走り続けた16年(141)

令和初の市長選挙③

私たちの生活は民主主義によって営まれ、その基本は選挙です。そのため、選挙は公平・公正・平等・真実でなければなりません。

選挙では、候補者の氏名・経歴・政策などが選挙管理委員会の発行する選挙公報に掲載されます。そして、それは有権者の判断の基本となるもので、選挙において最も重要で信頼されるものです。

平成27年12月に行われた市長選挙で当選した西岡真一郎氏は『庁舎、福祉会館、図書館等6施設複合化は67億円で、新たな市民負担はない』などと市民に約束して当選しましたが公約は変遷を繰り返し、1年内で結局ゼロベースとなりました。

また、その選挙公報で『小金井市には閉塞感があるのは、財政難からであり、その理由は、行財政改革が進展しないことにある』と批判していました。

令和元年第2回(6月)定例会で、自民党・信頼の吹春やすたか議員が「平成10年の大久保元市長の最後と、平成27年度の稲葉前市長最後の決算を比較すると職員数は915人が671人と244人の減、人件費は98億8千200万円が59億800万円と39億7千400万円の減、人件費比率は32%が15%と半分以下になっている。経常収支比率も106・5%が90・8%まで下がっている。この16年間の経常収支比率と人件費比率の改善率は26市でトップと言われてます。この結果は、職員や議員の協力があって達成されたものですが、市長の認識は選挙公報に書かれた通りか」との質問に、西岡市長の答弁は「平成10年度から平成27年度にかけまして、職員数、人件費、人件費比率、経常収支比率は大きく改善しております。それ以前と比較し、職員数も削減され、人件費比率も大きく改善され、また、武蔵小金井駅南口のまちづくりの進展など、歳入面、歳出面からも長年の課題を乗り越えてきたのは事実でございます」と答弁しています。それなら、選挙時の『小金井の閉塞感、財政難、行革の停滞』との厳しい批判は何だったのか、虚偽の記載だったのかです。西岡市長は平成9年から8年間市議会議員を務めていただけにこの辺の状況は熟知していたはずなのです。

西岡市長の2期目となる市長選挙が昨年12月に執行され、その選挙公報で『前進!動き始めた市政をとめるな』の大見出しで『平成4(1992)年に約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました』と高らかに謳っていますが、果たしてこれも事実なのか否か、検証してみます。

【市政で今、何が】

市内の福祉施設に勤務してた副施設長(62)が、平成29年3月の市議選に西岡市長の推薦で立候補しました。

副施設長はその施設に在職中、市議選準備のための活動に利用する目的で、小金井市が施設に委託した事業の千人以上の利用者の住所や氏名などの個人情報を盗用し選挙に利用したことが発覚。

市長は謝罪するとともに市の個人情報保護条例に違反するとして小金井警察署に告発しました。また、その選挙にあたって市長から当該候補者の後援会に供与された寄付金について、その目的と対処について、陳情が出されるなど市議会で議論になっています。

(つづく)

走り続けた16年(140)

令和初の市長選挙②

選挙公約は、選挙に立候補する候補者が当選後に実現させる政策を市民に約束することで、それを有権者に訴えて投票行動に結び付けるものです。有権者が投票に当たって、最も重要な判断材料ということになります。

西岡真一郎市長は、前回の市長選挙で『庁舎、福祉会館、図書館等6施設複合化は67億円で、新たな市民負担はない』と市民に公約し当選しました。しかし、就任し間もなく、公約の度々の変更。1年も経たないうちに「ゼロベースで協議」と白紙撤回となりました。今や図書館は影も形もありません。

また、人件費を削減し年間40億円を生み出す約束も果たされず、この4年間人件費は年々増え続けています。

この4年間、数々の公約違反についての厳しい指摘も、言葉巧みの答弁で交わしましたが、今後もその状況は続くと思われます。

今回の選挙において西岡市長の公約は今後4年間の小金井市をどうしていくのか、何をするのか全く具体性に欠けるものでした。

西岡市長はその選挙公報で『前進!動き始めた市政をとめるな』の見出しで『平成4(1992)年に約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました』と高らかに謳っていますが、果たしてそれは事実なのでしょうか。

27年前の平成4年、バブル経済の中で、蛇の目工場跡地を庁舎用地として大久保慎七市長は議会の強い要望もあり120億円で取得しました。そのうちの40億円は各種基金(預金)をかき集めて頭金に、80億円は借金でした。その数年後、バブル経済が崩壊し、大幅な税収減が続く中、平成9年度は返済不能に陥り元金を据置き金利だけの返済になりました。平成11年、市長に就任した私は、非常に厳しい財政状況ですが借金返済を再開しました。さらに、平成16年度からは庁舎建設基金(預金)の積立も開始しました。その後、平成20年リーマンショックにも直面しましたが、借金の返済と基金の積立は継続しました。

