走り続けた16年(235)

区画整理への道④

平成11年4月26日に始まった私の任期は、選挙公約でもあり暗礁に乗り上げている東小金井駅北口区画整理事業を推進するため、地権者の理解を得ることに全力を注ぎました。

半年が過ぎた11月5日午前10時、小金井市の命運を懸けた市議会中央線・駅周辺整備調査特別委員会(以下・特委)が緊迫する雰囲気の中、多くの地権者やマスコミが傍聴する中で開会されました。

冒頭、私から「事業区域内地権者の過半数の同意を得たと認識している」との発言に「その認識に、市長の地位と名誉と職責を懸けての発言か」には、「政治生命を懸ける」との私の答弁に、特委は一層緊迫した状況の中で進行しました。

質疑は昨年9月議会に大久保慎七市長が提案した「小金井市都市計画事業東小金井駅北口土地区画整理事業施行規定を定めの条例の制定について」(以下、条例)が、反対する議員の条例の中身に入る前提条件の整理で、との理屈で入り口論が延々と続いていました。

17時半ごろになり、推進派議員から本題となる条例の中身の質問が出ました。それに対し、反対派の議員から次々と問題発言との異議が出て18時に休憩となりました。再開されると条例に対する答弁となりました。さらに、反対派議員から条例の中身に関しての関連質問が出されたことで、私はこれで出口が見えた、後は時間の問題との思いになりました。

日付が変わって、午前3時前、与党議員から質疑打ち切りの動議が提案されました。さらに、休憩動議が野党議員から出され、休憩動議が先議となり、採決の結果可否同数となり社会党の武井正明委員長はこれを否決しました。次は与党議員提出の質疑打ち切り動議の採決です。悪役を買って出て質疑打ち切りの動議を提案してくれた推進議員、可否同数の休憩動議を否決してくれた委員長、特委での1年2か月を経た懸案の「条例」採決は目前です。私は2〜3日の徹夜を覚悟していただけに、この時点での質疑打ち切り動議には困惑しました。区画整理事業完成には20年、30年とかかる大事業です。それが、まだ質問者が残っているにもかかわらず、強行採決は今後の事業の推進に大きな障害になるだろうと考えたのです。

私は委員長に休憩をお願いしました。委員長は「いいの、いいの、それでいいの」と繰り返し言われました。野党議員の発議の休憩動議を委員長の決断で否決し、その直後に私が休憩をお願いする不合理なのです。委員長は休憩を宣言しました。

休憩中私は与党の推進議員に質疑打ち切りの動議の撤回をお願いしました。それは、まだ条例に関する質疑が尽くされていない。強行採決をすれば、それを理由に事業の推進が困難になる。我々行政側は最後まで頑張るので質疑を続行してほしいとお願いしました。約2時間の協議の末、私の主張を受け入れてもらいましたが、決着を目前にして、私が質疑の続行を求めることで、その責任はさらに重くなりました。

午前5時に再開された特委では動議の撤回が承認され質疑続行の後、午後1時まで休憩となり、再開した特委は質疑が続行され、午後8時、8日(月)午前10時からの再開を決めて散会しました。

小金井市の命運を懸けた議決の期限は10日です。

(つづく)