さくら通信

三宅島 歩いて一周9回目  

4月10日、調布飛行場から一番機で三宅島を訪ねました。

これは5月27日から6月1日まで、市民交流センター(宮地楽器ホール)で、小金井市文化協会が主催する「芸術文化フェスティバル 2025」の写真展に、三宅島をテーマにするため7人の写真愛好家が三宅島を撮影するということで、私が案内をさせていただきました。

三宅島空港に到着し、予定のコースで写真撮影に入りました。

生憎のお天気で、期待の日の入りも日の出も見られませんでしたが、三宅島の絶景を案内させていただきました。

写真展での三宅島の絶景に期待してください。

カメラマンの皆さんは、1泊で11日午後の飛行機と、橘丸の航路に分かれて帰られました。

残った私は翌12日、爽やかな快晴の三宅島一周三十数キロに、9回目の挑戦をしました。

私が島を歩くのは結構知られていて、歩いていると車を止めて激励をいただきます。

今回も、村長の山高さん、曽我部議員、役場の幹部職員、三宅島友好・交流協会の石森副会長や 、多くの村民の方々と路上での友好、親善を進めました。

歩いての1周は、昨年2月は8時間程度でしたが、今回出発の阿古地区に戻ってくるのに10時間以上要し、体力の限界を自覚しました。

しかし、三宅島の魅力を体感するには、やはり歩くのが1番です。

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斎藤元彦兵庫県知事は辞職すべきである

兵庫県の斎藤元彦知事による、パワハラ疑惑などが内部告発文書で明らかになり、県議会86議員全会 一致で不信任が可決されました。

これに対し斎藤知事は、自らの辞職や議会の解散を避け失職を選択し、知事選挙に立候補しました。

議会から全会一致で不信任された知事が、再び立候補することは想定外だったが、それが111万3911票を獲得し、次点に13万7274票の差での当選は、信じられない思いです。

この疑惑を調査した県議会の100条調査委員会は、知事選挙の世論に怯えたのか、厳しさに欠けると思われる報告にも、「それも一つの見解」と知事に軽くあしらわれました。

しかし、この告発文書を検証するため県により設置された、公平・中立で独立性の高い外部の弁護士等で構成された「第三者委員会」は、その調査報告書で告発文書を公益通報扱いとせず、告白者を探し出し懲戒免職にしたことは、明らかに違法・無効と認定し、処分は無効だとした。

また、職員への叱責の多くをパワハラと明確に認定した。

ニ人の貴重な命が失われ、第三者委員会の調査報告書が出されても何ら行動を起こさない斎藤知事には、リーダーの資格はなく辞職すべきです。

知事が職員を怒鳴り散らすパワハラを、教育的措置との発言は自己弁護であり、感情的対応としか思えません。

私は市長としての16年間で、市職員を怒鳴ったことは一度もありません。

ただ、東京都市町村職員共済組合の理事長職にあった時、ペインオフが導入されたことから、分散していた 4000億円近い積立金をメガバンクに集めました。

それを私の許可もなく、労働関係の金融機関に30数億円を移して、便宜を図った共済組合の管理職の事後報告には本気で怒りました。

私が思い出されるのはこの一件だけです。

また、贈り物は断るのが基本ですが、どうしても断れず受け取った場合は、秘書がその時特に繁忙な部署に持参し処理してもらいました。

また、記念品など比較的希少な物は、秘書係が知恵を絞って職員に与えていました。

私は自宅に持ち帰らず、全て庁内で処理することで通しました。

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名称小金井さくら指定100周年

今年も桜のお便りが届き始めました。

昨年は、大正13年12月9日桜で名高い奈良県吉野山、茨城県桜川とともに小金井(サクラ)が名勝指定を受けて100周年を迎えました。

市は記念事業実行委員会を立ち上げ、各種の記念イベントが実施されました。

メインの式典は、12月8日市民交流センター( 宮地楽器)大ホールで行われ、小金井さくら 復活に尽力された方々や、その活動等が紹介されました。

また、岩手県北上市の伊藤彬元市長も来訪され、錦上花を添えていただきました。

式典終了後、私は旧交を温め再開を約束しました。

東北地方の3大桜の名所として知られる、岩手県北上市の展勝地公園の桜は、大正10年 (1921 )小金井産の山桜約1000本の苗木が小金井町から移植されたもので、今でも美しい花を咲かせ、地元の人々には「こがねい」とか「小金井の山桜 」と呼ばれています。