平成23年、20年かけて80億円の借金を完済し、新庁舎建設が見通せたことから、新庁舎建設基本構想を作成しさらに、新庁舎建設基本計画を市民参加で作成しました。次にくるのは当然基本設計ですが、東日本大震災や東京オリパラの影響で建設費が異常に暴騰したため基本設計の予算の執行は停止しました。そのため、次は、誰が市長になろうと基本設計に入るのです。

その基本設計も平成30年12月議会で、初めての試みの議員間討議で福祉会館の機能の調整や、6会派12議員の提案による庁舎問題の難題解決など、市議会のイニシアチブで進められているのが実情ではないのでしょうか。

西岡市長の選挙公報の「約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました」とは事実を正確に伝えているとは到底思えず、市民に誤解を与える表現だったのではないでしょうか。

この27年間、庁舎問題は苦しみの中で着実に前進してきました。それは、大久保市長を先頭に職員も議員も私も頑張ってきました。それを正確に伝えるのが私の役割です。

(つづく)

走り続けた16年(139)

令和初の市長選挙①

昨年12月8日、市民に最も身近で生活に直結する市長選挙と市議補選が行われました。

これは、これまで4年間の西岡市政の評価と、今後4年間の小金井市の方向を定める非常に重要な選挙ですが、その投票率の低さに驚きと不安を感じました。投票率は40・89%と辛うじて40%台を確保しましたが、約10万人の有権者の内6万人が棄権したのです。

投票率を年代別に見ると、18、19歳の10代は30・5%と平均を10㌽も下回り、20代になると18・1%と極端に下がり、30代が30・7%、40代が40・3%、50代が46・9%、60代が54・6%で、70代が61・3%で最も高く、80歳以上の方は42・8%で、総計が40・89%になるものです。この低投票率は、選挙戦における争点不足も原因の一つと思われます。

年代別の投票率は他の選挙においても順位に変りはなく、20代が最も低く年齢とともに高くなります。将来を担う20〜30代に対して投票率を上げるための対応策が必要です。

市長選挙の各候補者の得票を見ると、西岡市長は前回選挙の1万2千849票より約6千票増やし1万8千579票と圧勝しました。これは、西岡陣営が立憲民主、国民民主両党の票を固めるとともに、保守票の多くが西岡陣営に流れたと思わざるを得ません。現職市長の露出度の高さによるパフォーマンスが功を奏したものと思われます。

自民、公明、維新の会推薦の河野律子候補の1万759票は前回の五十嵐京子候補とほぼ同程度の得票になりましたが、勝敗を分けたのは立憲民主、国民民主党の票を固めた西岡陣営に対し、河野陣営は公明票は固めたが、足元の保守票を固め切れなかったということになります。河野選対の役目は、有権者に対し市政の現状と候補者の人となりを伝え、知名度アップを図ることでしたが果たせませんでした。これは、河野候補の選対本部長を務めた私の責任です。

また、共産党支持の森戸洋子候補の1万399票は、前回、共産党の支援を受けた白井亨候補の得票とつながっています。

また、前回の岩淵美智子候補の5千786票の行方は分かりません。

この選挙戦を通して感じられたのは、市政の状況がなかなか市民に伝わりにくいことです。これは、最近の日刊紙の武蔵野版は新聞社の編集方針からか、各市の市政の取り上げ方が少なくなり、市民が市政の状況を知る機会が少なくなったことにも起因します。

有権者が投票行動を決するのは、残念ながら政策より知名度やイメージが大きな影響を与えると感じました。

12月24日、市長選と市議補選後、初の臨時市議会が開かれ、本来、午前中に終われる内容のものが、市長選挙前に発覚し継続されていた議題と新たに発生した問題で紛糾し、日付の変わった午前2時半過ぎまで続きました。

その中に、西岡市長が推薦した市議候補に関する『平成29年市議選立候補者による市内福祉施設の個人情報盗用事案について真相糾明を求める決議』が全会一致で、さらに『市選管による不正な公職選挙法解釈事件に係る監査請求』が議会選出監査の退席を除く全員賛成の可決となり、課題はすべて先送りされるなど、初議会は波乱の船出となりました。

(つづく)

走り続けた16年(135)

令和元年の市長選挙

小金井市の将来を定める小金井市長選挙と2名の欠員のある市議会補欠選挙が、12月1日(日)告示され、市長選挙には新人で元市議会議長の森戸洋子氏(63)(無所属=共産支持)、同じく新人で前市議会議員の河野律子氏(51)(無所属=自民・公明・東京維新の会推薦)、現職2期目を目指す西岡真一郎氏(50)(無所属)と新人でNHKから国民を守る党党首の立花孝志氏(52)の4氏が立候補を届け出ました。また、森戸、河野両氏の市議辞職に伴う市議補選には共産党元職の長谷川博道氏、新人で自民党公認の清水学氏、無所属新の水谷多加子氏、同じく無所属新の上村喜代子氏の4氏が立候補しました。

市長選挙は、立花氏を除く3氏は武蔵小金井駅南口の周辺に事務所を構え、連日、武蔵小金井駅周辺は大きな拡声器の音が響き渡りました。

3氏とも過去の自らの実績を強調するとともに、前回の市長選で掲げた西岡市長の選挙公約に対する批判や、この4年間の西岡市政の評価も争点となり、舌戦が繰り広げられました。

