さくら通信

運転免許証の書き換え

本年11月の誕生日前の免許更新には、事前の検査が必要との案内が届きました。

これによると75歳以上の人は、更新前に認知機能検査と運転技能の検査を受ける必要があります。

そのため7月2日、3日に、緊張する中で両方の検査を無事済ませました。

あとは誕生日の1ヶ月前からの更新の手続になります。

昭和39年12月に取得した運転免許は60年以上を経ており、躊躇もありますが、更新の手続きに入りました。

あのコロナ禍の直前、令和2年1月末、銚子へのドライブを最後に車を手放しました。

理由は、駐車場、車検、保険と掛かる金額の負担と、走行距離を考えての結果でした。

そのため、ハンドルを握るのは道路を知り、行動範囲の広い故郷の銚子や、友好都市の三宅島に行った時のレンタカーに限られます。

高齢者による悲惨な事故が報道されます。 安全運転に徹します。

さくら通信

小金井新聞 再発行

市民に親しまれていた小金井新聞が、月3回の発行から2回に、そして1回になり、いつの間にか予告もなく休刊になってしまいました。

これは、社主の木内広子さんの体調不安によるものでした。

それが、6 月25日に再発行されました。

これは、この4月で 市議会議員を引退した、五十嵐京子さんが編集長になって 再発行することになったのです。

私の「走り続けた16年」も284号で止まっていましたが、再開いたしました。

どうぞ 、今後の小金井新聞に期待してください。

さくら通信

可燃ごみ処理を日野、国分寺と3市で

日野、国分寺、小金井の3市の市民が排出する燃やすごみの処理は、日野市石田1丁目にある浅川清流環境組合で焼却処理しています。

小金井市は平成19年3月、老朽化した二枚橋焼却場を廃炉して以来、多摩各地の広域支援に頼ってきました。

平成24年1月23日夜、三鷹市新川の焼却場で小金井市のゴミを焼却処理してもらうため、施設周辺の住民への混乱の説明会が終え大雪の帰り道、職員から「日野市はクリーンセンターの建替えを共同で行うことを考えているようです。」との報告がありました。

早速情報を整理して、馬場弘融日野市長に面会を求めました。

馬場市長とは、お互い市議会議員時代からの同志でした。

市長室に入ると、旧知の間柄にも関わらず、なぜか彼から名刺を手渡されました。

その名刺の左端に「覚悟を、そして希望を ーいつか 思いは叶うー 」の文字が、ブルーブラックのインクで手書きされていました。

平成24年4月、日野市役所の会議室で、日野市長、星野信夫国分寺市長と私の3人で、燃やすごみの共同処理を進めることで合意しました。

そして、条件整備の細部の交渉が、副市長、部長級の交渉が結実し、25年3月13日、3市の可燃ごみの共同処理を推進することの覚書が、3市長で締結されました。

平成25年4月日野市は、馬場市長の後継の大坪冬彦市長に引き継がれ、事業は計画通り進められ、令和4年4月1日から30年間の本格稼動がスタートしました。

そして、大坪市長の3期目の任期が、この令和7年4月26日で終えることから、4月23日午後に日野市役所を訪ね、小金井市がお世話になった感謝の気持ちを伝えるとともに、再会を約束して日野市を後にしました。

4月28日(月) 午前9時、新市長の古賀壮志氏( 47 )が初登庁しました。

古賀市長の父・俊昭氏と私は、昭和60年以来の盟友 で、彼は都議会議員 7期の任期中に逝去されました。

壮志氏には、父・俊昭氏の思いの分まで、頑張ってほしいと思っています。

さくら通信

「ぐりとぐら」の中川李枝子姉妹

4月16日、昨年10月に亡くなった児童文学作家の中川李枝子さんと、令和4年9月に亡くなった妹の挿絵家の山脇ゆり子さんのお別れ会が、都内で開かれたことが報じられました。

お二人にお会いしたのは平成20年3月28日でした。

スタジオジブリの宮崎駿監督から、保育園「3匹のクマの家」が完成し、4月1日に開園するので家族で保育園に来てほしいと連絡がありました。

それは、監督のスタジオの隣地の保育園用地取得から開園まで、私が関わってきたことからでした。

家族は大喜びで、妻と2人の娘と孫の5人で参加しました。

宮崎監督が、私の家族ら十数人を引き連れて園内外を説明して歩いている時、私の次女が「 あの方は中川さんですか?」に監督は、「そうです。中川さんは保育の経験もあるんですよ。」との言葉に娘は嬉々として、中川、山脇姉妹に「 私はぐりとぐらはほとんど読みました。」と話し、2人からべったり離れず歩いているのを見ていて、今日の会の趣旨と違うんだがとの思いでいました。

私も、中川さん、山脇さん姉妹にお会いするのはこの日1日限りでしたが、強い印象として残っています。

外国でも多くの人々に愛読され、これからも永遠に愛読されていく作品をたくさん作られた、お二人のご冥福をお祈りいたします。

 

さくら通信

日野市長に古賀壮志氏

4月13日に執行された日野市長選挙で、自民党推薦の古賀壮志氏が初当選しました。

選挙戦は前市議の古賀氏(47)が21,780票を獲得し、同じく前市議の有賀精一氏( 66)が19,556票、前都議の菅原直志氏( 57)の19,374票を制し勝利しました。

小金井市、国分寺市と日野市の3市の燃やすゴミは、日野市石田の浅川清流環境組合で共同処理をしており、日野市民、焼却場のある石田地区周辺の方々には、大変お世話になっております。

新市長の父俊昭氏とは、昭和60年に私が小金井市議会議員になって数年後、日野市議の古賀俊明氏、武蔵野市議の水野学氏、三鷹市議の島野浩二氏、杉並区の都議の山田宏氏(現・参議院議員)の5人で「無印良品 議員の会」を結成し、若かったこともあり青臭い議員活動を生真面目に努めていました。

平成11年2月23日の朝7時前に、都議会議員の古賀敏昭氏から電話があり、「新聞を読みました。千載一遇のチャンスであり、健康に注意してなんて言わない。寝食を忘れて頑張ってください。 」と、私の市長選出馬の新聞記事を読んでの激励でした。

そのため、小学生の頃から古賀候補を知る私は、応援に行かなければと思いつつ、市の行政執行に迷惑をかけてもいけないと考え、9日午後の高幡不動駅南口の演説会に参加し、マイクを持たせられるのを避けるため人影で彼の演説を聞き、演説会終了後に候補者を激励しました 。

盟友であった古賀俊昭氏は、都議会議員を7期務められ、現職のまま逝去されました。

この選挙結果を、天国で喜んでいるだろうと思っています。

頑張ってください。

小金井市との交流にも努めていただくことに期待します。

盟友の息子が市長に、時の流れを感じさせるものです。