この一年を振り返って

本年も残りわずかになりました。皆様にとってどの様な一年だったでしょうか。楽しい思い出がたくさんある年であってほしいと思っています。

さて、私は平成28年の秋の叙勲に際し、図らずも旭日中綬章の栄に浴し、去る11月9日、勲記勲章の伝達を受けました。

妻共々皇居に参内し、天皇陛下に拝謁するとともにお言葉を賜りましたことは身に余る栄光でした。さらに、不肖私が春秋の間において受章者を代表して御礼を申し上げる機会を頂いたことは感激の極みです。

この栄誉もひとえに皆様の多年にわたるご指導、ご支援の賜と心より感謝申し上げます。

今後ともこの栄誉を体し、一層の精進を重ねそのご芳情に報いたいと決意いたしております。変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

さて、小金井市議会議員14年間、そして、小金井市長4期16年の重責を離れて1年が経過しました。常に重圧を感じての30年間であっただけに、その重圧から解放されての1年となりました。

特に、心掛けたことは健康です。急に激務から解放されたことで体調を狂わせないように、と多くの方々からアドバイスをいただきました。

また、市長在任中、71歳の平均健康寿命の延伸を提唱してきたことからも、71歳を超えた今、自らが提唱してきた、バランスの取れた食事、適度な運動、そして、社会参加を実践しました。その甲斐あってか、血圧等健康の目安となる数値も大きく改善され数値的にも極めて健康です。

市長の時から心掛けたことは歩くことでした。この1年間で1日の歩数が1万歩未満となった日は、1月4日の4千歩、10月3日の9千6百歩、11月16日の9千5百歩の3日間だけでした。雨、雪が降っても台風が来襲しても、市内隈なく休まず歩き続けました。

4月は、野川の源流である真姿の池から多摩川と合流する二子玉川まで、4月末は小金井公園を起点とする「ウオーキングフェスタ東京」30キロメートルを2日間、7月は富士登山、9月末は今治市から尾道市までの瀬戸内海を歩いて渡る「島なみ海道スリーデーマーチ」にも参加するなど本当によく歩いた一年でした。

来年も健康寿命延伸のためウオーキングを継続していきたいと考えています。

さて、平成28年第3回(9月)市議会定例会で平成27年度一般会計歳入総額402億946万円、歳出総額386億2千128万円の決算が認定されました。

この決算は私が予算を組み、4月1日から12月17日まで執行し、その後の3月31日までの間は西岡真一郎市長の執行となりました。

その期間、そして西岡市長の3回の補正予算の総額が1億3千万円と少ないこと等から、平成27年度は良くても悪くても私の責任として、この数字を使って今後「16年」間の市政の総括をしたいと考えています。

末筆にはなりましたが、迎える新年が世界中が平和で、皆様にとって幸多き年になることを心から祈念し、私の年末の挨拶とさせていただきます。

(つづく)

走り続けた16年(31)

財政健全化への闘い ⑲

前号本欄に掲載したように、平成2年3月29日の小金井市役所は朝から不穏な雰囲気が漂っていました。

それは、議場のある本庁舎4階の廊下を30人を超える土木課維持補修係職員等が職場を放棄し闊歩しているからです。そして、議会で待機中の助役を30人を超える職員が非常階段の踊り場で取り囲み、身動きの取れない状態の中で罵声を浴びせるなど激しい態度で助役に迫ります。

助役を解放するようにとの議員等の説得にも応じないことから、やむなく揉み合いの中から議員が物理的に助役を救出するという事態です。正に常軌を逸した行動です。

その後、所属長が職場復帰命令を出しても応じず、委員会室の傍聴席で議会の審議を見ているのです。午後になってもその30数人の職員は職場に復帰せず、市役所西庁舎2階の会議室で業務打ち合わせと称して、所属長である部課長を吊し上げていました。

私は、その会議室に行き、この様な業務打ち合わせは認められない、再度、業務命令を出して仕事に復帰させるべきだと部課長に告げるのですが、後の混乱を恐れてか業務命令は出さず、市役所の終業時間まで吊し上げは続きました。

さらに、業務打ち合わせは翌30日も、そして土・日曜後の4月2日午前中も、29人、24人を相手に人目のない貫井北町分室に場所を変えて続きました。

この様な行動は異常の極みであり、社会通念上許されるものでなく、民間企業は勿論他の自治体においても有り得ないことです。公務員としての資質も疑われ、組織の体をなしていませんでした。

