走り続けた16年(179)

「或る障がい者の死」④

重度の障がいある山ヵ絵里さんは、母の亡くなった平成7年、36歳から小金井市障害者福祉センターへ通所しました。身体の1種1級の障がいは体幹の機能障害で座ることもできず、室内の移動は四つ這いで、知的は1種2度で、書くことも話すこともできず、文字盤を指で押して音声を発信するトーキングエイドで多少の意思疎通はありましたが、次第にそれも困難になり、父の病いもあり平成16年、45歳で八王子療護園に入所しました。

平成22年50歳でがんに侵され、その後、転移も確認され手術で対応しましたが、再発となり体力的なことを考慮して外科的治療はしないことにしました。

その後も日常的な変化はなく元気であり、心配した食欲の減退もありませんでした。

私が市長を退任した平成28年に入ってから絵里さんの判断能力の減退が次第に進んでいることを知らされました。彼女には身寄りがなく、その財産を相続する人もいないため、もしもの時には全て国庫に帰属することになります。国庫への帰属には、絵里さんの周辺の誰もがそれを望みませんでした。

絵里さんが多くの友と楽しく過ごした小金井市障害者福祉センターの10年間、父恭一さんの遺書に、市の障害者福祉事業に感謝の思いを記されていたことを念頭に公式証書の作成作業を早急に進める必要が生じたのです。

絵里さんは話すことも書くこともできず、ボードで文字を示す意思表示のため、公正証書作成には繁雑な手続きが必要でした。

絵里さんの公正証書作成に当たり、移動が困難なため、公証役場ではなく八王子療護園となり、公証人の作成手数料の他、役場外執行費用、交通費等が必要であり、重度の知的障がいから複数の医師の立ち会いも必要とされ後見人、後見監督人、さらに、本人を確認する複数の証人も必要で、この人たちの報酬、交通費等の諸費用の捻出が課題でした。

市に諸費用の負担が可能かを検討したが、自治体の公費負担は困難と判断しました。

遺言作成に関わる個人には報酬が支払われることから、根底は善意であっても、それを負担することが還流と見られるのは潔よしとせず、また、正当性を求めるところから、手続きは繁雑だが通例に従い絵里さん本人の財産から支出せざるを得ないと判断しました。

父恭一さんの遺志を継ぎ、絵里さんの財産についても、障害者福祉事業に活用する旨の遺言作成にかかる諸費用を、絵里さんの財産から支出することの許可が家庭裁判所から出されたことから、諸手続きを具体的に進める事になりました。

まず、公証人の選任ですが、なぜか公証人がなかなか決まらず、法務省の関係者に協力を依頼し、元検事の公証人が決定しました。次は、現職の医師2名も決め、後は、社会福祉士の後見人と弁護士の後見監督人、証人2名は絵里さんが最も信頼する障害者センターの前所長吉岡博之さんと私が務めました。

日程調整に手間取りましたが、平成28年11月28日15時全員が八王子療護園の会議室に集合し、簡単な打合わせが終えたところに、特別注文の座面も動くリクライニングの車椅子で絵里さんが支援員と会議室に入りました。

(つづく)