走り続けた16年(137)

令和2年の幕開け

新年あけましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族お揃いで健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年は、今上天皇の生前譲位による令和の時代の幕開けを国を挙げて喜ぶことができました。平成への御世代りは、昭和天皇の崩御に伴うもので昭和63年9月、天皇陛下が病に伏せられ、歌舞音曲など各種行事が自粛され日本全体が暗い雰囲気に包まれていました。

昭和64年1月7日天皇陛下の崩御により、昭和が終わり平成の幕開けとなりました。悲しみの中での後世代わりです。しかし、令和に対しては国を挙げての奉祝に沸きました。令和の時代が世界中が平和で豊かであってほしいと願うものです。

待ちに待った2020東京オリンピック・パラリンピックの新年を迎えました。

前回の東京オリンピックは1964年(昭和39年)今から56年前に行われました。高齢者といわれる方々は当時の熱気を強く覚えていることでしょう。

昭和39年当時、私は19歳で大学2年でしたので、このオリンピックに感激した一人です。高度経済成長を進める日本が、このオリンピックの開催を契機に欧米諸国に追い付き追い越せの機運の高まりの中、世界一流国への仲間入りを目指した時代でした。

この3月26日、オリンピック聖火リレーが福島県をスタートし、日本全国857市区町村を121日間かけて巡り、7月24日に都庁前でゴールを迎えます。多くの話題の人たちにより4か月かけて全国を走り抜けていきます。それにより、日増しに五輪ムードが盛り上がっていくと思われます。

大会は夢と希望と大きな感動を多くの人々に与えることでしょう。私も、前回のオリンピックを思い出しながら人生を振り返る時だと思っています。

このオリンピック・パラリンピックが平和の祭典になり、そのレガシーに期待するとともに、世界中の恵まれない人々にも光を向ける祭典であってほしいと願うものです。

私自身、本年も目標を持って1年を過ごしたいと思っています。

それは、後期高齢者の仲間入りをした今、目標は健康上の問題で日常生活に制限されることのない健康寿命を1年延伸させることです。具体的な目標は、私が生れ、父と生き別れた中国東北部、旧満州を訪れることです。

【昨年最後の議会は】西岡真一郎市長任期最後になる令和元年第4回定例会が市長選挙前の11月に開かれ、平成30年度の一般会計決算は賛成議員が4人で2年続けての不認定になりました。また、4年間の西岡市政を総括する『西岡市長の公約違反と政策の迷走について厳しく責任を問う決議』が賛成多数で可決されました。

さらに、西岡市長が、先の市議選での候補者の後援会に現金を供与していた。市主催のイベントに司会者として便宜を図ろうとした。また、政治活動に用いた名簿をめぐって種々の指摘がされている。よって、市議会は事案の重要性、緊急性に鑑み、一連の指摘について、西岡市長に真相を明らかにするよう強く求めるものである、との決議を賛成多数で可決していました。この様な市政の状況は市民にはなかなか伝わりにくいものです。

(つづく)

走り続けた16年(136)

令和元年の終わりにあたり

令和元年も残りわずかになりました。皆様にとってどの様な年だったでしょうか。楽しい思い出の多い一年だったことと思います。

本年も台風の襲来により日本中が大きな被害を被りました。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

また、世界各地に自然災害が発生し、大きな被害をもたらしました。私たちの利便性やより快適性を求める生活が、地球環境に負荷を与えていることも原因にあることと思います。世界中のすべての人々が、私たちと同様の生活をしたら、地球温暖化や食糧問題など世界的危機が急速に進むことでしょう。私たちの利便性や快適性は発展途上国の人々の苦しみや犠牲の基にあるのではないでしょうか。今、生活を見直す時にあると思います。

本年は新元号が「令和」と決定され、天皇陛下ご即位による国事行為で、国全体が慶祝の気持ちに包まれる中、つつがなく新時代がスタートした歴史的な1年になりました。

令和の時代が世界中が平和で、誰もが豊かな時代であることを願わざるを得ません。

また、ラグビーW杯は日本チームの活躍もあり、そのプレーに日本中が感動し熱狂に包まれました。あまりラグビーに縁のなかった人々も、ラグビーの魅力に引き込まれたのではないでしょうか。ワンチームやノーサイドの言葉やオールブラックスの「ハカ」も楽しませてくれました。

吉野彰・旭化成名誉フェロー(71)のノーベル賞授賞も明るい話題でした。リチウムイオン電池の基本構造を発明した吉野氏は私たちの生活を変えてくれたことになります。

吉野氏の明るい人柄もありますが、少年時代に先生から『ロウソクの科学』の本を薦められ読んだのが、科学の道に進む動機付けになったというのも、子どもたちに夢と希望を与えることになることでしょう。

平成19年3月、二枚橋焼却場の稼動停止以来、可燃ごみの処理を近隣市等の施設での広域支援に頼ってきた小金井市ですが、この年末の19日から日野、国分寺、小金井の3市で作る浅川環境清流組合が日野市内に建設する新可燃ごみ処理施設が完成し、試験運転を開始します。本格的稼働は来年4月からになり、「ごみ非常事態宣言」が解除されることになるでしょう。

