走り続けた16年(208)

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。希望に満ちた新春を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年のご厚誼に感謝するとともに、本年も本欄のご愛読を宜しくお願いします。

昨年は新型コロナウイルス感染拡大に世界中が震撼させられた一年でした。長く続いてきた平凡な日常生活がいかに大切なのかを思い知らされています。

外国では感染拡大が続く中、わが国のデルタ株による第5波が急速に収まったのはなぜなのか。これにより、日常生活も商業活動も次第に復活しつつありますが、新たに変異株「オミクロン株」の発生で再び緊張感が高まっています。

新年は、多くの人々と接する機会が多く、感染防止の基本であるうがい手洗いマスクの着用を励行し、平穏な1年のスタートになることを願います。

願わくは、発展途上国や紛争国、そして難民キャンプ等、環境に恵まれない世界の隅々までワクチンや治療薬等が行き届くよう、世界中が協力し地球規模での対応が必要です。

1年遅れて開催された2020東京オリンピック・パラリンピックは、不安が充満する世界に夢と希望と感動を与えました。パラリンピックではハンディキャップのある人々の活躍が世界中の人々に勇気を与えました。

オリパラによる観光客の誘致や、そのレガシーが期待されましたが、異例の無観客開催となり、国も、各自治体も感染拡大防止で精一杯だったようです。

また、地球温暖化が原因なのか、地球規模で異常気象による想定外の自然災害が世界各地で発生しています。これも、私たちの利便性を求める生活が地球に過剰な負荷を掛けたことが原因と思われます。私たちの生活を見直すときにあるのではないでしょうか。

小金井市においては本年も市庁舎等の建設が大きな課題になるものと思われます。

西岡市長就任直後から公約の庁舎問題は変遷の繰り返しです。

市長は12月17日の市議会特別委員会で「これまで積み上げてきた新庁舎や(仮称)福祉会館の抜本的な見直しは、大きく手戻りすることになる事から避けるべきと考えていますが、議会のご理解を得ながら進めて行かなければならない事業であることから、建築確認申請手続きはまだ行わず、建設工事に係る予算は第1回定例会には上程しない事として、あらためて、予算提出ができるよう検討する時間を頂きたいと存じます。今後の予定につきましては、適切な時期にお示しいたします」と庁舎建設の延期を表明しました。

市長は「抜本的な見直しは、大きく手戻りになるから避けるべきと考えています」としていますが、これまで何度も見直すべき時に耳を貸さず、延ばしてきたその責任は重大です。コロナ禍において、大幅なコストダウンは当然で、業者を叩いて泣かすことや質を落とすことにはならずそれには設計の見直しが必要です。設計に手つけずにコストダウンするのは無理です。

たとえ議会の要望があったにしても、決断したらそれは市長の責任であり、責任転嫁は許されません。それだけの権限が市長には与えられているのです。

庁舎建設の延期は何時までで、その間、何を検討しようとしているのか、透明性のある市政運営でなければなりません。多くの市民の声を聞き、夢のある庁舎建設を期待します。

(つづく)

走り続けた16年(207)

令和3年の終りにあたって

本年も残り僅かになりました。本欄をご愛読いただいたことに感謝申し上げます。

昨年末の新型コロナウイルスの感染拡大により、誰もが日常生活に大きな影響を受けた1年になりました。

特に、幼児から高齢者まで、学校行事や地域での行事、その年代で体験すべきものが果たせず2年間が過ぎました。今後、これらをどう取り戻していくのか、社会全体で考えていく必要があります。

コロナ禍で、開催が危ぶまれた東京オリンピック・パラリンピックは数々のドラマを生み、世界中に夢と希望と感動を与えました。

小金井市にとっては選挙の年でもありました。3月の市議選は24人の当選者は現有勢力に大きな変化はなく、西岡市長には依然として少数与党の体制が続くことになりました。

都議選は自民党が第1党に復帰したとはいえ、前回に次いで2番目に少ない当選者数で国政への逆風を諸に受けました。小金井選挙区は4年前と同じ3名が立候補し、応援する市議会議員の市議選における得票数に倣った票数で漢人明子さんが自民党の広瀬真木さんに勝利しました。

10月の総選挙は、自民党へ入党し、東京21選挙区から18選挙区に国替えした長島昭久氏が、選挙区では菅直人氏に惜敗しましたが、比例で復活し7回目の当選を果たしました。今後、地域での活躍も期待されます。

さて、私たちに最も身近な市政の課題は財政と庁舎問題です。

西岡市長は市長選挙で、それ以前の市政の行財政改革と庁舎問題を厳しく批判して当選しました。その主張が事実だったからです。

市議会において「平成11年から16年間の行財政改革については、昭和50年当時から約30年間続いていた30〜40%台の人件費比率が15%に半減され、職員はこの16年間で892人から661人に231人の削減を果たしたが、それでも、行革は進まなかったのか」との議員の質問に一転「評価する」とし、それは、今後35年間の公共施設の更新に必要な、約1千497億円を考え、行革が十分だったとは言えない、との趣旨の抗弁でした。しかし、その様は判断をする西岡市長が公共施設整備基金条例を制定しないのは解せません。私は就任時、小金井市を倒産から回避させることに全力でした。

