責任を誠実に果たし着実な発展へ

 

新年あけましておめでとうございます。希望に満ちた輝かしい年を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

本市にとって最重要課題である燃やすごみの処理につきまして、多摩各市や都のご支援により滞りなく処理されていることに対して、施設周辺にお住まいの皆様ならびに関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

現在、日野市が、国分寺市と本市とのごみ処理の共同化を決定し、施設周辺の方々にご理解をいただく努力をされています。私たちは、日野市のご努力に深く感謝するとともに、市といたしましても、与えられた責任を誠実に果たしていきたいと考えています。

未曾有の災害となった東日本大震災から2度目の正月を迎えました。しかし、復興には程遠く、原発事故等で思い出深い故郷に帰れず、不自由な生活を余儀なくされている方々に、心からお見舞い申し上げます。昨年末の衆議院議員選挙において誕生した新政権には、被災地に寄り添った復興対策を願望するとともに、私たちも、この大災害を風化させることなく国民一人ひとりが復興に向けての行動をしなければならないと考えます。

昨年1年を漢字1文字で表すと「金」になるようです。夏のロンドンオリンピック、パラリンピックから数々の感動のドラマが誕生し、世界中に夢と希望を与えてくれました。これには小金井市民の代表も出場し、小金井市民交流センターでのパブリックビューイング等でも熱狂しました。

本年は、市制施行55周年の節目でもあり、また、スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会・第13回全国障害者スポーツ大会)の年でもあります。本市では、9月・10月にバスケットボールと弓道が行われます。大会を盛り上げ、訪れる方々を歓迎してまいります。

そして、3月には、小金井市議会議院選挙が行われます。市議会とともに、本市の懸案であるごみ問題をはじめ、諸課題に全力で取り組んでいくことをお誓いします。
本年が皆様にとって幸多い年であり、世界が平和に向けて大きく前進することを心から祈念し、年頭の挨拶とさせていただきます。

1年間お世話になり、ありがとうございました

 

いよいよ平成24年(2012年)も残り僅かになりました。
小金井市は、昨年、市民生活に直結するごみ処理問題等で市政が混乱に陥り、昨年暮から、8か月振りに、再び私が市政を執行することになりました。そして、本年は、市政の安定と信頼回復に向け、全庁あげて取り組み、議会そして市民の皆様のご理解をいただき、一定の成果を上げることができました。

市政最重要課題である燃やすごみの処理につきましては、広域支援という形で、稲城市、狛江市、府中市、国立市で構成される多摩川衛生組合をはじめ、昭島市、日野市、三鷹市等、多摩各市のご支援により滞りなく処理していただいています。処理施設周辺にお住まいの皆様、並びに関係者の皆様に心から感謝申し上げるところです。市民の皆様にもこの様な状況にあることを理解いただくようお願いします。

さて、年末恒例の清水寺の森 清範貫主が特大の和紙に揮毫した本年1年の世相を表す漢字1文字はご存知の通り「金」でした。
夏に行われたロンドンオリンピック、パラリンピックが、世界中に夢と希望と感動を与えました。日本チームも大活躍で、それが森 清範貫主の「金」につながったものと思います。小金井市からも、オリンピック、パラリンピックに小金井市民が出場することで、出身校の生徒さんをはじめ市民も熱狂し、多くのドラマや感動が生まれました。

未曾有の大震災となった東日本大震災から2度目の正月を迎えようとしています。伝えられる報道では復興には程遠く、福島第一原子力発電所の事故などにより、未だ30万人を越える方々が、住み慣れた故郷に帰ることもできず、故郷を思いつつ不自由な生活を余儀なくされていることに心が痛みます。心からお見舞い申し上げるとともに、この大災害を風化させることなく、私たち一人ひとりが復興のための行動を続けていかなければならないと考えます。

