新しい年を迎えて


新年明けましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族おそろいで、健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年は多くの自然災害により大きな被害が発生しました。災害のない平穏な1年であることを願うとともに、自分たちのまちは自分たちで守るという心構えも必要と考えます。

また、国際情勢の劇的な変化もありました。想定外の英国のEU離脱、米国大統領選にトランプ氏の当選等驚かされた1年でもありました。

世界各地で激しい紛争やテロが今なお続いています。シリアなど紛争地域からの報道は悲惨であり、被害者は常に子どもたちであり女性です。私たちは、シリア内戦等から目をそらさず自分のこととして捕らえ、世界平和のために何ができるか考えていきたいものです。

私は、4期16年の市長としての任期を終え、昨年2月から、市議14年、市長16年の30年間の体験を、本紙に『走り続けた16年』と題し寄稿しています。

これは、苦難の時代が長く続いていた小金井市の歩みを、市民の皆さんに忘れないでいてほしいのです。これからも、財政問題、街づくり、庁舎問題、ごみ問題等、今だから言えること、そして、市政の現状等をお伝えしていきたいと考えています。

本年は3月には小金井市議会議員選挙、6月か7月には都議会議員選挙が行われます。

また、いつ解散・総選挙になるか分からない衆院選も予想され、選挙の年となります。ここで最も重要なことは選挙公約です。選挙公約が直接投票行動につながるからです。

小金井市長選挙が行われて1年が経過しました。選挙の争点は庁舎問題でした。

西岡真一郎市長の選挙公約は市庁舎、図書館等6施設の複合化であり、新たな財政負担もない等のメリットを訴えて当選しました。

昨年1月、就任し最初の議会では「6施設複合化は直近の民意であり、市長選挙に掲げた政策をご信任いただいた以上、それを果たすことが何より重要なことで、私に与えられた使命であり、何としても果たしたい」との発言でした。

しかし、5月にはその公約や発言を撤回し、図書館等を除いた「4施設の早期実現を優先することを、私のゆるぎない方針とする」と議会で明言しました。さらに、その4か月後の10月には「ゼロベースで見直すことを決断し、今後、市民・議会・行政が一体となって、進むべき方向を定めます」に変わりました。

その都度、発言の「言葉」は美しく耳に響くのですが、これが責任ある市政と言えるのか疑問を持たざるを得ません。

この様な状況を市議会がどの様に判断していくのか。また、市長の公約である「対話重視」は、どう具現化されたのかも問われます。

(つづく)

【今、市政で何が】

昨年末、12月20日の市議会本会議の市長報告で、西岡市長は新庁舎と新福祉会館は平成33年度完成との考えを示しました。しかし、福祉会館の建設場所は未定であり、移転を前提とする清掃関連施設の移転先についても、具体的には本年2月の第1回定例会に示すというものです。

2月の第2庁舎の賃貸契約更新に向けての協議や3月26日の市議選に惑わされず、慎重な対応を願います。

この一年を振り返って


本年も残りわずかになりました。皆様にとってどの様な一年だったでしょうか。楽しい思い出がたくさんある年であってほしいと思っています。

さて、私は平成28年の秋の叙勲に際し、図らずも旭日中綬章の栄に浴し、去る11月9日、勲記勲章の伝達を受けました。

妻共々皇居に参内し、天皇陛下に拝謁するとともにお言葉を賜りましたことは身に余る栄光でした。さらに、不肖私が春秋の間において受章者を代表して御礼を申し上げる機会を頂いたことは感激の極みです。

この栄誉もひとえに皆様の多年にわたるご指導、ご支援の賜と心より感謝申し上げます。

今後ともこの栄誉を体し、一層の精進を重ねそのご芳情に報いたいと決意いたしております。変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

さて、小金井市議会議員14年間、そして、小金井市長4期16年の重責を離れて1年が経過しました。常に重圧を感じての30年間であっただけに、その重圧から解放されての1年となりました。

特に、心掛けたことは健康です。急に激務から解放されたことで体調を狂わせないように、と多くの方々からアドバイスをいただきました。

また、市長在任中、71歳の平均健康寿命の延伸を提唱してきたことからも、71歳を超えた今、自らが提唱してきた、バランスの取れた食事、適度な運動、そして、社会参加を実践しました。その甲斐あってか、血圧等健康の目安となる数値も大きく改善され数値的にも極めて健康です。

市長の時から心掛けたことは歩くことでした。この1年間で1日の歩数が1万歩未満となった日は、1月4日の4千歩、10月3日の9千6百歩、11月16日の9千5百歩の3日間だけでした。雨、雪が降っても台風が来襲しても、市内隈なく休まず歩き続けました。

