走り続けた16年(173)

新しい年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。

希望の新年を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年のご厚誼に感謝するとともに、本年も本欄をご愛読いただきますよう宜しくお願いいたします。

昨年末、国民注視の中、小惑星リュウグウから故郷地球に向けて帰路についた『はやぶさ2』は、お土産の玉手箱を地球に送り届け、故郷には立ち寄らず次のミッションに向けて飛び立ちました。本年は、期待を持って開く玉手箱の中身に関心が移ります。宇宙に関心を持つ子どもたちにも大きなお年玉になることでしょう。

一方、地球全体を揺さぶるかのような新型コロナウイルス感染拡大による恐怖と、それに伴っての世界経済の落ち込みも、人類が近年経験したことのない状況にあります。

世界の混乱で最も影響を受けるのが国内外を問わず社会的弱者といわれる人々へのしわ寄せです。清潔な水も食糧も不足し、衛生管理も、医療機関も不十分な発展途上国、紛争国、そして、難民キャンプ等で生活する人々にコロナウイルスに加え、冬の寒さが追い討ちをかけていることを思うと心が痛みます。今や、地球規模での対応が迫られています。

願わくは、少しでも早くワクチンが世界の隅々まで普及することにより感染拡大が収まり、元の日常に戻ることです。

1年遅れで7月には東京オリンピック・パラリンピックが開会される予定です。世界中のコロナ禍が収まった証しとして予定通り実施されることを願うものです。

国難とも言えるこの状況に当たっては、国も都も、そして、基礎自治体である市にとっても大きな課題が突き付けられています。

本年の市政の課題はコロナ禍における市民生活、財政問題、そして、懸案の庁舎問題になると思われます。

先ず、市民生活と財政問題は2008年(平成20年)9月に米国投資銀行のリーマンブラザーズの経営破綻に端を発し、連鎖的に世界規模の金融危機が発生したことがありました。国内においても大手金融機関、保険会社、証券会社等の倒産もあり、税収は国も都も、そして、市においても大幅な減収になりました。しかし、当時は経済再生の見通しがつきましたが、コロナ禍は先行きの見通しが全く立ちません。その上、日本だけで片付くものでなく国際社会の連携が必要であり、問題を複雑にしてます。

市は、コロナ禍による税収減はリーマンショック等を参考にし、今後5年間で約60億円の減収と想定しています。その補填は財政調整基金(財調・貯金)の取崩しでまかなうとのことです。財調はそのための基金であり有効な活用が必要です。

コロナ禍により市内の小売業や飲食店などに与える影響も甚大です。それらに従事する解雇や雇い止めによる収入減、アルバイト学生やひとり親家庭などの生活困窮も見逃すことなく、市民生活を最優先する市政運営が望まれます。

令和3年度の予算編成に当たっては、厳しい財政状況ですが、財調等を有効に活用し、国や都の施策に頼るだけでなく、小金井市の特色を生かした明るい未来を感じさせる新年度予算に期待したいものです。それが「小金井に住んでよかった」の基になります。

(つづく)

走り続けた16年(155)

新型コロナウイルス④

新型コロナウイルスの感染が世界中を震撼させています。

医療体制や公衆衛生が整い、衛生意識も十分に行き届く我が国においても、感染における経済活動など国難ともいえる状況に陥っています。まして、食料や水が不足し、医療体制も不完全な発展途上国や政情の不安定な国民の苦しみを想像すると胸が痛みます。

我が国は、昭和20年8月の終戦により、政治も経済も社会生活も一変しました。私は、このコロナ禍による社会の変化はその時以来の激変だと思います。

現在、小金井市の抱える課題である新庁舎と福祉会館の建設は基本設計に、どれだけ市民の声が反映されたか分かりません。昨年11月予算編成に入り、1月に確定。3月議会での議決を理由に、6月の実施設計の契約締結には疑問を持ちます。その後に本格化したコロナ禍を、全く考慮することなく進めることは考えられません。

西岡市長は「6施設の複合化を67億円で」との選挙公約で当選しました。しかし、現在示しているのは庁舎と福祉会館だけで104億9千万円の事業費です。

さらに膨らむことが想定されますし、これに図書館を加えれば、当初の公約の67億円を100億円以上もオーバーすることになります。

リース庁舎も課題です。これは、平成26年9月に18億6千万円で売買契約を締結しましたが、議会多数の反対で解約したものです。

そのため第二庁舎は商品化され不動産業者間で転売されてます。

関連する不動産会社の18年9月28日付のホームページに次の様な記載がありました。

販売した不動産の報告で、所在地は小金井市で敷地面積と建物の延床面積は第二庁舎と一致します。そして、当該不動産の販売価格ですが、18年3月期の連結売上高(442億7千4百万円)の10%の額以上であります。とありました。この物件は第二庁舎と思われ、その金額をどう解釈するのかが気になります。