また、庁舎問題に関しても「27年間動かなかった庁舎問題も西岡市政で動き出した」とありますが、27年前に庁舎建設用地を取得、バブル経済後の税収減の中、20年かけて80億円の借金を完済しました。その後、新庁舎建設基本構想、基本計画を作成、さらに、庁舎建設基金の9.2億円の積立をするなど、着実に動いていたのです。

私が、これを問題視するのは、行革や庁舎問題等に懸命に頑張った議員や職員の協力で達成されたのです。現在、第一線を退いたり亡くなられた議員や職員の努力の結果が曲解されるとなれば、私がその真実を伝える必要があるからなのです。

年末を迎え、コロナ禍も落ち着いてきたことで、日常生活も経済活動も次第に復活し、元に戻りつつありますが変異株「オミクロン株」の発生で緊張感も高まっています。年末年始は多くの人々と接する機会が多くあり、感染防止の基本であるうがい手洗いマスクの着用を励行し、希望に満ちた新年を健やかに迎えましょう。

(つづく)

走り続けた16年(169)

【今、市政で何が・庁舎問題②】

新型コロナウイルスの感染拡大が第三波に入ったと報じられています。我が国はもとより世界中が大混乱に陥っています。これは、地方自治体も同様であり、小金井市も例外ではありません。

本来であれば、今夏は東京オリンピック・パラリンピックで、日本中が賑わっていたはずで、ホテルでの宿泊に対応できない時のため、民宿を制度化するいわゆる民泊新法を制定したにも関わらず、コロナ禍の影響で外国人観光客は全く見当たりません。市内の飲食店や小売店等に与える影響も甚大であり、事業悪化による従業員の解雇や雇い止め、学生アルバイト等にも影響を与えています。

この様な状況の中、小金井市の今後5年間の中期財政計画が示され、約60億円の税収減が見込まれます。そのため市議会は市の事業の抜本的な見直しを求めていますが進展は見られません。課題の庁舎と福祉会館建設にかかる事業費は図書館を除いても大きく膨らみ107億円にもなっていますが、西岡真一郎市長はコロナ禍とは関係なく計画を推進するとしています。

戦後75年、かって経験したことのない大激震が続いています。その上、先行きは全く不透明です。社会状況はこの1年で激変しました。庁舎・福祉会館の建設も一度立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。

市長は議会からの指摘を受け、基本設計市民説明会や市報を使ってパブリックコメント(意見募集)を行い、多くの市民からたくさんの意見や要望が出されました。

市長案に出された意見は、市民が憩える広場の設置、工期や事業費の縮減、震災対応、そして、日本の標準時を発信する大時計の設置等でした。

6月に入り、実施設計が発注されましたが、それは、基本設計にある通りで多くの市民から出された意見や要望が反映されているとは思えません。

専門的知識を有する一市民が2月の説明会に出席するとともに、基本設計案のパブリックコメント等の意見を反映した案を作成しました。しかし、市長がこの案に目を通すのに9か月もかかってしまったのは残念です。

今、市民団体がこの計画を広く市民に知らせるための広報活動を行っています。その内容はL字型の建物をI字型に変更し、建物を10m程北側に移し、南側に3千平方メートルの市民の広場を生み出すという発想です。

また、84億4千万円の建設費が68億2千万円となり、工期は27か月が17か月で済みます。さらに、建物を横一列のI字型にすることから、福祉会館も、より安全な免震構造とすることができます。

この計画はあくまで専門的知識を持つ一市民の計画です。市長案の問題点を解消する提案であることから、これを無視して進めることは将来に禍根を残すことになります。この計画が実現可能か否かを検証する必要があります。その結果、市長案に優位性があれば、当然それを進めることになるでしょう。

また、日本の標準時は明石市ではなく小金井市からの発信だと、多くの人に知って貰うには、中央線の車窓から見える庁舎の塔屋か壁面に大時計を設置すれば、市のイメージアップにつながります。

(つづく)

走り続けた16年(142)

令和初の市長選挙④

昨年12月の市長選挙での選挙広報に、西岡真一郎市長は『平成4(1992)年に約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました』と高らかに謳っていますが、これは事実か否か検証してみます。

平成3年12月に小金井市土地開発公社が蛇の目ミシン工場跡地を市の要請により先行取得しました。これを翌年9月に市が、なけなしの基金(預金)40億円を頭金に、80億円は借金で買取りました。

平成5年度から借金の返済です。元金は均等払で約4億6千万円、利子は年々減額ですが初年度は前年も含め3億6千万円で、計8億2千万円でした。

直後にバブル経済の崩壊です。バブル期に借金で購入した土地代をバブル崩壊後の大幅な税収減の中での返済は厳しいものです。

平成7年度決算で人件費が104億円となり、財政の弾力性を示す経常収支比率は107%で全国664市の中でワースト1位。その後、財政再建団体に陥った北海道夕張市をも下回る財政状況でした。平成8年度は更に悪化し、ついに平成9年度は職員の退職金の支払いもできず、全国に例のない退職金を借金で賄うことになり、蛇の目跡地の借金の返済も不能となり、元金は据置きで利子の約1億円のみの返済となりました。

