さくら通信

住宅・都市整備公団総裁 伴襄(のぼる)氏との会談

建設省の事務次官OB伴襄総裁との会談は、平成13年1月30日、横浜アイランドタワーの本社で行われました。

これは、武蔵小金井駅南口の再開発は組合施行で進めてきたが、経済状況等から無理と判断し、地権者から住都公団施工で行いたいと、大久保慎七市長に申し入れ、市長は平成9年7月に、東京支社に施行を依頼をしました。

平成10年4月、市は住都公団と武蔵小金井駅南口再開発事業の基本協定を締結し、 一定の進捗を見たのですが、その後停滞してしまいます。

それは、住都公団の組織の改変。

また、昭和37年に都市計画決定をした駅前広場が、40年近く経っても一歩も動かないこと、地権者間の意志が統一されていない、さらに市議会の議会構成などから、住都公団は決断できないでいました。

平成11年4月、市長に就任した私の選挙公約は駅周辺の整備でした。

東京支社との交渉がなかなか進捗しないことから、責任ある役職の人との面会を各方面からアプローチし、平成12年の暮れに、住都公団のトップと会うことが決まりました。

年が明けて1月30日、横浜アイランドの本社を訪ねました。

総裁と対でと思っていたら、通された会議室には十数人の人が待機していました。そうです、理事会の席に呼ばれたのです。

多くの理事から質問を受け私が答えました。

試されているのは私のやる気、本気度でした。

話し合いを終え、エレベータまで送ってきた総裁から、「このあと予定がなければ中華街で食事でもいかがですか」と言われ、私は「望むところです」と応え、理事会が終えると中華街で待ち会食となりました。

私は、これで住都公団も力が入ると確信したのです。

その6ヶ月後の平成13年6月、第1地区については事業化の目処が立った旨の回答があり、事業推進が本格的になりました。

これで大きな関門をくくり抜けましたが、再開発完成までにはまだまだ いくつもの 苦難が待ち受けているのでした。

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新春 恒例の歌会始

新春恒例「歌会始の儀」が、1月22日皇居・宮殿「松の間」で行われました。

今年のお題は「夢」で、天皇、皇后両陛下や皇族方をはじめ、国内外からの1万6千余首から選ばれた入選者10人と選者、そして、天皇陛下に招かれた召人の歌が 伝統的な節回しで朗詠されました。

天皇陛下は、昨年地震や大雨で被災した能登半島を訪れ、その時に対面した子どもたちの印象を歌に込められたとのことです。

御製は 旅先に 出会ひし子らは 語りたる 目見輝かせ 未来の夢を です。

私が歌会始で特に印象に残っているのは、令和30年の御製です。

それは 語りつつ あしたの苑を 歩み行けば 林の中に きんらんの咲く でした。

その歌は、天皇(現・上皇)陛下が美智子さまとご散策の途中で見た、きんらんをお読みになられたと報じられました。

上皇陛下は、皇太子時代の戦後を間もない昭和21年の中学から高校生までの5年間、 小金井で過ごされました。

その時、小金井公園でご覧になられた、懐かしい思い出あるきんらんを歌にされたとのことでした。

また、その時の歌会始の召人を、小金井市民であり、現在小金井名誉市民である 作家の黒井千次氏が務められたのも記憶に残るものでした。

召人の黒井千次氏の詠まれた歌は 語るべき ことの数々溢れきて 生きし昭和を 書き泥(なず)みゐる でした。

 

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鉄建建設会社の林康雄会長が逝去

1月13日、鉄建建設の会長である林康雄氏の訃報が報じられました。

72歳の年齢はあまりにも若く残念でなりません。

私と林氏とのお付き合いは、氏がJR東日本の八王子支社長時代からと長く、中央線の高架事業では大きな役割を果たされました。

特に仮線路の切り替え時の責任者であり、「首がかかっている」と言っての切り替え工事は、田端配電所のミスから電車が武蔵小金井駅構内に入れず大混乱に陥り、マスコミ等にも厳しく指摘れました。

