走り続けた16年(139)

令和初の市長選挙①

昨年12月8日、市民に最も身近で生活に直結する市長選挙と市議補選が行われました。

これは、これまで4年間の西岡市政の評価と、今後4年間の小金井市の方向を定める非常に重要な選挙ですが、その投票率の低さに驚きと不安を感じました。投票率は40・89%と辛うじて40%台を確保しましたが、約10万人の有権者の内6万人が棄権したのです。

投票率を年代別に見ると、18、19歳の10代は30・5%と平均を10㌽も下回り、20代になると18・1%と極端に下がり、30代が30・7%、40代が40・3%、50代が46・9%、60代が54・6%で、70代が61・3%で最も高く、80歳以上の方は42・8%で、総計が40・89%になるものです。この低投票率は、選挙戦における争点不足も原因の一つと思われます。

年代別の投票率は他の選挙においても順位に変りはなく、20代が最も低く年齢とともに高くなります。将来を担う20〜30代に対して投票率を上げるための対応策が必要です。

市長選挙の各候補者の得票を見ると、西岡市長は前回選挙の1万2千849票より約6千票増やし1万8千579票と圧勝しました。これは、西岡陣営が立憲民主、国民民主両党の票を固めるとともに、保守票の多くが西岡陣営に流れたと思わざるを得ません。現職市長の露出度の高さによるパフォーマンスが功を奏したものと思われます。

自民、公明、維新の会推薦の河野律子候補の1万759票は前回の五十嵐京子候補とほぼ同程度の得票になりましたが、勝敗を分けたのは立憲民主、国民民主党の票を固めた西岡陣営に対し、河野陣営は公明票は固めたが、足元の保守票を固め切れなかったということになります。河野選対の役目は、有権者に対し市政の現状と候補者の人となりを伝え、知名度アップを図ることでしたが果たせませんでした。これは、河野候補の選対本部長を務めた私の責任です。

また、共産党支持の森戸洋子候補の1万399票は、前回、共産党の支援を受けた白井亨候補の得票とつながっています。

また、前回の岩淵美智子候補の5千786票の行方は分かりません。

この選挙戦を通して感じられたのは、市政の状況がなかなか市民に伝わりにくいことです。これは、最近の日刊紙の武蔵野版は新聞社の編集方針からか、各市の市政の取り上げ方が少なくなり、市民が市政の状況を知る機会が少なくなったことにも起因します。

有権者が投票行動を決するのは、残念ながら政策より知名度やイメージが大きな影響を与えると感じました。

12月24日、市長選と市議補選後、初の臨時市議会が開かれ、本来、午前中に終われる内容のものが、市長選挙前に発覚し継続されていた議題と新たに発生した問題で紛糾し、日付の変わった午前2時半過ぎまで続きました。

その中に、西岡市長が推薦した市議候補に関する『平成29年市議選立候補者による市内福祉施設の個人情報盗用事案について真相糾明を求める決議』が全会一致で、さらに『市選管による不正な公職選挙法解釈事件に係る監査請求』が議会選出監査の退席を除く全員賛成の可決となり、課題はすべて先送りされるなど、初議会は波乱の船出となりました。

(つづく)

走り続けた16年(138)

『住みやすい街』に武蔵小金井が

令和2年、太平洋側の各地は快晴に恵まれるなど穏やかにスタートしました。本年が平穏な1年であることを願うものです。

米政府は2日、米軍がイランで英雄視される革命防衛隊のスレイマニ司令官を殺害したと発表。イランの最高指導者ハメネイ師は米国への報復を予告し、米、イラン対立激化の中東情勢で世界中に激震が走ってます。

さて、昨年12月18日の日本経済新聞、39面の東京・首都圏経済の欄に、東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県の駅別の『本当に住みやすい街』の2020年版ランキングが掲載され、武蔵小金井がベスト7位にランクされていることを、知人からのファクシミリで知らされました。

これは、大手住宅ローン会社であるアルヒが策定し公表したもので、同社が2018年8月〜19年7月の融資実行件数をもとに、住環境や交通、コストパフォーマンスなど5つの基準で、不動産の専門家らとランキングを策定したものです。

1位は川口市の川口で、交通の利便性やコスト面、商店街の再開発の評価で前年の4位から躍進。2位は19年度版でトップだった北区の赤羽、都心へのアクセスや子育て重視の街づくり。3位は、横浜市のたまプラーザが広い歩道や公園の住環境、駅との直結複合施設。4位は柏市の柏の葉キャンパスで、大型商業施設や医療機関の充実。5位は台東区の入谷で、JR山手線の駅にも近く、職住近接として評価を集めた、とされています。そして、6位が王子で、7位に武蔵小金井が入りその後に小岩、ひばりヶ丘、東雲と続きます。6位以下には特に論評はありませんでした。これまで、3回のランキング発表で初めて武蔵小金井の名前が紹介されました。

