走り続けた16年(242)

専決処分について②

平成11年の3月定例会が終えた大久保慎七市長は年度末の3月30日、一般会計の補正予算を議会に諮ることなく専決処分しました。

これは、平成10年度の市の一般会計予算が当初の計画に反する社会変動により歳入の減と歳出増により赤字になることが確実になったのです。慌てたのは東京都です。定例会中にも拘らず担当職員を都庁に呼び、その対応策を市と協議していました。小金井市の一般会計が赤字になれば都は面目が丸つぶれになることから熱心な対応でした。私は事実を明らかにし、あえて都のために繕う必要はないとの考えでした。

補正予算の補正額は表面上の数字は56万1千円と当初の315億8千万円と比較して少額でしたが非常に手の込んだ複雑な手法でした。

まず、都の振興交付金の協力を得る。一般会計から繰出すべき2特別会計への繰出しを止める。そのため、特別会計は赤字になるが、それは次年度予算を繰り上げて充用して対応する。それにより後年度負担は重くなるがやむを得ないことでした。さらに、市の公園整備基金からの借入れて帳尻を合わせ、辛うじて平成10年度の一般会計を黒字にする形が整いました。

大久保市長の任期は4月25日までであり、この専決処分を市議会へ報告し承認を求めるのは次の市長の仕事になります。

4月25日の投開票で当選が決まり、26日午前0時、選挙事務所で大久保市長から「後は任せる」との言葉で引き継ぎを受けました。

その数時間後に初登庁した私は、一連の儀式の後、秘書から都の市町村を所管する行政部が早急に面会したいので時間を取ってほしいとのこと。就任3日目の28日午後1時半、都の松澤行政部長、松本地方課長ら6〜7人が来庁。「小金井市の財政は極めて厳しく自治体として存続も危ぶまれる」というものでした。私は「議員として財政状況は十分把握してる、財政再建を果すため行革を推進するので都の特段の支援を」の要請に都も力強く応じてくれました。

5月11日に開かれた臨時会は私が市長就任し最初の議会です。議題は議会人事の改選であり、議長には初めて共産党議長になりました。また、3月30日に大久保市長が専決処分した一般会計補正予算(第7回)を報告し承認を求めました。議会からは、専決処分に対して私の考えが問われ、「やむを得ない措置だと思う」と答弁しましたが、特別会計には予算通り繰り出し、一般会計の赤字を事実として、市民にそれを知らせる必要があると考えていました。大久保市長は都の立場等を考慮し、一般会計の赤字回避に努めた結果でした。

質疑を終了し採決の結果、賛成13、反対9、退席1で承認はされましたが、専決処分に対しての議会の反応は厳しいものでした。

かくありながら、5月31日、自らの給与の10%を平成12年3月まで減額することと6月に支給される期末手当(ボーナス)30%の減額を専決処分し、6月定例会に報告し承認を求めました。自分自身の減給であり、6月1日がボーナスの基準日であることから5月31日に専決処分したのです。議会の承認は得られましたが、1か月前の市長選挙で熱心に応援してくれた議員からも厳しい指摘を受けることになりました。

(つづく)