市民待望の文化・芸術の拠点「市民交流センター」は、本年2月9日、市議会で取得議案が可決されたことにより、2月15日、都市再生機構と取得契約を締結し、そして4月1日本格オープンしました。これは、武蔵小金井駅南口の再開発の完成とともに、小金井市の歴史の大きな1ページを飾るものです。多くの方々の大変なご苦労により完成された再開発、市民交流センターです。私は、巡り合わせでその場にいられたことを大変光栄に思っています。一部に課題は残っていますが、多くの市民の皆さんに喜んでいただいていることを、大変嬉しく思います。文化・芸術の拠点として、市民の皆様に末永く愛される施設になるよう努めてまいります。

今年も子どもたちが頑張りました。学力が優秀というだけでなく、スポーツや音楽、文化・芸術、そしてボランティア活動等、多くの分野で活動し、素晴らしい成果を上げてくれました。スポーツにおいてはオリンピックイヤーということもあってか、軟式・硬式野球、ミニバスケットボール、ハンドボール、剣道、サッカー、テニス、新体操等々、好成績が続出、市役所への表敬訪問は秘書担当がスケジュール調整に苦慮する程でした。
新しい年にも期待が持たれます。

師走の選挙は昨年の市長選挙と同様でした。突然の石原都知事の辞職と衆議院の解散総選挙とが重なりました。都知事選は、石原都政を継承する猪瀬直樹氏が大勝、衆院選は自民党が圧勝、自公で3分の2超の議席を得るという結果となり、3年4か月前の選挙結果とは真逆の結果となりました。この振幅の激しさに小選挙区制度の不安を感じますが、これらの選挙の結果が国民にとって都民にとって、期待に応えられる政治が行われることを願っています。

ここ東京18選挙区(武蔵野市、府中市、小金井市)は、土屋正忠氏が当選し国政復帰を果たしました。小泉旋風の選挙では比例での当選でしたが、小金井市に対しても大変な貢献をしていただきました。今回は小選挙区での当選です。以前にも増して国や都との太いパイプとして頑張ってもらいます。
また、来年3月は市議会議院選挙です。小金井市の抱える課題解決に向けて、行政とともに進める議会構成を望むものです。

今、地方自治体は厳しい財政状況に晒されています。その様な中、3月の市議選のため平成25年度予算が1か月ほど早まっての編成となりました。厳しい財政状況の下で、財政調整基金を大幅に取り崩すなどによる編成です。平成25年度の予算は組めましたが、26年度はどうなるか見当がつかない状況です。この様な状況を打破するため、歳入をいかに増やすか、歳出をいかに押さえるかを考えて行動することになります。財政再建のための行財政改革、平成25年は財政再建に向けての行動の年にしたいと考えています。

繰り返しになりますが、小金井市の喫緊の課題はごみ問題です。小金井市民の排出する燃やすごみは多摩各市の広域支援により処理していただいていますが、一日も早く安定的な処理ができるよう努めてまいります。
現在、日野市が、国分寺市と本市とのごみ処理の共同化を決定し、施設周辺の方々のご理解をいただく努力をされています。私たちは、日野市のこのご努力に深く感謝するとともに、市といたしましても、与えられた責任を誠実に果たしていきたいと考えています。

この1年間、市民の皆様の市政に対するご理解ご協力に感謝するとともに、迎える新年が皆様にとって、また、小金井市にとっても素晴らしい年になることを心から祈念し、年末の挨拶とします。どうぞ皆様、よいお年をお迎えください。

りそな銀行会長 細谷英二氏逝去

 

4日夜、テレビニュースが、りそな銀行会長の細谷英二氏(67歳)の逝去を報じました。私は、その報に接したとき思わず「エー」と大声を発してしまいました。細谷氏は、小金井市が大変お世話になった方だからです。

細谷氏の経歴については新聞等の報道で詳しく報じられていますが、旧国鉄の分割・民営化に辣腕を振るい成功に導きました。その後、東日本旅客鉄道株式会社(以下「JR東日本」)の副社長として活躍されました。乞われて、巨額の公的資金が投入されたりそな銀行の会長に就任し、数々の改革を行うと同時に、大きな成果を上げてきた方です。