平成13年( 2001)に、展勝地公園開設80周年記念式典が同公園等で盛大に行われ、私も さくらの会の石田精一 会長と招待に応じて参加しました。

式典の中で北上市長の伊藤彬氏より、友好の証として親木から接ぎ木で増やした後継樹の寄贈が、目録で小金井市に贈呈されました。

そして、6年後の平成19年11月4日桜を愛する市民のお願いが叶い、両市の関係者が見守る中、北上の地で育った苗木5本が、小金橋そばの玉川上水堤のふるさとに里帰りしました。

この山桜には、両市の名勝小金井サクラ復活の思いが込められています。

これからは、平成21年東京都が策定した「 史跡玉川上水整備活用計画」に沿って、雑木等の剪定、伐採を行い、そこに植えられたさくらで名勝にふさわしい玉川上水を復活させ、歌川広重の浮世絵あるさくらが復活することになります。

また、平成23年3月11日の東日本大震災時に、小金井市から北上市に救援物資を送る準備が整ったので北上市長の伊藤氏に連絡すると、「北上市より大船渡市に送ってほしい」と言われ、大船渡市長と話し合い救援物資を送らせてもらいました。

今回の大船渡市の山林火災で、14年前の大震災を思い出しました。

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野川の清流が危機に

朝起きてカーテンを開くと、太陽に強い陽光に複雑な思いです。

異常気象なのか、北海道や西日本は例年にない豪雪で、日常生活を困難にしています。

一方、東日本は連日の晴天による水不足で農作物に影響を与え、それが野菜価格の高騰になっています。

「今日もいいお天気ですね」に、複雑な思いです。

はけの湧水も減ってきており、野川の枯渇が危惧されます。

毎年2月は雨量が減り、さらに木々が春が近づきたくさん吸水することから、 湧水が激減し、野川が枯渇することになります。

現在、鞍尾根橋に届く国分寺市からの湧水も減り、東京経済大学の「進次郎池」は干上がり、参拝者が途切れない貫井神社の湧水も激減し、滄浪泉園、谷口邸、美術の森の湧水もかすかに流れている程度です。

このまま晴天が続けば、野川は砂利道に化してしまうでしょう。

枯渇を回避するには、地下水の涵養が必要です。

小金井市は平成13年5月に、第3回「日本水大賞」においてグランプリを受賞しました。

これは、市民と下水道工事店の協力による、雨水浸透事業が評価されたもので、これにより野川やはけの湧水の枯渇を食い止め、街に潤いを増進させるのです。

表彰式は秋篠宮ご夫妻ご出席のもと、私が代表して表彰状をお受けしました。

雨水浸透事業に力を入れ、近隣市にも普及させていく必要があります。

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住宅・都市整備公団総裁 伴襄(のぼる)氏との会談

建設省の事務次官OB伴襄総裁との会談は、平成13年1月30日、横浜アイランドタワーの本社で行われました。

これは、武蔵小金井駅南口の再開発は組合施行で進めてきたが、経済状況等から無理と判断し、地権者から住都公団施工で行いたいと、大久保慎七市長に申し入れ、市長は平成9年7月に、東京支社に施行を依頼をしました。

平成10年4月、市は住都公団と武蔵小金井駅南口再開発事業の基本協定を締結し、 一定の進捗を見たのですが、その後停滞してしまいます。

それは、住都公団の組織の改変。

また、昭和37年に都市計画決定をした駅前広場が、40年近く経っても一歩も動かないこと、地権者間の意志が統一されていない、さらに市議会の議会構成などから、住都公団は決断できないでいました。

平成11年4月、市長に就任した私の選挙公約は駅周辺の整備でした。

東京支社との交渉がなかなか進捗しないことから、責任ある役職の人との面会を各方面からアプローチし、平成12年の暮れに、住都公団のトップと会うことが決まりました。

年が明けて1月30日、横浜アイランドの本社を訪ねました。

総裁と対でと思っていたら、通された会議室には十数人の人が待機していました。そうです、理事会の席に呼ばれたのです。

多くの理事から質問を受け私が答えました。

試されているのは私のやる気、本気度でした。

話し合いを終え、エレベータまで送ってきた総裁から、「このあと予定がなければ中華街で食事でもいかがですか」と言われ、私は「望むところです」と応え、理事会が終えると中華街で待ち会食となりました。

私は、これで住都公団も力が入ると確信したのです。

その6ヶ月後の平成13年6月、第1地区については事業化の目処が立った旨の回答があり、事業推進が本格的になりました。

これで大きな関門をくくり抜けましたが、再開発完成までにはまだまだ いくつもの 苦難が待ち受けているのでした。