走り続けた16年(140)

令和初の市長選挙②

選挙公約は、選挙に立候補する候補者が当選後に実現させる政策を市民に約束することで、それを有権者に訴えて投票行動に結び付けるものです。有権者が投票に当たって、最も重要な判断材料ということになります。

西岡真一郎市長は、前回の市長選挙で『庁舎、福祉会館、図書館等6施設複合化は67億円で、新たな市民負担はない』と市民に公約し当選しました。しかし、就任し間もなく、公約の度々の変更。1年も経たないうちに「ゼロベースで協議」と白紙撤回となりました。今や図書館は影も形もありません。

また、人件費を削減し年間40億円を生み出す約束も果たされず、この4年間人件費は年々増え続けています。

この4年間、数々の公約違反についての厳しい指摘も、言葉巧みの答弁で交わしましたが、今後もその状況は続くと思われます。

今回の選挙において西岡市長の公約は今後4年間の小金井市をどうしていくのか、何をするのか全く具体性に欠けるものでした。

西岡市長はその選挙公報で『前進!動き始めた市政をとめるな』の見出しで『平成4(1992)年に約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました』と高らかに謳っていますが、果たしてそれは事実なのでしょうか。

27年前の平成4年、バブル経済の中で、蛇の目工場跡地を庁舎用地として大久保慎七市長は議会の強い要望もあり120億円で取得しました。そのうちの40億円は各種基金(預金)をかき集めて頭金に、80億円は借金でした。その数年後、バブル経済が崩壊し、大幅な税収減が続く中、平成9年度は返済不能に陥り元金を据置き金利だけの返済になりました。平成11年、市長に就任した私は、非常に厳しい財政状況ですが借金返済を再開しました。さらに、平成16年度からは庁舎建設基金(預金)の積立も開始しました。その後、平成20年リーマンショックにも直面しましたが、借金の返済と基金の積立は継続しました。

平成23年、20年かけて80億円の借金を完済し、新庁舎建設が見通せたことから、新庁舎建設基本構想を作成しさらに、新庁舎建設基本計画を市民参加で作成しました。次にくるのは当然基本設計ですが、東日本大震災や東京オリパラの影響で建設費が異常に暴騰したため基本設計の予算の執行は停止しました。そのため、次は、誰が市長になろうと基本設計に入るのです。

その基本設計も平成30年12月議会で、初めての試みの議員間討議で福祉会館の機能の調整や、6会派12議員の提案による庁舎問題の難題解決など、市議会のイニシアチブで進められているのが実情ではないのでしょうか。

西岡市長の選挙公報の「約120億円で土地を購入するも、27年間動かなかった庁舎問題。この長年の課題を、西岡市政でやっと解決しました」とは事実を正確に伝えているとは到底思えず、市民に誤解を与える表現だったのではないでしょうか。

この27年間、庁舎問題は苦しみの中で着実に前進してきました。それは、大久保市長を先頭に職員も議員も私も頑張ってきました。それを正確に伝えるのが私の役割です。

(つづく)

走り続けた16年(135)

令和元年の市長選挙

小金井市の将来を定める小金井市長選挙と2名の欠員のある市議会補欠選挙が、12月1日(日)告示され、市長選挙には新人で元市議会議長の森戸洋子氏(63)(無所属=共産支持)、同じく新人で前市議会議員の河野律子氏(51)(無所属=自民・公明・東京維新の会推薦)、現職2期目を目指す西岡真一郎氏(50)(無所属)と新人でNHKから国民を守る党党首の立花孝志氏(52)の4氏が立候補を届け出ました。また、森戸、河野両氏の市議辞職に伴う市議補選には共産党元職の長谷川博道氏、新人で自民党公認の清水学氏、無所属新の水谷多加子氏、同じく無所属新の上村喜代子氏の4氏が立候補しました。

市長選挙は、立花氏を除く3氏は武蔵小金井駅南口の周辺に事務所を構え、連日、武蔵小金井駅周辺は大きな拡声器の音が響き渡りました。

3氏とも過去の自らの実績を強調するとともに、前回の市長選で掲げた西岡市長の選挙公約に対する批判や、この4年間の西岡市政の評価も争点となり、舌戦が繰り広げられました。

森戸氏は市議として「生活相談を延べ1千400件受けるなど、市民生活に寄り添った」と強調し、河野氏は「市職員時代に行財政改革や駅周辺の整備に取り組んだ実績」を強調した。西岡氏は「新庁舎建設の方針を決め、ごみの共同処理の進展」をアピールしました。

N国立花氏は独自の選挙戦で、公約は「NHKの集金人が市内を戸別訪問することを規制する条例をつくる」ということでした。

12月8日の投票結果は、現職の西岡真一郎氏が1万8千579票、河野律子氏1万759票、森戸洋子氏1万399票、立花孝志氏678票と、西岡氏が圧勝しました。

当選した西岡市長には、市議会での問責決議である「ガバナンス(統治能力)の欠如、コンプライアンス(法令遵守)の意識に欠ける」との指摘を、再度受けることのない行政執行を望みます。

