走り続けた16年(258)

大混乱での『行対審』の設置

2期8年間続いた革新市政に代わり、昭和54年5月1日、日の丸の掲揚と君が代の斉唱で初登庁した星野平寿市長、課題は全国ワーストを続ける人件費問題を解決し、財政健全化を図ることでした。

星野市長最初の定例会となる6月議会での施政方針で「今任期中の最重要課題として小金井市政の再建、財政の健全化に取組む所存であり、職員定数の削減を果たし効率的な行政執行に努めたい。そのため、市民による『行財政対策審議会(行対審)』を設置し、その答申を得て順次改善に着手したい」と述べ、財政難から経費を伴わず実施可能な市民課の昼休み窓口業務の開設、職員の出勤時間の厳守や名札の着用を行い、庁舎管理規則を制定すること等を具体的に示しました。

この施政方針の目玉は『行対審』の設置であり、星野市政の根幹となる施策です。

行対審は市長の諮問機関で、委員は16名、学識経験者が4名で一般市民を12名とし、2年の任期で、審議会への諮問内容は、1、事務事業の見直し 2、組織機構の改善 3、職員の勤務条件の見直し 4、補助金等の見直し 5、財源確保のための市民負担の適正化等で、今後、行財政の改善を進めるにあたり、点検や洗い直しを必要とする事項を諮問するとしています。これまで長い間の悪しき慣習を改めることには大きな抵抗があるのは想定されることです。これを、学識経験者や市民の意見を参考に改善するというのです。

この設置条例の提案に対し本会議では答弁調整による休憩が繰り返されたこともあり3日間に渡る質疑後、総務委員会に付託され2日間の質疑でも結論が出ず、関連の条例改正や補正予算とともに継続審査になりました。

職員組合はこの行対審の設置に猛反対で、市議会各会派に申し入れるなど様々な反対運動を展開しました。

継続審査になっていた行対審設置条例は9月の定例会で、3、に提示していた「職員の勤務条件の見直し」を削除する修正で条例案等は可決されました。さらに、16人の委員も決定したことから計画を3か月遅れて12月22日午後2時から、市役所第一会議室で第1回の行対審が開かれることになりました。これに反対し会議を阻止しようとする市職員組合や革新系団体のグループ約500人が市役所前庭で抗議集会を開くなど抵抗があらわになったことなどから、内々で会場を武蔵小金井駅西側にあった商工会館に移すこととした。2時近くになり変更を知った反対派約100人が商工会館に行くと大半の委員は入っていたが、遅れてきた委員は入室を拒まれる小競り合いとなり足を蹴られて怪我をしたという委員が出るなど大混乱のスタートとなりました。

市長から全委員に委嘱状が手渡されて会議が開始され、互選で会長に元市議会議長の信山重由氏を、会長職務代理者に元小金井ロータリークラブ会長の保坂正文氏を決定。初顔合わせの場でしたが、反対グループとも顔合わせになりました。

2回目の行対審は55年1月22日公会堂の会議室で行われ5項目の改革を諮問しました。

その後も混乱の続く中で審議会は続けられ、9回目の11月20日では今後、答申作りに入ることを確認したが、12月議会で、市長が突然辞職するという大問題が発生しました。

(つづく)

走り続けた16年(237)

新市長に白井亨氏

西岡真一郎市長の突然の辞職による市長選挙と市議会議員補欠選挙が11月27日投開票され、市長には白井亨氏が、市議補選の2議席は河野麻美氏と高木章成氏が当選しました。

市長選の白井氏の得票は2万7千251票で、共産党推薦の小泉民未嗣候補の7千1票とは大差となりました。

問題は、白井、小泉の両候補とも革新系であり選挙公約に大きな違いがないことから、盛り上がりに欠ける選挙になったことです。

また、自民党が候補を擁立することができなかったことで、選択肢が限定されたこともあり、投票率が34・25%で前回の市長選を5ポイントも下回り過去最低を記録し、無効票も2千票を上回ってしまいました。これは、西岡市政を支えてきた与党議員や支援者も積極的に参加できる状況になかったことも一因と思われます。