市政においては、西岡真一郎市長のガバナンスやコンプライアンスの欠如が議会から指摘されるなど、悪戦苦闘の1年でしたが、12月の市長選挙では西岡市長が圧勝しました。今後の市政運営に注目したいと思います。

11月、後期高齢者になった私にとって、この1年は『走りつづけた16年』の本の出版や市長選挙などで忙しい1年になりました。

年間の歩行距離をスマホの歩数計で年間4千キロメートル以内に押さえる目標は約3千700キロメートルと達成できました。

いよいよ、年の瀬を迎えました。どなたも明るく楽しいお正月を迎えるには、火災に遭わないための対応が必要です。また、年末は空き巣やひったくり、悪徳商法や詐欺などの犯罪が多く発生しますので注意が必要です。

迎える新年が世界中が平和で、皆様にとって素晴らしい1年になることを心からご祈念申し上げます。

(つづく)

走り続けた16年(133)

市議会議員として⑬

昭和60年5月末、二期目の市長に就任した保立旻市長は苦難の連続であり、その2か月前に市議会議員としてスタートした私には、この異常な事態を把握するのが精一杯で、与党議員としてどの様な形で市長を支えていくかについては思いもつきませんでした。

革新市政で始まった昭和50年代の小金井市は、常に人件費比率は全国ワースト1位を記録するなど、最悪の財政状況が続いていました。その議員、市長の選挙前の昭和59年度の決算でも、一般会計に占める人件費比率は41・2%と全国650余市の中でワーストでした。(因みに、私が市長を退く平成27年度は15・3%まで下りました)

そのため、市長も与党の市議会議員も選挙公約は財政再建のための行財政改革だったのです。市議会議員になったばかりの私に、保立市長から「団体交渉の際には、連絡の取れる所にいてほしい」と言われ、私は議会の控室で待機し、見守っていました。昭和60年第2回定例会が6月12日に開会しました。私にとって最初の定例会です。その日の議会が終了し、労使交渉が再開されました。日付が変わった13日の午前3時過ぎ、保立市長が結果を報告に来ました。暴力的な労使交渉の経過を見てきた私は、現業職5人の採用に反論することはできませんでした。しかし、当時の状況から現業職の採用は有り得ないことで、与党議員を納得させることはできないと考えました。二人の間に沈黙が続きました。市長は、同行した部長から選挙管理委員会のK・M事務局長の電話番号を聞き、私の目の前で直接電話しました。内容は「自分が辞めたら繰上げ当選になるか」ということでした。二期目の当選を果たし、5月30日に新たな任期に入った保立市長、その2週間後の6月13日には辞職を考えるということでした。これは市長が選挙公約を果たせないことと、それが議員の選挙公約にも影響を与えることを考えてのことで、選挙公約の重みをまざまざと示すものでした。

私は、徹夜の労使交渉でも常に経過を議会の控室で見守っていました。当然、正式な団体交渉や事務折衝には関知しませんが、目に余る抗議行動には口も出すし、割って入ることもありました。労働組合は労使交渉に対する不当な干渉だと当初は激怒しましたが、その内、組合も諦めました。私の行動は、労働組合にも当局に対しても、不当な妥結は許さないとするもので、双方に邪魔な存在だったと思います。給与、人員問題の団交には常に交渉が終るまで、議会の控室で成り行きを見守っていました。私はこれを市長になるまで14年間続けました。

「今、市政で何が」

西岡真一郎市長の任期最後の定例会が11月28日に終了予定です。この議会では延び延びになっていた平成30年度一般会計決算が再度審査され、11月11日の決算委員会で採決が行われ不認定になりました。最終日の本会議では賛成4、反対16、退席1で決着するものと思われます。

決算審査は、当該年度に執行された予算が適正かつ効果的で計数が正確であったかを審査するもので、不認定になれば昨年に続くもので、市政は、極めて異常な状況にあると言わざるを得ません。

(つづく)

走り続けた16年(132)

今、市政で何が

西岡真一郎市長の任期最後となる令和元年第4回定例会が、現在、市長選挙の関係で1か月繰り上げて開会されています。

これには、9月の第3回定例会で決着できず、継続審査となっていた平成30年度一般会計決算認定の審査も行われますが、当該年度の行政執行の在り方から議会の厳しい判断が想定されます。

その第3回定例会では、西岡市長の市長選挙の公約の変遷や、4年間の市政への取組み状況に関して厳しい質問が続きました。その結果、最終日の10月8日『ガバナンス(統治能力)が欠如し、コンプライアンス(法令遵守)意識に欠ける西岡市長に対する問責決議』が賛成19、反対4と圧倒的多数の賛成で可決されました。このガバナンスやコンプライアンスは市政の最高責任者である市長に最も必要とされるものです。

