走り続けた16年(113)

令和時代の幕開け

令和元年5月1日、歴史的な日を迎えました。天皇陛下が譲位し上皇陛下となり、皇太子殿下が即位する。平成の時代に幕を引き、新たに令和の時代の幕開けです。私たちにとっても人生の大きな節目であり、新たな人生の希望と喜びのスタートになります。

この令和の時代、世界中の人々が平和で豊かであることを願わずにいられません。

昭和から平成に代わった30年前は天皇の崩御に伴う改元であり、その前年の秋頃から行事や催しは「自粛」する状況であり、日本全国が暗く重苦しい雰囲気でした。しかし、この度は天皇陛下生前の譲位であることから雰囲気は一変しました。

平成の時代を生きた者にとって、天皇、皇后両陛下は国民の心の支えであり、高齢にも関わらず自然災害等で被災され、失意のどん底にある多くの人々に生きる力や夢を与え続け、その御姿に国民は感動を受けました。

私と妻は平成22年10月、天皇、皇后両陛下による赤坂御苑での園遊会にお招きをいただきました。出席に当たって、経験のある先輩から会場の中心より天皇がお回りになる少し先の方にいた方がいいとのアドバイスをいただきました。この日は雨が降ったり止んだりで、風も強く非常に寒い日になり、中止を心配する程でした。

天皇、皇后が会場を回られ、私たちの前にいらっした時、天皇から「生憎のお天気でしたね」と、話しかけられました。私は「お招きをいただき光栄です。小金井市から参りました」と申し上げると、陛下はすぐ近くに来られ、そこで小金井の話になりました。

天皇が皇太子時代の昭和21年4月、目白の学習院中等科が戦災の被害を受けたことから中等科の1、2年生は小金井町の小金井公園内にあった旧文部省教育研修所に移転しました。そのため、殿下は公園内の学習院中等科で学び生活されていたのです。昭和24年12月、皇太子殿下が葉山御用邸に滞在中、その小金井の東宮仮御所から出火、御所を全焼してしまいました。東側にある光華殿は類焼をまぬかれ、今でもたてもの園のビジターセンターとして現役です。

殿下は、24年学習院高等部に進学されてからも、小金井町から通学されていたとのことで、昭和26年3月までの青春の5年間を小金井町でお暮らしになられていたのです。

その様な体験から、小金井を懐かしく話され、途中から皇后陛下も加わり「陛下は時々小金井でのことを懐かしく話されます」とおっしゃられました。当然私は「是非、小金井市にお越しください」と申し上げ、快いお返事をいただきましたが、私の任期中には間に合いませんでした。寒く雨模様の悪天候が天皇と話す機会となったのは幸運でした。

また、平成28年秋の叙勲で旭日中綬章の栄に浴し、11月9日皇居に妻と参内し、天皇に拝謁するとともに受章者を代表して陛下に御礼の言上をさせていただき、天皇からお言葉をいただいたのは一生の思い出です。

国民と苦楽を共にした30年間に感謝申し上げたいと思います。

新しい時代のスタートにあたり、私自身も長期は不要としても、短期、中期の目的を持って令和の時代を生きていきたいと思います。

(つづく)

この一年を振り返って

本年も残りわずかになりました。皆様にとってどの様な一年だったでしょうか。楽しい思い出がたくさんある年であってほしいと思っています。

さて、私は平成28年の秋の叙勲に際し、図らずも旭日中綬章の栄に浴し、去る11月9日、勲記勲章の伝達を受けました。

妻共々皇居に参内し、天皇陛下に拝謁するとともにお言葉を賜りましたことは身に余る栄光でした。さらに、不肖私が春秋の間において受章者を代表して御礼を申し上げる機会を頂いたことは感激の極みです。

この栄誉もひとえに皆様の多年にわたるご指導、ご支援の賜と心より感謝申し上げます。

今後ともこの栄誉を体し、一層の精進を重ねそのご芳情に報いたいと決意いたしております。変わらぬご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

さて、小金井市議会議員14年間、そして、小金井市長4期16年の重責を離れて1年が経過しました。常に重圧を感じての30年間であっただけに、その重圧から解放されての1年となりました。

特に、心掛けたことは健康です。急に激務から解放されたことで体調を狂わせないように、と多くの方々からアドバイスをいただきました。

また、市長在任中、71歳の平均健康寿命の延伸を提唱してきたことからも、71歳を超えた今、自らが提唱してきた、バランスの取れた食事、適度な運動、そして、社会参加を実践しました。その甲斐あってか、血圧等健康の目安となる数値も大きく改善され数値的にも極めて健康です。

市長の時から心掛けたことは歩くことでした。この1年間で1日の歩数が1万歩未満となった日は、1月4日の4千歩、10月3日の9千6百歩、11月16日の9千5百歩の3日間だけでした。雨、雪が降っても台風が来襲しても、市内隈なく休まず歩き続けました。

4月は、野川の源流である真姿の池から多摩川と合流する二子玉川まで、4月末は小金井公園を起点とする「ウオーキングフェスタ東京」30キロメートルを2日間、7月は富士登山、9月末は今治市から尾道市までの瀬戸内海を歩いて渡る「島なみ海道スリーデーマーチ」にも参加するなど本当によく歩いた一年でした。

来年も健康寿命延伸のためウオーキングを継続していきたいと考えています。

さて、平成28年第3回(9月)市議会定例会で平成27年度一般会計歳入総額402億946万円、歳出総額386億2千128万円の決算が認定されました。

この決算は私が予算を組み、4月1日から12月17日まで執行し、その後の3月31日までの間は西岡真一郎市長の執行となりました。

その期間、そして西岡市長の3回の補正予算の総額が1億3千万円と少ないこと等から、平成27年度は良くても悪くても私の責任として、この数字を使って今後「16年」間の市政の総括をしたいと考えています。

末筆にはなりましたが、迎える新年が世界中が平和で、皆様にとって幸多き年になることを心から祈念し、私の年末の挨拶とさせていただきます。

(つづく)