4月は、野川の源流である真姿の池から多摩川と合流する二子玉川まで、4月末は小金井公園を起点とする「ウオーキングフェスタ東京」30キロメートルを2日間、7月は富士登山、9月末は今治市から尾道市までの瀬戸内海を歩いて渡る「島なみ海道スリーデーマーチ」にも参加するなど本当によく歩いた一年でした。

来年も健康寿命延伸のためウオーキングを継続していきたいと考えています。

さて、平成28年第3回(9月)市議会定例会で平成27年度一般会計歳入総額402億946万円、歳出総額386億2千128万円の決算が認定されました。

この決算は私が予算を組み、4月1日から12月17日まで執行し、その後の3月31日までの間は西岡真一郎市長の執行となりました。

その期間、そして西岡市長の3回の補正予算の総額が1億3千万円と少ないこと等から、平成27年度は良くても悪くても私の責任として、この数字を使って今後「16年」間の市政の総括をしたいと考えています。

末筆にはなりましたが、迎える新年が世界中が平和で、皆様にとって幸多き年になることを心から祈念し、私の年末の挨拶とさせていただきます。

(つづく)

走り続けた16年(31)


財政健全化への闘い ⑲

前号本欄に掲載したように、平成2年3月29日の小金井市役所は朝から不穏な雰囲気が漂っていました。

それは、議場のある本庁舎4階の廊下を30人を超える土木課維持補修係職員等が職場を放棄し闊歩しているからです。そして、議会で待機中の助役を30人を超える職員が非常階段の踊り場で取り囲み、身動きの取れない状態の中で罵声を浴びせるなど激しい態度で助役に迫ります。

助役を解放するようにとの議員等の説得にも応じないことから、やむなく揉み合いの中から議員が物理的に助役を救出するという事態です。正に常軌を逸した行動です。

その後、所属長が職場復帰命令を出しても応じず、委員会室の傍聴席で議会の審議を見ているのです。午後になってもその30数人の職員は職場に復帰せず、市役所西庁舎2階の会議室で業務打ち合わせと称して、所属長である部課長を吊し上げていました。

私は、その会議室に行き、この様な業務打ち合わせは認められない、再度、業務命令を出して仕事に復帰させるべきだと部課長に告げるのですが、後の混乱を恐れてか業務命令は出さず、市役所の終業時間まで吊し上げは続きました。

さらに、業務打ち合わせは翌30日も、そして土・日曜後の4月2日午前中も、29人、24人を相手に人目のない貫井北町分室に場所を変えて続きました。

この様な行動は異常の極みであり、社会通念上許されるものでなく、民間企業は勿論他の自治体においても有り得ないことです。公務員としての資質も疑われ、組織の体をなしていませんでした。

私は、これら一連の行動に対しては全ての給与をカットすべきだと主張しましたが、当局は状況を現認できないとか、管理職が入っている以上は公務の一環だとし、私たち議会の大方の主張は全く通じませんでした。

しかし、監査委員に市民から住民監査請求が出され監査委員の勧告は給与の返還を求める内容でした。

これに対し、当局による給与等の不当利得返還請求は、所属長の職場復帰命令に従わなかった30人の職員に、3月29日の午前10時30分から正午までの1時間30分の間に限るもので、給与総額約12万566円を返還させるというものでした。

この請求に11人が従い、残りの19人は返還に応じず、議会の議決を経て市が武蔵野簡易裁判所に提訴したことで自主返納しました。

この維持補修係、時には40人を超える職員で、ブルドーザー、ロードローラー、ダンプカー等建設用重機を有するなど、建設会社も驚くような組織でしたが、当局は全く管理不能に陥っていました。

この維持補修係の問題に自ら調査し、議会での過激な発言から訴えられても果敢に問題を指摘し改善を求め続けた民間企業経験の先輩議員がおり、その活動を見習い参考にさせていただきました。

職員数の多さからの人件費や、建設用重機類の管理による経費の負担増となり、維持補修の仕事は民間業者に委託することが効率的であり、私の市長任期中に組織改正もし、道路維持補修の正規職員はゼロにしました。

(つづく)

走り続けた16年(30)


財政健全化への闘い ⑱

小金井市は昭和50年前後の8年間、「費用と効果」を全く度外視した、市職員による直営主義の革新の市政が執り行われました。

昭和46年の小金井市の人口が9万2千人であったのが、革新市政の終えた昭和53年は9万9千人と7千人、約8%増に対し、職員数は662人から1千130人と実に倍近くに増員するという取り返しのつかない失政を犯(おか)し、市財政を長期間に渡り苦しめることになりました。

これは、市の事業は市の職員で行うという主張から、常軌を逸した強力な正職化運動を展開する職員組合、そして、それに屈した市長。また、チェック機関としての役割を果たせなかった議会の責任も重いと言わざるを得ません。しかし、市長も議員も市民が選んだ人たちであることを私たちは肝に銘じなければなりません。