これは、平成29年5月に社会福祉委員の報酬の誤支給問題が発覚し、約9か月間も秘匿され、その間、法令や条例に反するような行政が執行されていたのです。その際、議会から西岡市長に対しコンプライアンスの徹底の求めに対し、西岡市長は条例と事務執行に乖離や齟齬がないかの調査を徹底することを明言しました。その調査の結果、問題がないとの報告がされました。

しかし、平成30年10月には障がい者の移動支援において支払われるべき報酬の時間外加算に規則と実態に過ちがあることが外部からの問い合わせで発覚しました。これは、従来から継続されてきたもので、西岡市長だけに責任を課することにはなりませんが、社会福祉委員への誤支給問題が発覚した際の市議会等の指摘を真摯に受け止め、十分な調査をしていればその時点で解決することができた事案であるだけに問題の残る対応であったと言わざるを得ません。

こうした一連の問題が指摘されている最中に、「学校管理費における不適切な会計事務処理について」と称する事案が、開会中の令和元年9月定例会の全員協議会で報告されました。

報告の概要は「平成30年10月に都水道局の請求に伝票を起票し、課長決裁を得た後、伝票を本人の机の引き出しに入れたまま放置し、都から支払いに関する書類が再送付され、当該職員はその手続きの不手際から、その費用を私費で支払っていたもので、これ以外も含めると平成30年度分で92万円余になる」というものです。

この問題に対し市政の最高責任者である市長は答弁不能となり、決算審査は終結することができず、継続審査にならざるを得ませんでした。当該職員はすでに退職しています。この事案は新聞紙上でも大きく取り上げられることになりました。

統治能力や法令遵守、そして、情報公開は市長や行政を執行するものにとって最低限必要とされるものです。市政は、市民からはなかなか見えにくいものです。しかし、西岡市政の4年間の議会の評価がこの「問責決議」に示されたのだと思われます。

この決議の賛否の採決に際して注目されたのは、反対したのは「みらいのこがねい」会派の4議員のみで、従来から与党と目されていた議員数にも及ばなかったことがそれを傍証するものです。

(つづく)

走り続けた16年(118)

選挙公報は正しかったか

6月3日の市議会本会議で、自民党の吹春やすたか議員が、小金井市の財政健全化の進捗について西岡真一郎市長に質問しました。

それは「西岡市長は先の市長選挙の選挙公報で『小金井市に閉塞感があるのは、財政難からであり、その理由は、行財政改革が進展していないことにある』とあるが、平成10年度と、平成27年度の決算を比較すると職員数は915人が671人と244人の減、人件費は98億8千200万円が59億800万円と実に39億7千400万円の減、人件費比率は32・3%が15・3%と半分以下である。また、経常収支比率も106・5%が90・8%まで下がっている。

稲葉市政の16年間の職員給与は減額の連続です。職員は市の危機的財政状況を理解し財政再建に協力したことを西岡市長が理解できないのは残念です。

稲葉市政では調整手当を平成16年度から21年度まで6年かけて小刻みに10%から12%にアップしています。これは、市の給料表を都に合わせる際、都の12%に合わせるという約束で、財政が厳しいため小刻みになったそうです。地域手当に名称が変わり、国基準の変更により24、25年度で再度10%に下げています。西岡市長が平成27年12月市長に就任し、わずか1週間で職員組合と15%までのアップを約束したのとは各段の違いです。

この16年間の経常収支比率と人件費比率の改善率は多摩26市でトップと言われています。この結果は、職員や議員の協力があって達成されたものですが、市長の認識は選挙公報に書かれた通りの認識であるか」と吹春議員が問うています。

これに対して西岡市長は正面からの答弁は避け、一定評価しつつも、小金井市行革市民会議の答申の中の「主要で困難な課題は先送りされている感がある」との一片の記述から判断したもの、と責任を転嫁しています。しかし、この答申の最後は「当市民会議は、第一線で働く職員の接遇は極めて良好で、職員の基本的なポテンシャルも相当に高いものと確信している」と結ばれているのです。

私はこの質疑をユーチューブで聞いていて非常に残念な思いになりました。行革が進んだことは数字できちんと証明されており、誰の目にも明らかです。西岡市長もこれらの状況を知りながら、何故、事実と異なる事象を選挙で一番目につく「選挙公報」の、そのリード文に書いたのかです。西岡市長の相手候補は「市政の継続・発展」を謳っていました。この選挙戦を有利に導くため、前市政の評価を矮小化したとしか思えません。

財政再建のための行革は私にとって生命線です。これを身を切って懸命に支えてくれた職員や議員、ご理解をいただいた市民に対しても事実を語らなければならないのです。

西岡市長の市長選の公約である、図書館を含む6施設複合化は67億円で新たな市民負担はない。行革で年間40億円を生み出すことや、小金井市の30年後のグランドデザイン策定など市民との主要な約束は雲散霧消です。政治の不信感はこの辺から生まれるのです。

私は、先の市長選挙は公平・公正、フェアに行われたか疑問を持たざるを得ません。

(つづく)