大久保慎七市長最後の平成10年度は一般会計の赤字の顕在化を防ぐため、特別会計への繰出しを止めました。そのため特別会計は赤字となり、翌年度の歳入を繰り上げて充用する事態になりました。

私が市長に就任した平成11年4月、特に目的を定めず積み立てた財政調整基金が70万7千円、退職手当基金が36万4千円、そして、庁舎建設基金は44万8千円と異常な状況でした。その上、蛇の目跡地の借金の残債が51億円もあるのです。私は借金の返済期間を平成23年まで5年間延長し、元金の返済額を3億5千万に減額し、返済を再開しました。

平成16年度には第二庁舎賃貸契約更新で生じた契約差金の3千万円を議会意志に応え、苦しい時でしたが庁舎建設のための基金の積立を開始しました。

その後に来たのは、平成20年9月のリーマンショックでした。これは、国は勿論、小金井市の財政にも大きな影響を与えました。しかし、借金の返済と基金の積立は苦しい中でも継続しました。

借金の完済も近付いたことで、平成22年度には、多くの市民参加による新庁舎建設基本構想策定市民検討委員会を作り、市民1万人アンケートや市民フォーラムの意見を参考に『新庁舎建設基本構想』を策定しました。

平成23年度、20年かけた借金完済です。

続いて、平成24年度は『小金井市新庁舎建設基本計画』を作成。さらに平成26年3月、『小金井市新庁舎建設基本設計』の予算の可決と、庁舎問題は着々と前進したのです。

それが、平成26年度は東日本大震災の復旧・復興や東京オリパラの建設ラッシュとが重なり建設費が30%以上も暴騰するなどから、基本設計の予算は執行せず、私の任期が終えることになりました。

以上が苦難の中での庁舎問題の進展です。『27年間動かなかった』というのが事実と違うことを指摘します。

(つづく)

走り続けた16年(2)

小金井市長選挙②

昨年12月13日に執行された小金井市長選挙で西岡真一郎氏が当選し、18日から新市長による市政がスタートしました。選挙の最大の争点は庁舎問題となりました。

西岡氏は、庁舎建設用地の蛇の目跡地に市庁舎、福祉会館、図書館など6施設を集約することを公約しました。これは、これまでの市政の方向を大きく変えるもので、実現可能なのか疑問を持たざるを得ません。西岡市長は庁舎建設の全体計画を市民や議会に示さなければならないと思います。

私は約17年前、平成11年4月25日の市長選挙に当選させていただき一期目がスタートしました。

大久保慎七市長の任期満了に伴う市長選挙で私を含め4人の新人が立候補しました。多くの選挙を経験してきましたが、私自身としては最初の全市的な選挙であり、係わる人の数や仕事量の多さなどに戸惑いを感じての準備と選挙戦でした。

選挙日、投票が締め切られ開票が始まりましたが、なかなか結果が出ません。しびれを切らした事務所から自宅で待機する私に「支持者が集まり出したので、事務所に来るように」と指示が出ました。結果も分からず妻と北大通りを、負けたときの挨拶を考えながら歩いていると、小金井街道の方から数人の人が「勝った」と叫びながら走ってきました。

事務所は内外とも大勢の人でいっぱい、609票差の勝利を皆が喜んでくれるのを見て、嬉しさと責任の重さがこみ上げてきました。

小金井の場合、投票日は25日で、翌26日が市長の任期の初日でした。真夜中に大久保市長から「後は貴方に任せた」と市政のバトンタッチが行われたのです。

(2度目の市長選挙は、平成15年4月27日に行われ、すでに市長の任期が終えており、空白の1日となりました)。

日付が変わり事務所を閉めた後、若い頃からの友人であり地方政治の師でもある武蔵野市長選挙で5選を果たした土屋正忠氏の三鷹駅北口の事務所を訪ね、お互いの当選を喜び合うとともに、隣接する市長になったことや、財政豊かな武蔵野市と厳しい状況の小金井市のことなど、旧知の仲間を交えて話もはずみ、自宅に帰ったのは明け方でした。

一睡もしてなかったが緊張感からか、選挙の疲れも睡眠不足も感じず、その後長く続く、通い慣れた道を歩いての初出勤でした。

まず、当選証書を第二庁舎8階で選挙管理委員会から授与され、市長として正式にスタートしました。

そして、本庁舎前の駐車場で大勢の市民や職員の出迎えをいただき、玄関前で初登庁の挨拶をし、花束の贈呈を受け市長室に入りました。

その後、理事者や部長職で構成する庁議や管理職への挨拶を兼ねて職員向け就任の庁内放送など担当者の示すスケジュール通りの行動で、午前零時に始まり、その後16年間続く市長としての長く忙しい初日となりました。

(つづく)