自民党にとっては市長奪還の絶好のチャンスであり、市議会議員等からの立候補が期待されましたが果たせませんでした。

一方、保守系と目される候補者出馬の動きもありましたが、告示日直前に体調不良で立候補を断念したことから革新系同士の戦いとなってしまいました。結局、政党に属さない白井氏に保守票が流れる結果となりました。

また、定数2議席の市議会議員補欠選挙は市長選に候補を擁しない自民党推薦の河野氏が1万5千926票で当選し、2議席目は市議会単独会派の3議員が推す高木氏が9千301票で当選しました。白井氏のグループ「小金井をおもしろくする会」に属する永鳥太郎氏が9千267票と34票差で苦杯を嘗めました。

市議補選の河野氏は告示の1週間前に出馬を決意し、そこから事務所の開設、ポスターの写真撮影と制作、選挙車の準備、政策のとりまとめ、立候補の手続き、5歳と3歳の男児の母としては超多忙なスケジュールの中での選挙となりました。短い準備期間で、市長候補と共闘できないにも係わらず約1万6千票は大善戦であり、この1万6千票は市長選では白井氏に投じられたと思われます。それは、同じグループ「小金井をおもしろくする会」に属しながら、市議補選の9千票と市長選の2万7千票との差にあります。市議補選トップの河野票に永鳥氏の票を加えると、ほぼ白井氏の票に近いものになり、自民党は市議補選で存在感を示し、面目を保ったということになります。

前市長が議会の議決を経ず専決処分した保育園の廃園問題は、議会の不承認にもかかわらず現在も廃園に向けた事務作業が進んでいます。白井市長は専決処分前の状態に戻して廃園の事務作業を止める条例改正案を市議会に提出する考えを示していました。職員は市政トップの言動に翻弄されています。

白井新市長は就任初日の28日の記者会見で選挙戦の公約に掲げた市立保育園廃園計画の撤回や新庁舎建設問題について、具体的な日時は示さず、「市議会などと各種調整をしてタイミングをみる」と述べるに止まった、と報じられました。議会を知る新市長としては慎重なスタートを切ったようです。

新市長には保育園の廃園問題、新庁舎建設計画や都市計画道路の建設問題など諸課題が待ち受けています。

市民の期待に応え、安定的に発展する市政が期待されます。

(つづく)

走り続けた16年(234)

「今、市政で何が」西岡市長辞職③

「政治の評価は歴史により定まる」といわれますが、政治は歴史の評価に耐えられなければなりません。特に為政者である市長は常に批判の対象で、退任しても鬼籍に入った後も、常に法廷の被告席に立たされているのです。裏返せば、それだけ市長には大きな権限が与えられているということです。

問題はその評価が公平であるか否かです。

私も、市長16年間の評価には神経質になります。財政再建、街づくり、ごみ問題や庁舎問題など、その時々の課題に職員や議員、そして、市民が身を削る努力で進められたものが、曲解された場合には私が反論せざるを得ませんでした。

老朽化した福祉会館の建て替えは、5年前の平成31年10月開館の予定で計画を進めていましたが、西岡真一郎市長は就任早々議会の頭越しにこの計画を中止させました。それは、67億円で庁舎、福祉会館、図書館等6施設の複合化を完成させることの選挙公約で当選したからです。西岡氏は平成28年1月、当選後の初議会で「庁舎等6施設複合化は直近の民意であり、これを果たすのが私に課せられた使命であり、何としても果たさなければならない」と公約の実現を力強く宣言しました。しかし、5月には超目玉策の図書館を除き4施設に縮小し、これを「私の揺るぎない方針とする」とし、さらに、10月には庁舎等建設計画は「ゼロベースで見直すことを決断する」との変遷で、選挙公約は1年も経たない内に白紙撤回となり新庁舎等の建設計画は宙に浮いてしまいました。

