走り続けた16年(149)

保立旻市長辞職④

昭和61年12月定例会で与党の一部も賛成して成立した議員提案の「老人入院見舞金支給条例」は保立市長が「自らの政策的見地と相入れない」とし、市長の伝家の宝刀、拒否権ともいわれる「再議」に付しました。

この再議の扱いについて議会での調整が付かず、12月25日の最終日、定例会を年明けの1月23日まで延長を。さらに、延長した議会でも協議が整わず、異例の2月12日までの再延長となりました。

2月9日、再開した本会議での質疑は、休会中の2月2日真夜中に小金井市も構成市である一部事務組合「公立昭和病院」の総務部長が収賄の容疑で逮捕されたことでした。

3日の昭和病院は、総務部長が収賄容疑で逮捕されたことから報道陣が押しかけ大騒動になっていたのです。

市長は朝のニュースや昭和病院からの報告で知ったが、特に助役や部長に指示することもなく、かねての予定通り、恒例としている高尾山薬王院の節分祭の招待に応じて、市長車等は使わずプライベートでの行動になりました。そのため、その日、定例の庁議は欠席となりました。また、その高尾山で転倒し足を骨折してしまったのは大きな誤算でした。

野党は、この辺の事情は調査済みで、厳しい質問となりました。庁議は内閣でいう閣議であり、市政の重要政策等を策定、決定するもので、市長が主宰します。その日の庁議の議題は3月議会に提案する議案などで、事前に打ち合わせを済ませ助役に任せました。

3日の庁議に欠席したことについては「配慮が欠けたことにお詫び申し上げたい」との答弁になりました。

4日、市長は治療のため昭和病院を訪ね、その後、事件について説明を受けました。

「私が怪我をしないで午後に登庁すれば、事件への対応をとることができたのだろうと思う。結果において、対応が甘かったことを反省している」と答弁しています。

9日の本会議は午後5時の定時前に延会しました。

10日は午前10時39分に開会して、昭和病院組合の事件についての市長報告が行われ、多くの質疑が出ました。市長報告は中間報告とし、午後11時55分に延会となりました。

そして、2月12日の本会議を迎えました。その日の議会会議録に記されているのは、

午後10時39分開議
○議長(鈴木一雄君) おはようございます。
これより本日の会議を開きます。この際、保留案件、保留事項の調整のため、休憩いたします。 午後10時40分休憩―◇―(休憩後、会議を開くに至らなかった)午後5時閉会

異例の67日間に及んだ12月定例会は自然閉会と異常な形で終わりました。ようやく最終日になって、議会運営委員会で再議を本会議に上程したうえ厚生文教委員会に付託することで合意したにもかかわらず、午後4時45分、会議時間の延長を諮るに際し、与党議員(私を含む)14名が欠席したため出席議員が定足数に達せず、午後5時を経過し、自然閉会(流会)となり、再議に付せられた老人入院見舞金支給条例等の議案、請願・陳情の計51件が審議未了・廃棄となりました。

この結果を見て、保立市長が辞意を口にしたのです。

(つづく)