市長は「第二庁舎は所有者に返す」と就任直後から名言してましたが「基本的に」とか多少の柔軟性を持った発言をすべきでした。断言することで転売物件になってしまいました。福祉会館建設も「議会の決議があるので急ぐ」と再三の答弁ですが、第二庁舎前の駐車場に平成31年10月完成で準備していたものを就任早々破棄してしまったのは残念でした。市役所と福祉会館が一体であることの利便性を言われますが、阪神淡路大震災でも避難場所の近くの市役所は避難所と化し、役所の機能が果たせなくなりました。まして、避難所のソーシャルデスタンスとなると、さらに問題は複雑です。

また、小金井市の10年後の将来像を定める「第5次基本構想」の策定も、混沌とした現状で、今後10年間の将来目標を定めるのは不可能と思われます。

世界7大陸の最高峰を最年少で登頂したアルピニストの野口健さんは、当時、亜細亜大学の学生で梶野町に住んでたことから、親しいお付き合いの中で、彼が話したのは「エベレストにアタックするより、頂上を目前に引き返す決断の方が本当の勇気ですね。私たちと擦れ違って登った人たちが、その後、座ったままで凍っているのを見ました」という言葉を思い出します。

(つづく)

走り続けた16年(140)

令和初の市長選挙②

選挙公約は、選挙に立候補する候補者が当選後に実現させる政策を市民に約束することで、それを有権者に訴えて投票行動に結び付けるものです。有権者が投票に当たって、最も重要な判断材料ということになります。

西岡真一郎市長は、前回の市長選挙で『庁舎、福祉会館、図書館等6施設複合化は67億円で、新たな市民負担はない』と市民に公約し当選しました。しかし、就任し間もなく、公約の度々の変更。1年も経たないうちに「ゼロベースで協議」と白紙撤回となりました。今や図書館は影も形もありません。

また、人件費を削減し年間40億円を生み出す約束も果たされず、この4年間人件費は年々増え続けています。

この4年間、数々の公約違反についての厳しい指摘も、言葉巧みの答弁で交わしましたが、今後もその状況は続くと思われます。

今回の選挙において西岡市長の公約は今後4年間の小金井市をどうしていくのか、何をするのか全く具体性に欠けるものでした。

西岡市長はその選挙公報で『前進!動き始めた市政をとめるな』の見出しで『平成4(1992)年に約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました』と高らかに謳っていますが、果たしてそれは事実なのでしょうか。

27年前の平成4年、バブル経済の中で、蛇の目工場跡地を庁舎用地として大久保慎七市長は議会の強い要望もあり120億円で取得しました。そのうちの40億円は各種基金(預金)をかき集めて頭金に、80億円は借金でした。その数年後、バブル経済が崩壊し、大幅な税収減が続く中、平成9年度は返済不能に陥り元金を据置き金利だけの返済になりました。平成11年、市長に就任した私は、非常に厳しい財政状況ですが借金返済を再開しました。さらに、平成16年度からは庁舎建設基金(預金)の積立も開始しました。その後、平成20年リーマンショックにも直面しましたが、借金の返済と基金の積立は継続しました。

平成23年、20年かけて80億円の借金を完済し、新庁舎建設が見通せたことから、新庁舎建設基本構想を作成しさらに、新庁舎建設基本計画を市民参加で作成しました。次にくるのは当然基本設計ですが、東日本大震災や東京オリパラの影響で建設費が異常に暴騰したため基本設計の予算の執行は停止しました。そのため、次は、誰が市長になろうと基本設計に入るのです。

その基本設計も平成30年12月議会で、初めての試みの議員間討議で福祉会館の機能の調整や、6会派12議員の提案による庁舎問題の難題解決など、市議会のイニシアチブで進められているのが実情ではないのでしょうか。

西岡市長の選挙公報の「約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました」とは事実を正確に伝えているとは到底思えず、市民に誤解を与える表現だったのではないでしょうか。

この27年間、庁舎問題は苦しみの中で着実に前進してきました。それは、大久保市長を先頭に職員も議員も私も頑張ってきました。それを正確に伝えるのが私の役割です。

(つづく)

走り続けた16年(139)

令和初の市長選挙①

昨年12月8日、市民に最も身近で生活に直結する市長選挙と市議補選が行われました。

これは、これまで4年間の西岡市政の評価と、今後4年間の小金井市の方向を定める非常に重要な選挙ですが、その投票率の低さに驚きと不安を感じました。投票率は40・89%と辛うじて40%台を確保しましたが、約10万人の有権者の内6万人が棄権したのです。

投票率を年代別に見ると、18、19歳の10代は30・5%と平均を10㌽も下回り、20代になると18・1%と極端に下がり、30代が30・7%、40代が40・3%、50代が46・9%、60代が54・6%で、70代が61・3%で最も高く、80歳以上の方は42・8%で、総計が40・89%になるものです。この低投票率は、選挙戦における争点不足も原因の一つと思われます。

年代別の投票率は他の選挙においても順位に変りはなく、20代が最も低く年齢とともに高くなります。将来を担う20〜30代に対して投票率を上げるための対応策が必要です。