この種のランキングに小金井市が入ることは市民としても大歓迎ですし、開発に関わってきた私にとっては感慨深いものです。小金井市のポテンシャルがいよいよ顕在化されてきたとの思いです。

武蔵小金井駅南口は昭和37年に都市計画決定がされたが、再開発の計画を立てては潰れることの繰り返しが何回も長く続きました。

平成7年JR中央線の高架事業が事業採択されました。鉄道高架の目的は、南北一体の街づくりをするためには、鉄道の平面交差を解消しなければならないというのが基本にあります。鉄道高架と街づくりは不即不離の関係にあり、小金井市にも駅周辺の整備が求められていました。

平成11年の市長選挙に立候補した私の選挙公約は駅周辺の整備でした。東小金井駅北口は土地区画整理事業、そして、武蔵小金井駅南口は再開発事業を推進することでした。

平成16年度の一般会計予算が街づくり反対から議会で否決されたことで、私は、市長の任期を約3年残して辞職し、再選挙に臨みました。相次ぐ苦難の末、武蔵小金井駅南口の再開発は昭和37年の都市計画決定以来、実に46年の歳月を要して平成20年3月に完成、まちびらきが催されました。また、平成21年12月にJR中央線高架事業も完成しました。

JR中央線の高架化や駅周辺の整備などの経過は『街づくりへの挑戦』と題して、今後、本欄で詳しく報告させていただきます。

(つづく)

走り続けた16年(137)

令和2年の幕開け

新年あけましておめでとうございます。

希望に満ちた新春をご家族お揃いで健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年は、今上天皇の生前譲位による令和の時代の幕開けを国を挙げて喜ぶことができました。平成への御世代りは、昭和天皇の崩御に伴うもので昭和63年9月、天皇陛下が病に伏せられ、歌舞音曲など各種行事が自粛され日本全体が暗い雰囲気に包まれていました。

昭和64年1月7日天皇陛下の崩御により、昭和が終わり平成の幕開けとなりました。悲しみの中での後世代わりです。しかし、令和に対しては国を挙げての奉祝に沸きました。令和の時代が世界中が平和で豊かであってほしいと願うものです。

待ちに待った2020東京オリンピック・パラリンピックの新年を迎えました。

前回の東京オリンピックは1964年(昭和39年)今から56年前に行われました。高齢者といわれる方々は当時の熱気を強く覚えていることでしょう。

昭和39年当時、私は19歳で大学2年でしたので、このオリンピックに感激した一人です。高度経済成長を進める日本が、このオリンピックの開催を契機に欧米諸国に追い付き追い越せの機運の高まりの中、世界一流国への仲間入りを目指した時代でした。

この3月26日、オリンピック聖火リレーが福島県をスタートし、日本全国857市区町村を121日間かけて巡り、7月24日に都庁前でゴールを迎えます。多くの話題の人たちにより4か月かけて全国を走り抜けていきます。それにより、日増しに五輪ムードが盛り上がっていくと思われます。

大会は夢と希望と大きな感動を多くの人々に与えることでしょう。私も、前回のオリンピックを思い出しながら人生を振り返る時だと思っています。

このオリンピック・パラリンピックが平和の祭典になり、そのレガシーに期待するとともに、世界中の恵まれない人々にも光を向ける祭典であってほしいと願うものです。

私自身、本年も目標を持って1年を過ごしたいと思っています。

それは、後期高齢者の仲間入りをした今、目標は健康上の問題で日常生活に制限されることのない健康寿命を1年延伸させることです。具体的な目標は、私が生れ、父と生き別れた中国東北部、旧満州を訪れることです。

【昨年最後の議会は】西岡真一郎市長任期最後になる令和元年第4回定例会が市長選挙前の11月に開かれ、平成30年度の一般会計決算は賛成議員が4人で2年続けての不認定になりました。また、4年間の西岡市政を総括する『西岡市長の公約違反と政策の迷走について厳しく責任を問う決議』が賛成多数で可決されました。

さらに、西岡市長が、先の市議選での候補者の後援会に現金を供与していた。市主催のイベントに司会者として便宜を図ろうとした。また、政治活動に用いた名簿をめぐって種々の指摘がされている。よって、市議会は事案の重要性、緊急性に鑑み、一連の指摘について、西岡市長に真相を明らかにするよう強く求めるものである、との決議を賛成多数で可決していました。この様な市政の状況は市民にはなかなか伝わりにくいものです。

(つづく)