走り続けた16年(170)

大久保市政【施設管理⑨】

小金井市が市制を施行した後、昭和36年に職員組合を再建し自ら委員長に就任。その後、四半世紀に渡って組合の委員長に君臨し、天皇とも影の市長とも呼ばれた朝熊(仮名)係長が、日常、組合活動以外に果たすべき仕事もなく、時間を過ごすだけの施設管理室の改善を、昭和62年9月議会で共産党を除く全議員の賛成で市議会が議決したのです。

この決議の進捗状況を市長が議会に報告する昭和63年12月22日の本会議で「朝熊天皇」に傾倒する市職員が不体裁な態度で傍聴し、議員が「天皇」にとって批判的な発言をすると、野次を飛ばすなどして質疑を妨害する始末で、時には、議場に乱入するなどして議会を混乱させるのです。市長も管理職も混乱を恐れて手が出せない状況が続きました。

議会決議があっても施設管理室の改善は全く進まないのです。

平成2年6月議会で狭隘な庁舎の現状から適正配置を検討した結果、施設管理室を半分に縮小した、との市長報告がありました。これは、基準の2倍の広さの事務室を真ん中から仕切って、そこにドアを付け手前を倉庫にするものでした。これは、私たちが想定した決議の内容に沿ったとは到底いえない、と議会は猛反発したが、当局の答弁は「長年の経過があり、指摘通りの措置は難しい」ということでした。

一係長の事務室を移動させられず、施設管理係や土木課など息の掛かった部署の職員は鼻息も荒く、議会の進行は妨害するし、上司を吊し上げたり、職場放棄をするなど、恐いもの知らずで市役所を闊歩しているのです。

圧倒的多数の真面目に働く職員が小さくなり、組合活動をする職員が大手を振っている状況でした。

私の主張は、この様な状況を改善すべきであり、特定の人の特別扱いは止めるべきだということでした。それは、市役所全体の職員のモラルや士気に影響を与え、勤労意欲の低下になるからです。

議会決議に対応すべく、労使は50回に及ぶ協議を時間外手当をつけて行ったにもかかわらず進展しません。

この様な状況は、税の効率的な運用とはいえず、納税意欲にも影響を与えると考え、私は、混乱の広がりを覚悟して行動することを決意しました。

それは、施設管理係の朝熊係長が特別の処遇を受けているのは異常で正すべきとの主張を市民に知らせることでした。チラシの配布、壁新聞、個人で所有する街宣車を使って実名をあげての広報です。

これには、すぐに反応がありました。大久保慎七市長が自宅を訪ねてきて、壁新聞を外してほしいというのです。私は、市長と議会は別機関であり議員活動に、市長が制限を加えるのは筋違いであると答えました。私の主張は当然市長には理解できる内容であり、それを私に頼まざるを得ないような厳しい環境があったのです。私にとって一番辛いのは、私の行動で他の人が攻められることでした。大久保市長とは同じ話の繰り返しで、結局、壁新聞は外すことを了承しました。しかし、チラシの配布や街頭演説は続け、朝熊天皇の実名を白日の下にさらしたことに対する反応と思われる行動に、小金井警察も出動する事態になりました。

(つづく)