一方、庁舎建設用地取得費80億円の借金返済や新庁舎建設基本構想や基本計画の作成、建設基金の積立など着実に前進していた庁舎問題にも、「27年間動かなかった庁舎問題が西岡市政で動き出した」との事実に反する選挙広報で2期目の選挙に大勝しました。

西岡氏の7年間は市議会との信頼関係を構築することができませんでした。一般的に自民・公明党候補に勝利した保守・中道候補は、次の選挙までに自・公を取り込んで与党体制を確立していくものですが、それが果たせず終えました。

西岡氏辞職の直接の原因は、市立保育園2園の廃園の条例改正を議会の議決を経ず「専決処分」したことに賛成する議員が2人、反対議員が20人で不承認となったことです。

「専決処分」は、議会を開く暇がない時などに認められる市長の特権ですが、議会で大きく意見が対立している案件、また議会の開会中は有り得ないことです。不承認になった案件を元に戻し、残り1年2か月の任期は辞めずに課題解決に努めるべきだったのです。

市長が議会への最後の対応は「報告」と称する一片の文書で、「小金井市の持続可能で豊かな未来と、現在そして未来の子どもたちのために必要であるという考えに変わりはなく、専決処分によって改正した条例を再度改正する意思はございません」という内容でした。これは、不承認した議会を納得させるには程遠いものです。その様な考えであるなら、西岡市長は出直し選挙で「市民の信を問う」という手段もあったと思われるのです。

この7年間、小金井市政にどの様な進展があったのか、また、西岡市政が残した課題が何なのか、今後問われることになります。

(つづく)

走り続けた16年(233)

「今、市政で何が」西岡市長辞職②

西岡真一郎市長が令和4年10月14日、任期を1年2か月ほど残して辞職しました。

辞職の理由は、9月議会に、市立保育園2園を段階的に縮小した後、廃園にする内容の保育園条例の改正を提案しました。これが厚生文教委員会(以下、厚文)で審査されていましたが議決に至らず、専門家を招いて公聴会を開くため継続審査となりました。これに対し西岡市長は9月29日地方自治法に基づき「議会が議決しない」ことを理由に、議会の議決を経ず専決処分しました。専決処分した場合、市長は直近の議会においてこれを報告し承認を求めなければならないことから西岡市長は10月7日の本会議で承認を求めたが、賛成は僅か2人で20人の議員が反対し不承認となりました。不承認となっても先決した改正条例の効力に影響はないが「市長は必要な措置を講ずる」との定めがあり、西岡市長はその対応策が示せず「辞職を選択」したのです。市議会は同日、14日付けの辞職に全会一致で同意しました。

西岡市長は辞職に当たって「小金井市の持続可能な未来と子どもたちのために苦汁の決断をした」と発言していますが、果たしてそうなのでしょうか。

この一連の流れが不可解です。厚文で4対3で継続審査が決定したのはやむを得ないとしても、この継続の決定を本会議で全会一致で認めたことです。もし、本会議で継続審査に「反対」との発言が出たら、議長は「反対がありますので起立採決を行います」となり議会では廃園に賛成する議員が多数なので、継続審査にはならなかったと思います。その後厚文に差し戻し審査を継続し、日時を付して厚文で決着させる動議を提出するのです。厚文での採決では条例は否決されるが、本会議で逆転可決できるのです。これを何故しなかったのか。

西岡市長においては議会の継続議決を尊重し、残り任期の1年2か月、時間をかけて目的を果たすべきです。また、圧倒的多数の議員が不承認とした案件は一旦元に戻すことも考えるべきで、それが「小金井の持続可能な未来と子どもたちのため」になるのです。諸施策に行き詰まり、混乱させて放り出すのは責任放棄です。

