走り続けた16年(132)

今、市政で何が

西岡真一郎市長の任期最後となる令和元年第4回定例会が、現在、市長選挙の関係で1か月繰り上げて開会されています。

これには、9月の第3回定例会で決着できず、継続審査となっていた平成30年度一般会計決算認定の審査も行われますが、当該年度の行政執行の在り方から議会の厳しい判断が想定されます。

その第3回定例会では、西岡市長の市長選挙の公約の変遷や、4年間の市政への取組み状況に関して厳しい質問が続きました。その結果、最終日の10月8日『ガバナンス(統治能力)が欠如し、コンプライアンス(法令遵守)意識に欠ける西岡市長に対する問責決議』が賛成19、反対4と圧倒的多数の賛成で可決されました。このガバナンスやコンプライアンスは市政の最高責任者である市長に最も必要とされるものです。

これは、平成29年5月に社会福祉委員の報酬の誤支給問題が発覚し、約9か月間も秘匿され、その間、法令や条例に反するような行政が執行されていたのです。その際、議会から西岡市長に対しコンプライアンスの徹底の求めに対し、西岡市長は条例と事務執行に乖離や齟齬がないかの調査を徹底することを明言しました。その調査の結果、問題がないとの報告がされました。

しかし、平成30年10月には障がい者の移動支援において支払われるべき報酬の時間外加算に規則と実態に過ちがあることが外部からの問い合わせで発覚しました。これは、従来から継続されてきたもので、西岡市長だけに責任を課することにはなりませんが、社会福祉委員への誤支給問題が発覚した際の市議会等の指摘を真摯に受け止め、十分な調査をしていればその時点で解決することができた事案であるだけに問題の残る対応であったと言わざるを得ません。

こうした一連の問題が指摘されている最中に、「学校管理費における不適切な会計事務処理について」と称する事案が、開会中の令和元年9月定例会の全員協議会で報告されました。

報告の概要は「平成30年10月に都水道局の請求に伝票を起票し、課長決裁を得た後、伝票を本人の机の引き出しに入れたまま放置し、都から支払いに関する書類が再送付され、当該職員はその手続きの不手際から、その費用を私費で支払っていたもので、これ以外も含めると平成30年度分で92万円余になる」というものです。

この問題に対し市政の最高責任者である市長は答弁不能となり、決算審査は終結することができず、継続審査にならざるを得ませんでした。当該職員はすでに退職しています。この事案は新聞紙上でも大きく取り上げられることになりました。

統治能力や法令遵守、そして、情報公開は市長や行政を執行するものにとって最低限必要とされるものです。市政は、市民からはなかなか見えにくいものです。しかし、西岡市政の4年間の議会の評価がこの「問責決議」に示されたのだと思われます。

この決議の賛否の採決に際して注目されたのは、反対したのは「みらいのこがねい」会派の4議員のみで、従来から与党と目されていた議員数にも及ばなかったことがそれを傍証するものです。

(つづく)

走り続けた16年(114)

市議会議員、そして、市長として

本年は統一地方選挙の年で、この4月に前半と後半に分かれて行われました。私たちに身近な多摩地域の市長選、市議選は後半の4月21日に執行され、5市の市長選と20市の市議選が行われましたが、小金井市は選挙がありませんでした。

小金井市の市長選や市議選が統一選挙から外れているのは、市長の度々の辞職に伴うことと、市議会の解散によるもので、ここに市政運営の困難さが象徴されています。

私が小金井市に転入したのは昭和48年9月で、学生時代は小金井公園に近い田無市(現・西東京市)に住んでいたことから、将来住むなら小金井市という思いがあり、一旦戻っていた千葉県の実家から転入してきました。

当時、東京都は美濃部革新都政であり、多摩地域の自治体、特に中央線沿線は革新ベルトラインと呼ばれ社会党、共産党による市政が執行され、小金井市も同様でした。

革新市政の下でどのような市政運営がされているのか、その実態はなかなか市民には伝わりにくいものです。小金井市では2期8年の間に662人が1千130人への大量職員の採用が行われていたのです。