当日の有権者数は男性が4万8千881人、女性が5万1千154人、計10万35人でしたが、投票者数は男性が1万9千834人で投票率は40・58%、女性は2万1千70人、41・19%となり、合計すると4万904で投票率は40・89%となり、前回の41・42%をも下回りました。

有権者の約60%(5万9千131人)が棄権するという低投票率の原因を考えると、統一地方選挙と時期がずれて単独で行っていることから盛り上がりに欠けること。それも年末12月で寒さも感じる時期であること。更に、大きな争点が無いということなどが考えられます。

政策的には、水と緑が豊かな自然環境を守っていくことは3氏も共通認識で、新市庁舎の建設に関しても大きな差異はなく、争点の少ない選挙戦でした。

強いて挙げるとすれば、はけを通過する2本の都市計画道路についてでした。

また、同時に行われた市議補選は新人の自民党公認の清水学氏、無所属の水谷多加子氏、が当選しました。任期は令和3年4月までとなります。

選挙戦に関する分析や選挙公約等については今後、詳しく報告させていただきます。

(つづく)

走り続けた16年(133)

市議会議員として⑬

昭和60年5月末、二期目の市長に就任した保立旻市長は苦難の連続であり、その2か月前に市議会議員としてスタートした私には、この異常な事態を把握するのが精一杯で、与党議員としてどの様な形で市長を支えていくかについては思いもつきませんでした。

革新市政で始まった昭和50年代の小金井市は、常に人件費比率は全国ワースト1位を記録するなど、最悪の財政状況が続いていました。その議員、市長の選挙前の昭和59年度の決算でも、一般会計に占める人件費比率は41・2%と全国650余市の中でワーストでした。(因みに、私が市長を退く平成27年度は15・3%まで下りました)

そのため、市長も与党の市議会議員も選挙公約は財政再建のための行財政改革だったのです。市議会議員になったばかりの私に、保立市長から「団体交渉の際には、連絡の取れる所にいてほしい」と言われ、私は議会の控室で待機し、見守っていました。昭和60年第2回定例会が6月12日に開会しました。私にとって最初の定例会です。その日の議会が終了し、労使交渉が再開されました。日付が変わった13日の午前3時過ぎ、保立市長が結果を報告に来ました。暴力的な労使交渉の経過を見てきた私は、現業職5人の採用に反論することはできませんでした。しかし、当時の状況から現業職の採用は有り得ないことで、与党議員を納得させることはできないと考えました。二人の間に沈黙が続きました。市長は、同行した部長から選挙管理委員会のK・M事務局長の電話番号を聞き、私の目の前で直接電話しました。内容は「自分が辞めたら繰上げ当選になるか」ということでした。二期目の当選を果たし、5月30日に新たな任期に入った保立市長、その2週間後の6月13日には辞職を考えるということでした。これは市長が選挙公約を果たせないことと、それが議員の選挙公約にも影響を与えることを考えてのことで、選挙公約の重みをまざまざと示すものでした。

私は、徹夜の労使交渉でも常に経過を議会の控室で見守っていました。当然、正式な団体交渉や事務折衝には関知しませんが、目に余る抗議行動には口も出すし、割って入ることもありました。労働組合は労使交渉に対する不当な干渉だと当初は激怒しましたが、その内、組合も諦めました。私の行動は、労働組合にも当局に対しても、不当な妥結は許さないとするもので、双方に邪魔な存在だったと思います。給与、人員問題の団交には常に交渉が終るまで、議会の控室で成り行きを見守っていました。私はこれを市長になるまで14年間続けました。

「今、市政で何が」

西岡真一郎市長の任期最後の定例会が11月28日に終了予定です。この議会では延び延びになっていた平成30年度一般会計決算が再度審査され、11月11日の決算委員会で採決が行われ不認定になりました。最終日の本会議では賛成4、反対16、退席1で決着するものと思われます。

決算審査は、当該年度に執行された予算が適正かつ効果的で計数が正確であったかを審査するもので、不認定になれば昨年に続くもので、市政は、極めて異常な状況にあると言わざるを得ません。

(つづく)

走り続けた16年(125)

市議会議員として⑥

昭和60年5月26日の選挙で保立旻市長が当選し、6月3日から2期目がスタートしました。待ってたのは3月31日の定年制の導入で退職した37人の欠員に伴う職員組合との労使交渉でした。当時の労使交渉は、私の16年間とは全く異なる暴力的なものでした。市長をはじめ理事者、管理職者にとっては精神的にも肉体的にも苦痛を伴う労使交渉でした。

新人議員の私は、保立市長の要請もあり、この労使交渉を議会の控室で成り行きを見守っていました。

6月議会を直前に、激しい労使交渉が市民の目の届かないところで続きました。

連日続く労使交渉で労務担当職員の体力の限界を感じての保立市長の決断だったのでしょう。徹夜になった午前3時頃、保立市長が控室に来られ、5人の採用で妥結した事が告げられました。37人の退職に5人の現業職の採用です。沈黙が続きました。市長も市議会議員も財政再建のため職員削減の行革推進を選挙公約に選挙が終えたばかりなのです。

