走り続けた16年(226)

街づくりに重要な お二人⑦

平成11年4月の市長選挙、私のキャッチフレーズは『陽は昇る小金井』で、選挙公約はJR中央線の高架化と駅周辺の整備、財政の健全化と新たに導入される介護保険制度の円滑な導入が柱でした。どれも待ったなしの重要な政策・課題です。

特に小金井市の駅周辺の整備は多摩地域の動脈とも背骨とも言われる中央線の高架事業の進捗にも大きな影響を与えるものでした。

武蔵小金井駅南口の駅前広場は昭和37年に都市計画決定以来、約40年間全く動かず、この市長選挙直前の3月18日に着手した中央線高架事業に連動して進めることが最善の策と考えていました。

武蔵小金井駅南口の再開発を進めるため、早急にお会いする必要のある人が二人いました。一人は多摩都市モノレールの社長で元東京都建設局長、技監の木内孝蔵氏で、再開発にあたっての東京都の支援の確認をさせていただきました。

もう一方は南口に大きな権利を有するH・M氏でした。同氏とは昭和56年に駐輪場用地問題で市が同氏を訴え4年間の裁判の結果、市が和解金を支払って解決した苦い過去がありました。そのためH・M氏とは14年間の空白期間が生じていましたが、その遺恨を忘れて再開発に協力していただくことでした。H・M氏は闘病中のこともあり病院での面会までには時間がかかりましたが、意思の疎通が図れたことは大きかったです。その場では、再開発に関しての意思表示はありませんでしたが後日、人を介して「再開発を進めることを望んでいる」との報告をいただきました。

そのH・M氏がその2か月ほど後の平成11年9月に逝去されたのは非常に残念でした。

資産家の逝去ということで、水面下では様々な動きがありました。市の立場では再開発に大きな影響を与えるだけに緊張感をもって、状況の推移を注視するとともに、意見を求められれば再開発を推進するに支障にならないようアドバイスするだけでした。

この問題には都をはじめ、国土交通省都市局も関心を示し、小金井市の再開発への期待を痛感しました。

このH家の相続等に関してはおおむね市の考え方に沿った形で進められ、再開発の支障になるようなことはありませんでした。

この様に、市長になって先ず進めるべき再開発に重要な役割を持つお二人にお会いし、想定通りの回答が得られたことから事業推進を確信しました。

しかし、小金井市には初めての大型開発です。完成までには課題山積の難事業で、平成16年には議会の理解が得られず市長を辞職し再選挙で民意を問う場面もありました。

果たして、小金井に陽が昇ったかです。

【今、市政で何が】

最重要課題である庁舎問題は市長と議員による協議会が作られ協議が進められてますが、今後50年以上も使用する観点からの問題は①庁舎と福祉会館が、なぜシンプルなI字型でなく複雑なL字型なのか。②耐震構造の福祉会館を、庁舎同様、より安全な免震構造にしないのか。③子育て環境日本一の一環として子ども広場の設置ができないのか。④浸水対策として一部の盛土であえてバリア(障壁)を作るのでなく全ての人が使いやすいユニバーサルデザインの観点から全体を嵩上げすべきではないでしょうか。

(つづく)