走り続けた16年(271)

厳しい年始ではあるが

4年振りの帰省で、家族揃って新しい年を迎えての元旦の団らんを最大震度7の能登半島地震が楽しかるべき一時を一瞬にして悲劇に変えてしまった。

この地震による家屋の倒壊等で多くの人が犠牲になり、安否不明者の捜索も余震の中、自衛隊や消防、警察が懸命に行っています。

地震による津波や火災も発生、また土砂災害や道路の寸断で復旧作業も救援物資の搬送も計画通りに進まず、停電や断水とライフラインにも大きな障害が出ています。水や食料、ガソリンも暖房の灯油も不足しています。その上、雨や降雪が避難生活や復旧作業をさらに困難にしています。

復旧・復興には政府を先頭に全国の自治体も職員の派遣や救援物資の提供も必要です。政府が司令塔になって対策を講ずる必要があります。国を挙げ仮設住宅の建設など対応しなければなりません。また、私たち一人ひとりも何ができるかも考える必要があります。

元旦を襲った地震です。懸命な救出作業がテレビニュースで報じられる最中の二日、突然、羽田飛行場からの現場中継で日本航空の旅客機と海上保安庁の飛行機が衝突し発火して滑走する航空機が延焼する画面が写し出されました。乗客・乗員は?と緊張が走りました。海保機の乗員6人のうち5人の死亡は残念でしたが、日航機の乗客と乗員379人の全員が無事脱出できたことは、奇跡ともいわれました。今後、原因の解明と改善策が講じられることになります。

世界に目を向けると相変わらずの戦争の映像に胸が痛みます。

ロシアのウクライナ侵攻が続く中、イスラエルがパレスチナ自治区のガザ地区を攻撃しています。目的はハマスの壊滅であってもパレスチナの一般市民、子どもや女性が犠牲になり、その報道には目を覆うばかりです。

平成17年8月、私はポーランドのアウシュビッツの収容所を訪ねました。第二次世界大戦でのナチスドイツのホロコースト作戦で何の罪もないユダヤ人がユダヤ人であるというだけで600万人といわれる人が殺されました。人間はこれ程までに残虐なことができるのかと思う程でした。人類史上最大の負の遺産であり、絶対に忘れてはならないことです。

そのユダヤ人国家であるイスラエルが圧倒的優位にある武力でガザ地区のパレスチナ人を殺害しています。複雑に絡み合っての戦いです。一日も早く紛争が治まり、子どもたちの明るい笑顔が戻ることを願うばかりです。

平成20年夏、旧知の友である京都府綾部市長の四方八州男氏の勧めもあり『中東和平プロジェクトin小金井』を開催しました。これは、常に一触即発の関係にあるイスラエルとパレスチナの憎しみの連鎖を断ち切り、友好親善を進めるため一粒の種を蒔くことを目的に、両国の紛争で肉親を失った高校生を小金井市に招いて交流を図るというものでした。彼等はホームステイなど行動を共にする内、「お互いに銃を向け合うことは止めよう」という言葉が出るようになりました。私は、この事業の成功を確信しました。この事業は外務省も評価し、国連総会で麻生首相から全世界に紹介される程でした。あれから16年を経て30代半ばになっている彼等が早く双方の国のリーダーとなって和平を進めてほしいと願うばかりです。

(つづく)