前号まで数回に渡って掲載した学校施設警備以外にも、建設部土木課維持補修係も当局の管理が行き届かない部署のひとつであり、革新市政以降も旧名称の「工事二係」と恐れられ、数多くの問題を起こしました。

平成2年第一回(3月)定例会で市議会は次のような決議をしました。

『市役所庁内秩序の回復と確立を求める』(要旨)
平成2年3月28日の予算特別委員会において、土木課維持補修係職員等の傍聴者が市長の答弁に対して一斉に不満の声をあげ審議の続行が不可能になった。これに対して委員長から傍聴者に対し、強く注意を促すという事態が生じた。

かかる状況下で市長が体調を崩しドクターストップとなり、本定例会の会期の延長を余儀なくされることに至った。

その原因の一つには、平成2年度一般会計予算の審議における土木費の経費にかかる予算特別委員会の審議の成り行きに不満を持つ維持補修係の職員を主体とする一部市職員の業務打ち合わせと称したこの抗議行動にあるといっても過言ではない。

あまつさえ、3月29日には本庁舎4階議会棟東階段入口において37名の係員のうち30数名の職員が勤務時間中にもかかわらず激しい態度で助役に迫って取り囲み、動きの取れない状況にするなどの事態は常軌を逸したものというべきである。その後、職場担当課長が職場復帰命令を出しても応じようとせず、議会運営委員会を中断せざるをえない状況に追い込んだ。職場を放棄し、職務に専念する義務に違反したことは、地方公務員法に背反する行為である。

このような、あたかも議会審議に介入するかのごとき維持補修係を主体とする一部職員の不見識な行動は、まじめに働く他の職員の名誉を傷つけ、ひいては市民の良識と名誉を汚す行為であり、本市議会は断じて容認することはできない。かかる異常事態を招来した原因と責任は、挙げて市政運営の最高責任者たる市長にある。市長は、勇断をもって維持補修係を管理可能な職場として、市民に応える機能に改善すべく早急に対処されたい。

以上の決議が、共産党と青木ひかる議員を除く全員の賛成で議決されたのです。

(つづく)

走り続けた16年(29)


財政健全化への闘い ⑰

昭和62年9月議会で、①市民の納得を得られる学校施設管理を②施設管理係の事務室を一か所に、という決議が議決されました。

この決議を実現させるため、私は大久保慎七市長を支える与党の立場ではありましたが、このことについては、厳しくその対応を迫りました。

①は、地方自治法に規定する「地方自治体は最小の経費で最大の効果を上げなければならない」の本旨の則った対応をすべきであるということです。

②について、私は、職員組合を結成(再建)し、四半世紀にわたり委員長の職にあり、西の京都、東の小金井と称される無軌道な組合を指導し、影の市長とも天皇とも称された人を、市民からも職員からも目の届かない個室で執務させる等、当局による特別の処遇に問題がありました。良識ある職員の勤労意欲をそぐなど大きな影響を与え、正常な行政執行を阻害するものであり、これを改善させ、組合を良識化させることが私の主眼でした。

この決議を受け、当局は職場と検討委員会を開き協議を開始しました。その進捗状況は各定例会で市長報告に付されるのですが、時間外手当てを支給しての検討委員会にも関わらず、回数は増えるのですが協議の内容は一向に進展しません。

私は、国分寺市が中学校施設を夜間は機械警備による民間委託に切り替え、一校当たり年間60万円の委託料で実施されていることなどを例に、小金井市の直営による1700万円は大きな問題であり、市長に改善の決断を強く求めました。

平成元年、私は2期目の市議会議員選挙に当選しました。その後、平成3年の市長選挙、私は大久保市長の選対事務局長を務め、大久保市長は2期目の当選を果たしました。

平成5年は、3月の市議選の関係から2月2日に第1回定例会が開かれました。

定例会の冒頭の市長報告で、学校施設管理には一定の進展はあったが決着に至っていないというものでした。

私は、「平成5年度の施設管理に要する経費は4億円を超すことになります。そのうちの3億円が学校警備になります。機械警備の導入などによれば15分の1から20分の1の経費で足ります。市議の任期中、3月までの年度内に解決してほしい。組合との協議が整わないのであれば市長の権限で決断してほしい」と発言しました。

そして、定例会最終日、再度の市長報告があり、学校施設警備は非常勤嘱託職員をもって対応する。現在の正規職員は任用換えを行い他の職場に異動する、というものでした。到底満足とはいきませんが牙城の一角を崩した思いでした。

しかし、難題の②に関しては全く手付かずのままでした。

現在の学校施設警備は、私が目標とした非常勤職員で夜間は機械警備になっています。
(つづく)

【今、市政で何が】
賃借している市役所第二庁舎が民間の不動産会社に売却されました。2年前、第二庁舎取得の予算を提案しましたが、議員の多数の反対で実現しませんでした。後日、その時の議会や私の考え方、上原秀則副市長の対応など本欄で報告します。