しかし、林氏は出世街道をまっしぐらで、平成21年にはJR東の常務取締役に就きました。

その後、転じて鉄建建設の社長になリました。

私が市長を退くにあたり、小金井市の街づくりの視察の名目でJR東日本の清野智社長や、中井常務らと林社長も一緒に小金井に来られ、市側も大勢の関係職員で武蔵小金井駅南口で出迎えました。中央線高架や再開発の成果を確認するものでした。

その後、高架化の条件であった東小金井駅北口の区画整理事業も視察し、JR 関係者は帰られました。

小金井市の街づくりに貢献された林康雄氏のご冥福を、心からお祈りいたします。(合掌)

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小金井消防団の出初式   

新年恒例の小金井市消防団の出初式が、1月12日午前10時から武蔵小金井駅南口交通広場で、大勢の市民が見守る中で盛大に行われました。

団員は生業を持つ傍ら、「自分たちの町は自分たちが守る」という 郷土愛の精神から、地域防災の中核として常備消防の消防署と連携を取りながら、市民の生命、財産を守るため、ボランティアで頑張っています。

火災は冬の真夜中に発生することが多く、枕元の無線やサイレンで火災発生が知らされると、団員は詰所の消防車で火災現場に行き、消火活動を行います。

消化活動は危険も伴うため、厳しい訓練も必要とされています。

消防団員、そして団員を支えるご家族や地域の方々にも感謝です。

公職に着いた私は、消防団員の経験のないのがハンディでした。

そのため、議員の時は市の東北部を中心に、火災が発生した時は何か役立つことがあるか、現場へ行きました。

市長になってからは市内全域でボヤであっても、火災が発生した場合、私は100% 現場に行ったと認識しています。

それは、団員を激励するためと感謝を伝えるためでした。

私は、消防団員の活動を理解していただくことに腐心しました。

そのため、市営グランドで行われていた出初式に、市民や団員の家族に見てほしいと呼びかけましたが、なかなか果たせませんでした。

そこで、再開発で整備された武蔵小金井駅南口で行うことを検討しました。

交通広場を使うため、バスやタクシー会社や利用者のご理解をいただく困難が伴いましたが、職員の努力が実りました。

条件が整ったことから、平成25年1月からの出初式は、武蔵小金井駅南口の交通広場に移動しました。

操練や通常点検には狭いのと日陰になる悩みはありますが、今回12回目となり、団員のご家族を始め、1000人を超える多くの市民に見てもらうことができ、大成功だったと思っています。

団員には健康に留意し、「安全で安心の小金井市」のため、頑張っていただきたいと思っています。

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ガラコンサートの開催

第13回小金井ガラコンサートが、昨年10月27日小金井市民交流センター(宮地楽器ホール)で開催されチケットは完売の盛況でした。

このガラコンは、小金井市民でありNHK交響楽団の主席オーボエ奏者であって、指揮者としても活躍する茂木大輔氏により企画され、市民交流センターの指定管理者である、こがねいシティ共同事業体の主催事業として行われています。

オーケストラのメンバーは皆さん、小金井市民や小金井市にゆかりのある方々により編成されており、その演奏は素晴らしいものでした。

指揮者の茂木氏は、30年以上にわたりNHK交響楽団の主席オーボエ奏者として活躍され、現在は指揮者として全国を舞台に活動しています。

N響アワーや、らららクラシックなどの番組に毎週出演していました。

また、エッセイストとしての著書も多数あり、その本の中には、小金井市が何気なく ちょこっと出てくるのを読むのも楽しいものです。

過日のコンサートの後、著書「名曲の曲名」販売のサイン会があり、茂木さんのファンである妻は行列の後ろに並び、順番が来て名前を聞かれ「稲葉です」に、茂木さんが顔を上げ隣にいた私に「やあ稲葉さん、お久しぶりです。おかげさまで13回まで来ました。」に私が、「これからも頑張ってください」と言うと、「稲葉さんは生みの親 なのでこれからもよろしくお願いします。」と返されました。

私は何をしたわけでもないのですが、茂木さんは小金井市の魅力発信の、シティプロモーションの司令塔になれるのではないでしょうか。

市を挙げて応援したいものです。

小金井ガラコンサートと市を愛する茂木大輔マエストロの、今後ますますのご活躍を期待しています。