私は、これら一連の行動に対しては全ての給与をカットすべきだと主張しましたが、当局は状況を現認できないとか、管理職が入っている以上は公務の一環だとし、私たち議会の大方の主張は全く通じませんでした。

しかし、監査委員に市民から住民監査請求が出され監査委員の勧告は給与の返還を求める内容でした。

これに対し、当局による給与等の不当利得返還請求は、所属長の職場復帰命令に従わなかった30人の職員に、3月29日の午前10時30分から正午までの1時間30分の間に限るもので、給与総額約12万566円を返還させるというものでした。

この請求に11人が従い、残りの19人は返還に応じず、議会の議決を経て市が武蔵野簡易裁判所に提訴したことで自主返納しました。

この維持補修係、時には40人を超える職員で、ブルドーザー、ロードローラー、ダンプカー等建設用重機を有するなど、建設会社も驚くような組織でしたが、当局は全く管理不能に陥っていました。

この維持補修係の問題に自ら調査し、議会での過激な発言から訴えられても果敢に問題を指摘し改善を求め続けた民間企業経験の先輩議員がおり、その活動を見習い参考にさせていただきました。

職員数の多さからの人件費や、建設用重機類の管理による経費の負担増となり、維持補修の仕事は民間業者に委託することが効率的であり、私の市長任期中に組織改正もし、道路維持補修の正規職員はゼロにしました。

(つづく)

走り続けた16年(30)

財政健全化への闘い ⑱

小金井市は昭和50年前後の8年間、「費用と効果」を全く度外視した、市職員による直営主義の革新の市政が執り行われました。

昭和46年の小金井市の人口が9万2千人であったのが、革新市政の終えた昭和53年は9万9千人と7千人、約8%増に対し、職員数は662人から1千130人と実に倍近くに増員するという取り返しのつかない失政を犯(おか)し、市財政を長期間に渡り苦しめることになりました。

これは、市の事業は市の職員で行うという主張から、常軌を逸した強力な正職化運動を展開する職員組合、そして、それに屈した市長。また、チェック機関としての役割を果たせなかった議会の責任も重いと言わざるを得ません。しかし、市長も議員も市民が選んだ人たちであることを私たちは肝に銘じなければなりません。

前号まで数回に渡って掲載した学校施設警備以外にも、建設部土木課維持補修係も当局の管理が行き届かない部署のひとつであり、革新市政以降も旧名称の「工事二係」と恐れられ、数多くの問題を起こしました。

平成2年第一回(3月)定例会で市議会は次のような決議をしました。

『市役所庁内秩序の回復と確立を求める』(要旨)
平成2年3月28日の予算特別委員会において、土木課維持補修係職員等の傍聴者が市長の答弁に対して一斉に不満の声をあげ審議の続行が不可能になった。これに対して委員長から傍聴者に対し、強く注意を促すという事態が生じた。

かかる状況下で市長が体調を崩しドクターストップとなり、本定例会の会期の延長を余儀なくされることに至った。

その原因の一つには、平成2年度一般会計予算の審議における土木費の経費にかかる予算特別委員会の審議の成り行きに不満を持つ維持補修係の職員を主体とする一部市職員の業務打ち合わせと称したこの抗議行動にあるといっても過言ではない。

あまつさえ、3月29日には本庁舎4階議会棟東階段入口において37名の係員のうち30数名の職員が勤務時間中にもかかわらず激しい態度で助役に迫って取り囲み、動きの取れない状況にするなどの事態は常軌を逸したものというべきである。その後、職場担当課長が職場復帰命令を出しても応じようとせず、議会運営委員会を中断せざるをえない状況に追い込んだ。職場を放棄し、職務に専念する義務に違反したことは、地方公務員法に背反する行為である。

このような、あたかも議会審議に介入するかのごとき維持補修係を主体とする一部職員の不見識な行動は、まじめに働く他の職員の名誉を傷つけ、ひいては市民の良識と名誉を汚す行為であり、本市議会は断じて容認することはできない。かかる異常事態を招来した原因と責任は、挙げて市政運営の最高責任者たる市長にある。市長は、勇断をもって維持補修係を管理可能な職場として、市民に応える機能に改善すべく早急に対処されたい。

以上の決議が、共産党と青木ひかる議員を除く全員の賛成で議決されたのです。

(つづく)