市長選挙の各候補者の得票を見ると、西岡市長は前回選挙の1万2千849票より約6千票増やし1万8千579票と圧勝しました。これは、西岡陣営が立憲民主、国民民主両党の票を固めるとともに、保守票の多くが西岡陣営に流れたと思わざるを得ません。現職市長の露出度の高さによるパフォーマンスが功を奏したものと思われます。

自民、公明、維新の会推薦の河野律子候補の1万759票は前回の五十嵐京子候補とほぼ同程度の得票になりましたが、勝敗を分けたのは立憲民主、国民民主党の票を固めた西岡陣営に対し、河野陣営は公明票は固めたが、足元の保守票を固め切れなかったということになります。河野選対の役目は、有権者に対し市政の現状と候補者の人となりを伝え、知名度アップを図ることでしたが果たせませんでした。これは、河野候補の選対本部長を務めた私の責任です。

また、共産党支持の森戸洋子候補の1万399票は、前回、共産党の支援を受けた白井亨候補の得票とつながっています。

また、前回の岩淵美智子候補の5千786票の行方は分かりません。

この選挙戦を通して感じられたのは、市政の状況がなかなか市民に伝わりにくいことです。これは、最近の日刊紙の武蔵野版は新聞社の編集方針からか、各市の市政の取り上げ方が少なくなり、市民が市政の状況を知る機会が少なくなったことにも起因します。

有権者が投票行動を決するのは、残念ながら政策より知名度やイメージが大きな影響を与えると感じました。

12月24日、市長選と市議補選後、初の臨時市議会が開かれ、本来、午前中に終われる内容のものが、市長選挙前に発覚し継続されていた議題と新たに発生した問題で紛糾し、日付の変わった午前2時半過ぎまで続きました。

その中に、西岡市長が推薦した市議候補に関する『平成29年市議選立候補者による市内福祉施設の個人情報盗用事案について真相糾明を求める決議』が全会一致で、さらに『市選管による不正な公職選挙法解釈事件に係る監査請求』が議会選出監査の退席を除く全員賛成の可決となり、課題はすべて先送りされるなど、初議会は波乱の船出となりました。

(つづく)

走り続けた16年(120)

給食の委託化と都議選の顛末②

昭和50年の革新市政の時代から、人件費比率全国ワーストの市財政の危機的状況を打開するため、行財政改革を進めなければならないと、四半世紀にわたり行政も議会も延々と言い続けてきましたが、人件費地獄から脱却できないまま、平成11年4月市長に就任しました。私には、何よりも小金井市の財政再建を果すことが使命であり、行革は職員組合との厳しい交渉を経て進めていくことが第一義ですが、それも、職員や議会の協力、市民のご理解により着実に改善が進みました。

平成29年7月11日の本欄の「都議会議員選挙」についてを表題とする寄稿文は、平成25年6月の小学校9校の内5校の給食調理業務を委託することの困難さと、私が都議選で自民党候補の応援をしなかった理由の説明だったのですが、民主党市議(現立憲民主党)から「事実に反する記述だ」との厳しい反論があり、紙面でのやり取りになりました。

このことに対し、共産党が事実の解明を西岡市長に申し入れましたが、市長が事実関係を率直に回答すれば問題ないものを、これに、きちんと回答しないことから問題がこじれていきました。

平成29年9月定例会の一般質問で共産党の水上洋志議員の質問は「前市長の稲葉孝彦氏から電話があったか、それに対して民主党に何らかの働きかけをしたか」というものでした。これに対し、西岡市長は電話の有無には答えず「民主党の申し入れ記事にあるように『民主党への指示や関与はありません』との内容のとおりであると答弁します」でした。私の寄稿文では、指示や関与については全く触れていないのです。同様の質疑が繰り返されました。市長は自らの言葉で「電話はあったが、指示も関与もしていません」と答えれば済むものを、民主党の申し入れ文を引用したため議論を複雑にしました。さらに後日、引用した申し入れ文が事実と異なることを民主党議員が認めることになるのです。

そして、市民から市議会に「疑惑の解明を求める陳情書」が出され委員会での質疑になりました。

市長は委員会で「電話があったと記憶しているが会話の詳細は覚えていない」とし、その後、別の委員会では複数回電話があったと記憶している、との答弁への変遷となりました。また、民主党の岸田正義議員(現・立憲民主党)からは「『このままでは賛成できない』と、もしかしたら申し上げたかもしれません」との発言も出てきました。さらに、西岡市長も岸田議員も、市議会議員と幅広い意見交換の場があったとの発言も出ました。

議会での質疑を通じて、私の議会対応に対する厳しい批判もありましたが、「事実無根の記事」との批判は虚偽であることも明らかになりました。

選良といわれる西岡市長の与党である立憲民主党の議員は、私の寄稿文が「関係者を侮辱し、市議会の信用を著しく損なう」と表明した以上、ただ沈黙を守るだけでなく、事実経過を市民に知らせる義務があり、それが職責に対する対応ではないでしょうか。

(つづく)