さくら通信

思い出の7月2日

60年前の昭和40年7月2日午後4時、横浜港大桟橋から大阪商船の移民船「さんとす丸」(8500t)がアメリカに向けて出航した。

私は子どもの頃からの夢だった世界一周無銭旅行に、大学2年が終えた時点で1年間学校を休むと決めてこの船に乗りました。

3月頃から船内で働くことを条件に、ただでアメリカまで乗せてくれる船を探すため連日海運会社めぐりです。

根負けした大阪商船が話を聞いてくれて無料にはならなかったが、船内で仕事をすることなく乗せてくれました。

海外旅行の自由化前で1ドルは360円で、旅行者が海外に持ち出せる金額は500ドルまでで、パスポートやビザの取得も自分でする時代でした。

さんとす丸は貨客船だが貨物船に毛の生えた程度で、私の区画は船底の小体育館のような船倉の真ん中に工事用のパイプを組み合わせ、その間に幅1m×縦2mのベニヤを渡し、マットレスを敷き毛布を掛けただけの簡素でした。しかし、私には最高の居場所でした。

出航して数日後、1人の中年女性がかいこ棚の船底に来て、「皆さん ポルトガル語の勉強をしませんか」と呼びかけた。私は一目見て、この人は澤田美喜さんだと気づいた。

船にはブラジルやアルゼンチンに移住する人たちや、進駐軍の米兵を父に日本人を母にする 混血児 7人が、人種差別のないブラジルへ移住することで乗っていました。

出港時にマスコミがいたことや、澤田美喜さんが乗っている理由がこれで分かりました。

澤田さんは、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎の孫であり父は久弥です。

16日後、船はロサンゼルス南のサンペドロ貨物港に着き、澤田さんや7人の侍、南米に移住する人たちとの別れでした。

憧れの米国です。

ロスから西海岸を北上しカナダのバンクーバーへ。そして南下し再び ロスへ。ここでアルバイトを、その後、 南部を経て東部フロリダから北上 9ヶ月後の3月、ニューヨークでイギリスに向かって世界を一周するか日本に帰るか悩みました。

米国でのアルバイトでその後の旅費はある程度確保していたが、学校は新学期が近い頃で悩みました。

結局、米国中央部を横断しロスに戻り飛行機でハワイへ、そこで目いっぱい泳いで、 そして、 5月のゴールデンウイークに羽田へ帰ってきました。

世界一周の1人旅の夢を果たすことはできませんでしたが、満足の旅でした。