私も、子どもが生まれ保育園に入園するなど実感として生活に不自由を感じることはありませんでした。それが、年月が経ち他市と比較する等すると考え方が一変するのです。

子どもが少しずつ成長し、夏にプールに行くにも市営のプールが小金井市にはないのです。辛うじて、ごみ焼却施設の地元還元である二枚橋衛生組合にプールがありましたが、学校のプールの形体で幼児が遊べる施設ではなく、仕方なく子どもをつれて遊園地に行くことになりました。

そのようなとき、府中市の健康運動センターのプールを知り利用させてもらうようになりました。府中の施設は流れるプールや幼児用のプールなども整っており、遊園地等と比較しても遜色がなく、料金も格安でした。そのため、小金井市民は子どもも大人もバスを乗り継ぎながらも利用していました。

料金設定は市内と市外に分れていて、府中市民は市外の人の半額でした。そのため、市内と書かれた料金所に小金井市の子どもたちも並ぶのです。

大人と一緒ならこの様なことにはならないでしょうが、子どもたちがグループで来たときには知恵が働いてしまうのです。

このことは、私にとっては耐えられない辛い体験で大きなショックを受けました。そこで、なぜ自治体によってこんなに公共施設に格差ができるのかを考えさせられました。

以来、図書館で関係資料を調べたり、議会の傍聴もしました。また、市民団体である小金井市行革推進協議会に入会し、会員同士で市政について調査・研究、議論もしました。

その結果は、革新市政の大量職員の採用による人件費の増大につきるということでした。その起因となる市長の失政の責任は重大ですが、議会にも責任があります。最終的には、それを選んだ市民に、取り返しのつかない多大なツケを回されてきているのです。

私は、小金井市の財政の健全化と、市政の改革を求めるなら、一市民でいるだけでなく市議会議員になるべきの考えに至りました。

(つづく)

走り続けた16年(102)

平成の最後の年を迎えて

本年4月が最後となる平成の31年がスタートしました。5月に、天皇陛下が譲位され皇太子殿下が継承されることになります。新しい時代の幕開けです。

新年の小金井市は好天に恵まれ連日富士山を拝するなど穏やかな年始となりましたが、豪雪地帯の雪の報道には複雑な思いです。

昨年は、災害級といわれた猛暑やゲリラ型集中豪雨、相次ぐ大型台風など自然災害が多く発生し、日本各地に甚大な被害をもたらしました。これらは地球温暖化が原因ともいわれております。かつて、市議会で「地球温暖化はテロより怖い」との議員の発言が思い出されます。また、防災対策や首都直下地震などに備えての減災対策も必要です。

人類の希求が世界の恒久平和であるにもかかわらず、世界各地で紛争が続いています。紛争により被害を受けるのは常に子どもであり女性です。

世界のリーダーであるべき米国トランプ大統領には、その資質さえ疑わざるを得ない存在であるのが残念です。米国第一主義が世界に混乱を引き起こす引き金となり、それが米国に利益をもたらすとは思えません。

また、欧州各国にはポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭により、亀裂と混乱が続き、それが拡散していくのも危惧されます。

その中で、我が国の平成の30年間は、総括はこれからですが、その年号の通り平和で安定した時代だったのではないでしょうか。

10月には消費税が10%に引き上げられます。税の引上げは政権執行者にとっては辛い判断になりますが持続可能な社会の形成にはそれも必要です。政治の評価は歴史が定めることになります。

2020東京オリンピック・パラリンピック開催まで、あと1年半となりました。これとともに、本年9月にはラグビーワールドカップが調布市の味の素スタジアムを中心に全国展開されます。本市からスタジアムへのシャトルバスの運行など大会の成功に向けて万全の準備をし、本市への外国人など来外者を迎え入れる体制の整備が必要です。