西岡市長の辞職で、次の市長は自らの考えとは関係なく20人の議員の反対で不承認となったが、効力の残る廃園問題に取り組まなければならないのです。

この間、市長の提案で議会と行政で建設可能な成案を見いだすため「庁舎等建設に関する協議会」を設置し、まとめの段階に来たが市長辞職でどうなるか。また、緊急を要する市立第一小学校の建て替えや武蔵小金井駅北口の整備などは切迫しています。少なくとも西岡市長は専決処分を取り消すなど、直面する保育問題だけは解決すべきでした。後に大きな混乱を残し、引き際の美学にはほど遠いものになりました。

本年3月議会で、市長の退任を求める声が出始め、6月は不信任案提出の動きもありました。そして、9月議会でも再度その動きはありましたが、3分の2の出席で4分の3の議員の賛成には届かなかったと思われます。辞めなければならない理由はないのです。

市長職は孤独で辛い事も多いが、市と市民の喜びを糧に、泥臭くとも粘り強く諦めず頑張るものなのです。

(つづく)

走り続けた16年(232)

「今、市政で何が」西岡市長辞職

西岡真一郎市長が10月14日付けで辞職することが7日の本会議で決定しました。

市立保育園を廃園するための条例改正を「議会が議決をしない」ことを理由に、議会の議決を得ず専決処分で決しました。この専決処分を承認するか否かが議会に諮られ、市議会は賛成が2人、反対は与党議員や、廃園に賛意を示す議員も含め20人となり不承認が決定しました。これを受け、西岡市長は市議会議長に辞表を提出、市議会はこの申し出を受け、本会議で14日に辞職することを全会一致で同意しました。専決処分は地方自治法(以下・法)で定められた市長の権限で「議会を開く暇のないとき」などで実行されるもので、大きく議会の意見が異なる課題での強権の発動は、市長と議会の二元代表制の下では禁じ手であり、より慎重な判断を要します。

専決処分が不承認でも法的拘束力はなく、廃園対象の2園は来春からゼロ歳児の募集を停止し、段階的に縮小され5年後には廃園になります。その効力に影響はないが、法では「市長は必要な措置を講ずる」と定められており、西岡市長は「辞職は法に基づく判断である」とも報じられていますが、辞職ではなく改めて廃園問題に取り組むべきです。保育園に通う子どもたちの保護者からは「辞職は責任放棄で、最悪の置き土産を残した」などの声も出ています。辞める前にこの問題を解決するのが責務だったと思われます。

「日本一の子育て環境」を唱える西岡市長が保育問題で行き詰まり、急を要する新庁舎や福祉会館の建設や市立第一小学校の建て替え、武蔵小金井駅北口の再開発などの課題に行き詰まり、投げ出しての辞職は責任放棄とのそしりは免れ得ないものと思われます。

市長の専決処分に副市長、教育長、部長職の出席する庁議でも、法的問題や議会対応を懸念する声も多く出されたようです。

また、この結果について地方自治の有識者による意見も厳しいもので、近隣の市役所でも驚きの声が出ていたようです。

私は市長就任直後、危機的財政状況にあることから、6月1日のボーナスの基準日の前日、自らの報酬10%とボーナス30%のカットを専決処分しました。6月議会に、この承認を提案し承認はされましたが、私の市長選挙を応援してくれた複数の議員からも非常に厳しい指摘を受けました。自分の報酬を下げる案件についてもです。市議にとって専決処分は「議会の議決権を奪う」、「議会軽視の暴挙」、「市長の暴挙・暴走」との評価となり、なかなか容認されるものではないのです。

西岡市長は次の市長選には出馬しないことを表明しています。

小金井市長は初代の鈴木誠一氏から西岡氏まで9人です。その中で5人の市長が任期途中で辞職しています。任期満了での退任は4人で、その中で再選、再々選が果たせず退任が2人で、自らの意思で任期を終えた市長はわずか2人です。

私の場合は複雑で、2期目当選1年後に当初予算が否決されたことから「民意を問う」と出直し選挙を表明しながら辞職し当選。その後、平成23年の東日本大震災直後の選挙で落選。6か月後、新市長の辞職に伴う市長選挙に立候補して当選し5選4期満了で終えることができました。

(つづく)