森戸氏は市議として「生活相談を延べ1千400件受けるなど、市民生活に寄り添った」と強調し、河野氏は「市職員時代に行財政改革や駅周辺の整備に取り組んだ実績」を強調した。西岡氏は「新庁舎建設の方針を決め、ごみの共同処理の進展」をアピールしました。

N国立花氏は独自の選挙戦で、公約は「NHKの集金人が市内を戸別訪問することを規制する条例をつくる」ということでした。

12月8日の投票結果は、現職の西岡真一郎氏が1万8千579票、河野律子氏1万759票、森戸洋子氏1万399票、立花孝志氏678票と、西岡氏が圧勝しました。

当選した西岡市長には、市議会での問責決議である「ガバナンス(統治能力)の欠如、コンプライアンス(法令遵守)の意識に欠ける」との指摘を、再度受けることのない行政執行を望みます。

当日の有権者数は男性が4万8千881人、女性が5万1千154人、計10万35人でしたが、投票者数は男性が1万9千834人で投票率は40・58%、女性は2万1千70人、41・19%となり、合計すると4万904で投票率は40・89%となり、前回の41・42%をも下回りました。

有権者の約60%(5万9千131人)が棄権するという低投票率の原因を考えると、統一地方選挙と時期がずれて単独で行っていることから盛り上がりに欠けること。それも年末12月で寒さも感じる時期であること。更に、大きな争点が無いということなどが考えられます。

政策的には、水と緑が豊かな自然環境を守っていくことは3氏も共通認識で、新市庁舎の建設に関しても大きな差異はなく、争点の少ない選挙戦でした。

強いて挙げるとすれば、はけを通過する2本の都市計画道路についてでした。

また、同時に行われた市議補選は新人の自民党公認の清水学氏、無所属の水谷多加子氏、が当選しました。任期は令和3年4月までとなります。

選挙戦に関する分析や選挙公約等については今後、詳しく報告させていただきます。

(つづく)

走り続けた16年(133)

市議会議員として⑬

昭和60年5月末、二期目の市長に就任した保立旻市長は苦難の連続であり、その2か月前に市議会議員としてスタートした私には、この異常な事態を把握するのが精一杯で、与党議員としてどの様な形で市長を支えていくかについては思いもつきませんでした。

革新市政で始まった昭和50年代の小金井市は、常に人件費比率は全国ワースト1位を記録するなど、最悪の財政状況が続いていました。その議員、市長の選挙前の昭和59年度の決算でも、一般会計に占める人件費比率は41・2%と全国650余市の中でワーストでした。(因みに、私が市長を退く平成27年度は15・3%まで下りました)

そのため、市長も与党の市議会議員も選挙公約は財政再建のための行財政改革だったのです。市議会議員になったばかりの私に、保立市長から「団体交渉の際には、連絡の取れる所にいてほしい」と言われ、私は議会の控室で待機し、見守っていました。昭和60年第2回定例会が6月12日に開会しました。私にとって最初の定例会です。その日の議会が終了し、労使交渉が再開されました。日付が変わった13日の午前3時過ぎ、保立市長が結果を報告に来ました。暴力的な労使交渉の経過を見てきた私は、現業職5人の採用に反論することはできませんでした。しかし、当時の状況から現業職の採用は有り得ないことで、与党議員を納得させることはできないと考えました。二人の間に沈黙が続きました。市長は、同行した部長から選挙管理委員会のK・M事務局長の電話番号を聞き、私の目の前で直接電話しました。内容は「自分が辞めたら繰上げ当選になるか」ということでした。二期目の当選を果たし、5月30日に新たな任期に入った保立市長、その2週間後の6月13日には辞職を考えるということでした。これは市長が選挙公約を果たせないことと、それが議員の選挙公約にも影響を与えることを考えてのことで、選挙公約の重みをまざまざと示すものでした。

私は、徹夜の労使交渉でも常に経過を議会の控室で見守っていました。当然、正式な団体交渉や事務折衝には関知しませんが、目に余る抗議行動には口も出すし、割って入ることもありました。労働組合は労使交渉に対する不当な干渉だと当初は激怒しましたが、その内、組合も諦めました。私の行動は、労働組合にも当局に対しても、不当な妥結は許さないとするもので、双方に邪魔な存在だったと思います。給与、人員問題の団交には常に交渉が終るまで、議会の控室で成り行きを見守っていました。私はこれを市長になるまで14年間続けました。

「今、市政で何が」

西岡真一郎市長の任期最後の定例会が11月28日に終了予定です。この議会では延び延びになっていた平成30年度一般会計決算が再度審査され、11月11日の決算委員会で採決が行われ不認定になりました。最終日の本会議では賛成4、反対16、退席1で決着するものと思われます。

決算審査は、当該年度に執行された予算が適正かつ効果的で計数が正確であったかを審査するもので、不認定になれば昨年に続くもので、市政は、極めて異常な状況にあると言わざるを得ません。

(つづく)