暫くして、保立市長が窓際にあった電話機を手にしました。相手は選挙管理委員会の事務局長です。市長は、
「もし私が辞職したら繰り上げ当選になるのか」と言うのです。2期目の当選を果たし、わずか2週間余りでのこの言葉には、驚きを通り越すものでした。

それは、市長が妥協することで議員も選挙公約を果たせなくなることの責任なのです。

6月13日付で、市長と組合の委員長の間で欠員問題について協定が締結されました。

その内容は、⑴現業職5名を採用することとし、採用時期は9月とする。⑵その他残る課題については、引き続き誠意を持って協議する。という内容のものでした。

そして、7月5日の市報に職員募集の記事が小さく載りました。「市では昭和60年度に職員を次の通り募集します。技能職(給食調理、一般作業、一般用務等)昭和37年1月1日以降に生まれ、義務教育を修了した者、若干名」とあります。

与党議員の一部は硬化しました。私も、これで1期目の任期中に1千25人の職員を1千人以下にするという目標の実現が難しくなったとの思いでした。与党会議でも行革に対する当局の対応が甘い、との厳しい指摘がされるようになりました。しかし、激しい労使交渉や市長の首を掛けての対応を知る私はこれを責めることにはなりませんでした。

この結果、大久保慎七助役が責任をとる形で10月12日、一身上の都合で、との名目で退職願いが提出され、10月31日退職しました。

その後、小金井市の職員数が職員1千人の大台を割ったのは平成7年であり、26人の削減に10年もかかったのです。職員は一旦採用すれば民間企業と異なり、本人の意に反しての解職は不可能であり職員削減の難しさを実感させられました。

その様な状況でも、私の市長としての16年間は915人から671人と244人の削減を果たしたのです。これに、西岡真一郎市長の選挙公報での「財政難は行革が進まなかったから」という批判には、まさに身を切る職員の協力を無にするもので、到底、納得できるものではないのです。

(つづく)

走り続けた16年(104)

これでいいのか小金井市政②

平成5年9月議会で議決された社会福祉委員への報酬は、改正条例案は提案する市長側も議決する市議会も、月額9千4百円を一万円に改正との認識の下で議決されました。しかし、条例本体には1万1千円と誤記されており、その誤記が正規のものとなるのです。

その後、毎年度の市議会の予算、決算、さらに監査委員の各種監査でも発見できず、24年間にわたり1万円の誤支給が続きました。

それが、平成29年5月16日、外部からの問い合わせで職員がこの過ちに気付きました。しかし、当局はこれを公にせず9か月間も隠し続けてきました。それは、原因の究明、再発の防止策に取組むため、としていますが、その説明には無理があります。なぜなら、誤支給を公にし、並行して調査を進めても何等不都合はないし、その方が調査が進展するのは明らかだからです。この9か月間の西岡真一郎市長の執った市政運営は信じられないものでした。

平成30年第1回(3月)市議会定例会の総務企画委員会及び予算特別委員会での誤支給問題の質疑を通して、西岡市長の事務手続き等について、市議会は法や規定に反するものと判断し、地方自治法の規定に基づき市議会は社会福祉委員への報酬誤支給に係る検査と、同法の規定に基づく監査請求を全会一致で議決したのです。

監査請求に至った理由の第1は、平成29年5月に総務部法務担当が顧問弁護士に問い合わせ、条例どおりに支払う義務があるとの回答を得て、担当からもその旨指摘したが、市長は当面現行のまま支給すると指示した。これは、地方自治法「報酬及び費用弁償の額並びにその支給方法は条例でこれを定めなければならない」との規定に反するし、また、規定額どおりに支払わない行為は地方公務員法に規定する職員の条例遵守義務に違背し、法令違反ではないか、と言うものです。

その2は、市長は誤支給が発覚した後も、新たに着任する社会福祉委員への説明にあたり、その報酬月額が条例と異なる1万円であることを記載した説明文書を作成させ、交付させた行為は虚偽公文書作成、偽造公文書行使等(刑法第156条・第158条)の罪に該当する恐れがある、とするものです。

その3、市長は、平成30年1月18日の理事者協議で、社会福祉委員に債権放棄を依頼することを確認し、その事務手続きに入ったが、事務決裁文書が一切存在しないことが判明した。本来であれば最終的には市長が決裁しなければならないと考えられるが、それが、その行為は行われていなかった。これは文書管理規定、事務決裁規定に反する行為というものです。

以上が、市議会からの監査請求の一部になりますが、市の管理職者がこれら法的な問題を失念していたとは到底考えられず、そこには大きな力が働いたと思わざるを得ません。

記録の残る起案文書の不作成や、誤支給問題で行政の最高意思決定機関である庁議を開かないのは、記録を残さない手法をとったとしか思えないのです。

監査委員からの監査結果等については次号で報告します。

(つづく)