これらの国際大会を契機に、街づくり等ハード・ソフト両面におけるレガシーを築く絶好のチャンスです。

私の元旦は例年どおり6時半からのくじら山原っぱでのラジオ体操に始まり、小金井新橋で初日の出を待ちましたが、地平線に厚い雲が棚引いて太陽が顔を出すにはかなりの時間がかかりましたが、大勢の市民とそれをじっと待ちました。

その後、仲間の人たちと富士山が展望できる場所に移動しました。こちらは青空に富士山がその全容をくっきりと現わしており、皆でその美しさを堪能しました。

昨年は自らの健康寿命延伸のためのウオーキング、年間6千キロメートルが目標でしたが、私のスマホの歩行距離は6千164・7キロメートルでした。本年は、ウオーキングに要した時間とエネルギーの一部を他に振り向ける、働き方改革ならぬ生活改革の実践を心掛けてまいります。

本年は7月に参院選挙があり、年末には小金井市長選挙が執行されます。西岡真一郎市長の任期も本年12月までとなります。市民に約束した新庁舎問題や行財政改革等の選挙公約がどの様な状況にあるのかが検証されることになります。

(つづく)

走り続けた16年(81)

置き去られた乳児④

赤ちゃんの誕生は多くの人々に望まれ祝福の中で生まれてくるものです。しかし、Aちゃんの場合はそうはなりませんでした。人に知られず母親は悩み苦しみの中、誰にも付き添われることなく一人で出産しました。出産後はさらに悩み苦しんだ末、遺棄することになってしまいました。

母親の残したA4のレポート用紙に書かれた手紙は、「私には他に頼れる人がいません。あなた様の手で、この子を育ててくださる方を探してもらえないでしょうか。この子は、私といては幸せにはなれません。どうか救ってやってください。私のしていることは間違っていることだと分かっています。母親である私の手もとからこの子を手放したことを、この罪を一生をもって償いたいと思います。どうかお許しください」とあります。

一人で悩まず妊娠したことを親に話せば、親からは激しく怒られるでしょうが、それは、一時の問題で一生をもって償うことにはならず、出産に当たっては親をはじめ大勢の人々が喜んでくれただろうと思うと非常に複雑な気持になります。

赤ちゃんは生まれて7日後の平成16年3月19日夜、本町5丁目の教会の玄関前に遺棄されました。すぐに救急車で病院に運ばれました。母親はパトカーや救急車のサイレンの音をどんな気持ちで聞いていたのでしょうか。

赤ちゃんには病院で数回面会しました。とても可愛く健康で、何の問題もなく元気で1週間で退院し、乳児院に移りました。

その乳児院は児童養護施設と併設されており、保護者の種々の事情により養育することが困難な子どもたちを、養護・養育し、その発達や自立を支援することを目的に設置されています。概ね、0歳から18歳までの子どもをお預かりしており、定数いっぱいの40数名の子どもたちがいました。しかし、親や家族が確認できず、面会人のないのはAちゃんだけでした。そのため、私はできるだけAちゃんに面会するようにしました。施設近くでの仕事帰りや、時間が空けば妻と電車で行くこともありました。また、福祉推進課の坂田米子課長(後に小金井市初の女性部長)にはAちゃんを大変可愛がってもらいました。

坂田課長と一緒に面会に行くと施設の職員は「Aちゃんおじいちゃんとおばあちゃんですよ」と言いながらプレイルームに抱かれて入ってくるのです。

月1回ぐらいの面会でしたがその成長は私たちにとっても大きな楽しみでした。

その当時、市政は一般会計予算が3月26日市議会で否決され、国や都は小金井の街づくりを見限り、都市再生機構は撤退を決め、小金井市への損害賠償の算定に入ったと伝わってきました。

私は、4月に入り国交省に行き、5月24日に招集する臨時市議会で予算を可決させるので、再開発断念を待つように申し入れました。国交省の審議官等の幹部から、可決できない場合はどうするか、と問われたので、「市長を辞職して市民に信を問う」と答えると、その場の雰囲気が一変しました。

(つづく)

走り続けた16年(73)

