走り続けた16年(127)

市議会議員として⑧

昭和60年3月31日市議選に続いて、5月26日の市長選で二期目の当選を果たした保立旻市長を待っていたのは想像を越す職員組合の手荒い歓迎でした。

3月31日に施行された定年制により37人の職員が退職し、その欠員補充を求める職員組合と不補充を主張する保立市長の間で激しく厳しい労使交渉が行われました。その結果、5人の現業職の採用は市長辞職を覚悟しての決断でしたが、与党議員の一部には反発があり、結果、10月に大久保慎七助役が責任を取る形で辞職しました。

議員になって数か月の私にはこの経過を追っていくのが精一杯であり、全体を取りまとめることには到底なりませんでした。

保立市長が苦しんだのは、調布、府中、小金井の3市の可燃ごみを処理していた二枚橋焼却場の建替え問題でした。それを検討し、進めてきたのを、昭和60年3月末の市議選の直前の2月13日、市議会定例会で「二枚橋焼却施設近代化計画に関する決議」が全会一致で議決されたのです。その内容は『今日まで二枚橋衛生組合で、現敷地内において焼却場の施設近代化計画が検討されておりますが、小金井市民に二枚橋焼却場から排出される公害等により長い間被害を被ってきたところであります。

したがって、老朽化した二枚橋焼却施設を建替えるについては、小金井市民の現状を十分にしんしゃくし、公害のない、住民に迷惑をかけない施設とし、かつ、他に第2工場を建設することが付帯条件であります。ついては、第2工場の計画検討を近代化計画と同時にすべきであることを小金井市議会として意見、決議します。』というもので、私が市議会議員になる2か月前に市議会で議決されていたのです。

これは、老朽化した二枚橋焼却場の建替えを目的に、昭和58年7月二枚橋衛生組合議会に3市6人の議員による施設近代化特別委員会を発足させ、組合事務局の研究報告を参考に、焼却施設の現状把握と現施設の問題点についての協議や研修視察を実施し、意見の交換を行っていた矢先のことだったのです。

小金井市民は議会が全会一致であることなどから、特段、問題のある決議とは思えず、市議選の争点にもなりませんでした。

しかし、調布、府中の両市にとっては到底受け入れられるものではなく、不信感を募らせることになり、その後の小金井市のごみ行政に大きな影響を及ぼすことになりました。

それは、3市にまたがる現施設の建替え計画の最中に、新たな第2工場の建設計画を同時に進めるべきであるということに両市は到底納得できるものではなかったのです。また、この決議が小金井市議会議員の誰一人反対もなく可決されたことも重大でした。

人口増によるごみ量の増加と、老朽化による焼却量の減少のギャップで、施設を早急に建替えるべき時に大きな難題を小金井市から突き付けられることになったのです。

保立市長が全会一致で議決した小金井市議会の第2工場論を主張すれば、調布、府中両市と対立関係になり、その狭間で苦しい対応が求められました。

(つづく)