年退職しました。

2か月後の5月26日、任期満了による市長選挙で保立市長は革新統一候補との一騎打ちの戦いにダブルスコアで勝利し2期目の任期に入りました。

6月2日、2期目初登庁の保立市長を待ち構えていたのは欠員補充を求める職員組合との団体交渉でした。

この団体交渉に当たって保立市長から「連絡がつくように」とのことで、私は一人で市議会の会派控室で団交の推移を見守るため待機していました。これを契機に人員や給与などの団体交渉は議員としての14年間、常に市役所内で団交の推移を見ていました。これは組合の暴力的な交渉の阻止と、当局の安易な妥結を許さないということからでした。

保立市長が貫く欠員不補充による職員削減に対し、職員組合は定年制導入による退職者も多数出たことから激しく欠員補充を求めました。連日の厳しい抗議行動の中で保立市長から「職員採用には予算定数もあり採用は難しい」との発言が出ました。これを組合員は見逃すことはありません。60年度の職員の予算定数は1千30人で職員数は1千25人で5人の乖離があったのです。組合はこの5人の補充に的を絞って激しい攻防になりました。

精神的にも肉体的にも苦痛を伴う労使交渉が続きました。6月12日未明午前3時か4時頃自民党の控室にきた市長から5人の職員の採用を回答したとの報告を受けました。私は言葉がありませんでした。市長は、職員から選管事務局長のK・M氏の番号を聞き自ら電話をしました。「もし私がここで辞めたら繰上げ当選になるのか」と聞いているのです。当選してまだ2週間です、私は驚きました。

(つづく)