走り続けた16年(131)

市議会議員として⑫

小金井市は市域が狭いこともあり、し尿やごみ処理など嫌悪施設は市内だけで処理することが困難で、近隣市等に協力を依頼することも多くあります。

かつて、し尿は畑の肥料として使われてきましたが、都市化による住宅建設が進み、畑の肥料での処理が困難になりました。

昭和38年、武蔵野・小金井・村山地区衛生組合の湖南処理場(し尿)が西多摩郡村山町(現・武蔵村山市)に完成し安定した処理ができるようになりました。その後、公共下水道が完備しましたが、現在でも工事やお祭りなどの簡易トイレ等のし尿処理は、武蔵村山市の構成5市による湖南衛生組合で処理されています。

また、昭和33年から調布、府中、小金井3市から排出される可燃ごみは3市に跨がる二枚橋焼却場で平成19年まで約50年間処理されました。この間、3市の可燃ごみが種々の課題を持ちながらも処理できたことに施設周辺にお住まいの皆さんに感謝の気持ちです。

一方、不燃ごみは昭和55年以来3年間の約束で西多摩郡羽村町(現・羽村市)の砂利穴に投棄し、二枚橋焼却場で焼却できない可燃ごみも投入されていました。

それが、昭和58年9月、小金井市の埋立てごみの中に乾電池や蛍光灯、体温計などの有害物質が混入されているとの情報から、搬入が停止される事態も発生しました。

昭和59年4月からの不燃ごみや焼却灰の最終処分は西多摩郡日の出町のご理解で、日の出町での処分が現在も続いています。

この日の出町への搬入には当然ですが厳しい条件が付されていました。それは、有害ごみや有価物は除去し、15センチメートル以内に切断し、圧縮して搬入しなければならないのです。しかし、この諸条件を満たすには粗大不燃ごみの中間処理施設が必要ですが、搬入する自治体で唯一小金井市だけが、この施設がないのです。

市は、中間処理施設建設のため貫井北町1丁目に昭和50年代に用地を確保しましたが、取得にあたって地元住民の不信感や、集会所や公園設置の約束が履行されていないことから、これらの不信解消に長い年月を要すことになりました。

そのため、小金井市の粗大不燃ごみはロードローラーで潰したりしたものを手選別するなどし、日の出町に搬出する量は排出量の20%程度となり、他は別途処理していました。

私が議員になって最初の定例会である昭和60年6月の議会で、建設について地元の合意が得られたことから10月着工、翌年9月に稼働するとの市長報告がありました。

設計変更等もあり、3か月遅れて昭和61年12月1日稼働する施設の管理運営の方針が、9月に入っても決まらない状況でした。10月に、私も所属する小金井市行革推進連絡協議会が民間委託の要望書を提出し、私も民間委託を主張しました。

しかし、施設の管理運営は、正規職員5人、委託3人、臨時職員1人、計9人の直営・委託の混在とし、現業職員は内部生み出しとし、増員はしないことで妥結しました。

昭和61年12月、粗大不燃ごみ中間処理施設が完成し、稼働を開始しました。苦難の長い道程でした。

(つづく)