西岡市政、折り返し点を経て④

西岡真一郎氏市長が市長に就任し、僅か1週間で10%の職員の地域手当を3年で15%にアップすることを職員組合と合意しました。人事院の勧告は2年で完成させるというものでしたが、組合との合意内容は平成27年度は12%への引上げで6千100万円、28年度は14%で1億2千800万円、3度目の29年度は15%で1億6千100万円の給与の引上げとなるもので3年での完成です。

このための原資は勿論市民の血税です。急を要する支出であっても、市民サービスへの財政支出なら理解もできるのですが、選挙を終えて市長に就任し、予算編成等超多忙な1週間での職員給与の大幅な引上げの決定は理解に苦しみます。市民との対話を重視するという西岡市長、その市民や議員が気付く前に、労使で合意し調印しました。市長にはその権限が与えられていますが、これが西岡市政の「真の行政改革」なのでしょうか。

平成30年第一回定例会が平成30年2月21日に開会されました。この定例会は西岡真一郎市長の施政方針が示されるとともに、平成30年度の一般会計予算や特別会計予算が審議される、1年で最も重要な議会になります。

西岡市長は、任期の折り返し点を過ぎた本定例会の施政方針で、市庁舎や福祉会館、そして図書館等6施設複合化の選挙公約を4施設に、そして、ゼロベースで見直す、と変えたことについて、市民への丁寧な説明が期待されましたが果たされませんでした。

昨年9月の第三回定例会での決算特別委員会では、多くの議員が選挙公約の変遷について質しました。しかし、答弁の言葉はきれいで力強いのですが、質問にまともに答えることなく、議員も市民も納得できる内容にはなりませんでした。

選挙で市民に約束した6施設複合化のプランすら示さず、公約の変遷を市民に説明することも避けるなら、選挙で市民は何を基準に投票したのかです。

平成23年4月の市長選挙で私は落選しました。当選した佐藤和雄市長は、ごみ問題に関する選挙公約での市政混乱の責任をとって、約半年で辞職し再度の選挙になりました。

12月の市長選挙に立候補を決意した私に、民主党小金井支部は「ごみ問題解決のため苦渋の決断」として支援を機関決定しました。自民党、公明党推薦の私への支援は、重く厳しい決断ですが、ごみ問題を解決し、市民生活を守るためには止むを得ないと判断したものでした。そこで民主党小金井支部長の西岡氏(現市長)から署名を求められた文書は「小金井市長選挙に関する合意事項」として、①、政策合意に関しては、今般の選挙戦の最大の争点であるゴミ問題への取り組みに絞ることとし、他の政策課題等については是々非々で臨む。②、ゴミ処理問題への取り組みについては、平成25年3月までに実現可能なゴミ処理に向けての一定の方針を市民に示し、平成25年内の早い時期に最終的な処理方法を確立する。この取り組みに関し、職を賭して取り組むことを公約として明言する、という内容です。この合意内容は民主党のビラになり市内全域に配布されました。

社民党小金井支部とも同様の内容で合意しての支援でしたが「職を賭して」の文言はありませんでした。

市長選挙に当選し、職を賭してのごみ問題解決への取り組みは、平成24年4月、日野市長へ、日野市クリーンセンターの建て替えに当たって、小金井市との可燃ごみの共同処理することを申し入れました。平成24年11月30日、日野市長が可燃ごみ処理施設の建て替えについて国分寺市、小金井市と共同化することを決定し、日野市議会へ報告しました。平成25年3月13日、3市で可燃ごみの広域化を進める、とした覚書を3市長で締結。6月8・9日、3市長が出席し、クリーンセンターごみ処理施設の建て替えと広域化について地元で説明会を開催し、一定のご理解をいただきました。これで、民主党小金井支部との合意事項、さらに、選挙公約を果たすことができました。これは、様々な場面で、職員の並々ならぬ努力と、議員の協力のお陰でした。そして、平成27年12月17日、ごみ問題等を解決し、私の市長としての任期は終わました。

(つづく)