武蔵小金井駅南口の再開発は、何度も事業執行が不可能になるような難関に直面してきました。それらを、ひとつひとつ乗り越えての完成でした。

その難関のひとつがJR東日本の転出計画でした。平成14年2月、都市再生機構は小金井市に対し、再開発事業の断念を通告してきました。それは、武蔵小金井駅南口に権利を有するJR東日本が都市再生機構に再開発からの転出を表明、都市再生機構の説明も及ばず、JR東日本は転出を決定しました。この再開発はJR東日本が転出すれば事業は成り立たないことから、都市再生機構が小金井に事業断念を伝えてきたものです。

私は諦めませんでした。平成14年2月18日(月)確定申告初日、武蔵野税務署で武蔵野、三鷹、小金井の3市長の確定申告のセレモニーがありました。その足で、武蔵野市役所市長室に行き、JR東日本に人脈を持つ土屋正忠市長(当時)の紹介で、JR東日本副社長の細谷英二氏と、その場で電話で状況を説明しました。その後、何回か電話で小金井市の再開発の必要性等を細谷氏に訴え、理解を求めてきました。

同年2月25日、自治会館での東京都市長会の後、自治会館の駐車場から武蔵野市長車の携帯電話を借りて細谷氏と話しました。車の隣りの席では、その会話を土屋市長がメモを取っていました。細谷氏の話は「新たな投資となる保留床の購入は無理だが、権利床は確保する。小金井市の再開発には協力する」というものでした。JR東日本の計画変更の再変更です。これにより、JR東日本の撤退は回避され事業は再開されました。小金井の再開発にとって記念すべき一瞬でした。

この再開発は、都市機能を充実させるためJR東日本には新たな投資を期待していました。しかし、それが無くともJR東日本が自らの権利床に責任を持ってくれれば事業が成り立つよう計画してきたものです。

JR東日本の了解が得られたので、事業を継続することを都市再生機構に伝えました。都市再生機構は驚きました。変更を決定した計画を元に戻すことにどんな力が働いたのか、信じられない、ということでした。事業継続決定は、細谷氏と私との電話での話し合いがすべてでした。紹介をいただいた土屋正忠氏にも感謝いたします。

実際に細谷氏にお会いすることはなく、お願いも、経過も、感謝のお礼もすべて電話でした。こんなことになるなら、一度お会いしてきちんとお礼を申し上げるべきだったと悔いています。武蔵小金井南口再開発事業で大変お世話になったおひとりです。

細谷英二氏のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニック

 

JR東小金井駅南口を出ると、すぐ左手に3階建ての近代的ビルが建設されました。これが、日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニックです。

当クリニックは、摂食・嚥下機能障害の方々や、発達期の子どもの摂食機能療法などの治療などに応えるもので、言語障害、口腔咽頭がんの方々のリハビリテーション、障害のある子どもや寝たきりの方の口腔ケアや歯科診療等も地元小金井歯科医師会とも連携を取って医療にあたることになります。

多摩地域全体の口腔リハビリテーションとして大いに期待され、東小金井の発展にも大きく寄与するものと思われます。

10月17日、開院記念式典が行われ、私も、歯科医師会の岩崎会長と出席させていただきました。

中央大学附属高等学校創立100周年

 

中央大学附属高等学校創立100周年記念式典が、10月27日、中央大学附属高校講堂において盛大に挙行されました。私も、同校の所在する市長としてお祝いに出席しました。

中央大学附属高等学校は明治42年(1909年)豊多摩郡落合村(現在の新宿区落合)近衛家敷地内に東京同文書院に併設される形で目白中学校として創設されました。その後、幾多の変遷を経て、昭和38年(1963年)に小金井市貫井北町に移転し、中央大学附属高校と改称して現在に至っています。中央大学附属中学校を併設し、その完成年度となる本年に創立100周年記念式典が行われました。

小金井市に移転し50年の歳月が経ち、市民には「中附」の愛称で親しまれ、多くの小金井市民も同校で学んでいます。

小金井市が武蔵小金井南口再開発のため公会堂を解体した後は、多くの市の行事に講堂を使わせていただいてきました。平成20年の市制施行50周年記念式典も中附の講堂をお借りしました。現在も、対象者が多いことから敬老会には 1,500人収容の講堂をお借りしています。

これからも地域に開かれた中央大学附属中学校・高等学校として発展することを願っています。